バッフェット氏はSocialist?

 ウォーレン・バフェット氏がNYTに寄稿したoo-ed記事、Stop Coddling the Super-Richで、富裕層に増税するべきとの意見を述べています。

 これに対して保守派は非難囂々だという話題をDaily Showでやっていました。こちらです。

 政党間で言い争ってばかりで、建設的な解決策が出てこない状況は日本でも同じ?

『孕むことば』 育児と文学


 鴻巣友希子さんが、妊娠から幼稚園に通う娘さんの成長までを書いたエッセイ集。

 個人的な発見は、幼児が大人には見えない友達をもつ話について。

かぶさんとは子どもたちの守護神のようなものかもしれないし、子どもの分身のようなものかもしれない。幼子の時代というのは、なにか神秘的な繭でそっと護られているいる気がする。その繭のヴェールに包まれている間を「幼子のころ」と呼ぶのだろう。

 わたしの育児では、こういうことがなかった。息子の様子を振り返っても、もし神様が息子の近くに来てくれていたとしても、身体を動かしたり、目の前にある現実を観察するのに忙しすぎて、気づいていなかったのではないかと思う。我が家は夫婦そろって、こういった現象を否定するタイプだし、環境や遺伝的に我が家ではあり得ないことだと思う。

 だから、ママ友からこういう話を聞かされてもどう反応していいのかわからず、適当に受け流していたけれど、鴻巣さんの文章を読んで、子どもの成長過程では、そういう心の段階があるんだな、ということがわかった。

 あまり文学に馴染んでこなかったわたしだけれど、育児とからめたエッセイを読んで、文学っていろいろな心を感じ取ることなんだということに気づいた。

ことばは聞かれれば育つ。相互のやりとりがあれば、さらに育つ。結局、子どもの言語能力というのは、かなりの部分、親の理解力のことなんじゃないだろうか。

 自分がどれだけ子どもの言葉を聞いて、子どもの心を感じ取ろうと努力してきたのか、かなり後悔の多い育児だったような気がする。

 育児からいろいろな文学や文化の話に発展していくエッセイは、それぞれおおもしろかった。

 もうひとつ印象的だったのは、「夢を抱く」ことについて。あのアンパンマンは「みんなの夢を守る」ヒーローで、人はみな自分の好きなものを見つけて夢を持たなくてははならないという脅迫的なメッセージに、鴻巣さんは違和感を感じるという。これにはまったく同感。先日読んだ『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』で書かれていた若者の悩みも、夢を持たなくちゃならないという風潮の副作用のひとつだと思う。「好きにしなさいとだけ言われて放っておかれる状態」だから。

 鴻巣さんは、翻訳を職業にすると選択したとき、親御さんから「そんなに言うなら、その翻訳とやらをやればよろしい。ただし、自分の面倒は自分でみること。会社に就職した人たちと同程度のお金は稼ぎなさい」と言われたそうだ。才能だけでなく、努力もきっとたくさんしてこられた方なのだろう。

 こういった覚悟を持って、地に足のついた生き方をしなくちゃだめなんだな。そして、そういうふうに子どもを導いていかないとならないんだな、ということを忘れずにいたいと思った。

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法  でも結局「上」をめざさないと生きていけない

 わたしのようなおばさんではなく、若い人が読むとおもしろかったのかもしれません。

 著者は勝間和代VS香山リカに代表される、自己啓発とがんばらなくていい、の対立をとりあげ、そこから感じる違和感から出発して本書を書いたといいます。とくに、がんばれば変われるという自己啓発の楽観的な信念を、いろいろ例をあげて、無理だと説いていきます。その過程は、いろいろなネタが出てきて楽しめます。ちなみに、本文中であげられた本のタイトルだけでも、ざっと40〜50冊くらいになるのでは? とくに進化心理学からの話題が楽しかったです。

 ネタはとっても楽しめたのですが、結論がどうも無責任。世の中は残酷。伽藍でもがいているより、自分にあったバザールを見つけたらいいんだよ、というのが著者の結論。恐竜のしっぽ(ロングテール)の中でショートヘッドを目指そう、ということなんです。この結論にさかれたページ数が少なくて、説得力がないのかもしれませんが、ロングテールの中でのヘッド、って個人の生き方としては厳しい場所ではないかと。食べていくためには、限度がありますから、あまりにもしっぽにいきすぎては無理。そこそこのしっぽにしても、その中でヘッドの位置にいないと食べていけない。やっぱり、苦しくてもがんばらなくちゃだめだということが、語られないままです。バザールの例も、リーナス・トーバルズLinuxコミュニティがあげられていますが、そんな夢のようなバザールがあちこちに転がってるわけもありません。そんなコミュニティにうまく入り込めたとして、食べていくのに役立つほどの立派な評価を受ける人は、ごく一握りの例外的な人なのでは? なんて、暗い考えはだめなのでしょうか。伽藍で身動きがとれなくなっている若者に向けて、そんな野暮な話はしないほうがいいのでしょう。

 若い人はがんばらなくちゃダメだなんてばばくさいことを考えるわたしでも、自分が若いときは、どうして働かなくちゃならないんだとか悩んだこともありましたから、そういうときに、世の中は残酷だよね、と言ってくれるこの本は、読むと「癒やされる」のかもしれないですね。個人的には、癒やされたあとは、ふんばってがんばるか、有限回(2,3回程度)だけバザールへの引っ越しを慎重に考えて、そこでがんばるかが、安全策だと思いますが、それって年寄りくさい考えかな。

Collins CobuildのEPWING化 

 Windowsマシンに、EBStudioを入れて(とりあえず試用版)、Cobuildの変換スクリプトを動かす。でも、Rubyも必要だと言われてRumixでさくっとインストール。のはずでしたが、何回やってもインストールが途中で止まってしまいます。でも、必要なRubyのコマンドはRubyディレクトリにできているようだったので、パスを指定してどうにかRubyを実行できました。とりあえず、OKでしょう。

 このEPWING化したCobuildMacに入れて、Lookupで読み込むように .emacs.el を編集したら、無事に使えるようになりました。ただ、Wordbank は、うまく検索できていないようですが、その件は後日。


『ラスト・チャイルド』 少年がかっこよすぎ

 双子の妹が誘拐され、家族がぼろぼろになってしまった状況の中で意志の力で強く生きるこの少年の姿が、痛々しくも、かっこよすぎます。こんな少年が目の前に現れたら、もう、自分の存在が恥ずかしすぎて、穴があったら入りたくなることでしょう。

 背景の事件は、許しがたい卑劣なもので、現実にはあってほしくない、犠牲者がいてほしくないと思いながら読むことになって、苦しくなります。少年がそこまで強くならなければならないなんて、理不尽なことです。

 ストーリーは、少年、刑事、友達、それぞれの家族が中心となって進んでいきます。脇役で、ちょっと不思議な人物が出てきます。もしも、その人の起こす不思議な出来事を軸に物語が進んでしまったら、あまり好きになれない話だったかもしれません。その人の存在には重要な意味がありながら、現実ばなれの度合いが抑制されていて、違和感なく読めました。不思議な(変な)人なんだけれど、大切な何かを守っている人物として光っていました。

 

Carbon Emacsで串刺し検索

 昨日、Xcodeをインストールできたので、lookupのインストールへと進みました。まず、以下の3つのインストールと設定(.emacs.el)。

EB Library
http://www.sra.co.jp/people/m-kasahr/eb/

eblook
http://openlab.ring.gr.jp/edict/eblook/

lookup
http://openlab.ring.gr.jp/edict/lookup/

 それから、辞書のコピーと圧縮(ebzip)。

 入れたのは、リープラと広辞苑の2つだけ。ちょっと寂しいですが、串刺し検索がさくっとできるようになりました\(^O^)/。いろいろ手間取るかと思っていましたが、家事の合間にできてしまったので感激です。いくつもの参考になるサイトに助けられました。ありがたい。


 次の課題は、CobuildEPWING化。それと、JammingじゃなくてLogophileのお試し。lookupとどちらが使いやすいか比べてみましょう。