「冬のソナタからの」        バンクーバ—新報 2009年 1月8日

 日本での韓流(はんりゅう)ブームは、2003年のNHKBS放送の『冬のソナタ』で社会現象になりました。でも、私達が住む北米では、西海岸,特にサンフランシスコ周辺などではブームはすでに起きていて、『冬のソナタ』を一足お先に楽しんだ方々は多かったはずです。“コリアンソープオペラ”とこちらで称されていた韓流は、『秋の童話』、『夏の香り』と言ったドラマ、あるいは、中国本土で人気を得ていた『愛しています』とか『人魚姫』だったかもしれません。『秋の童話』は『冬のソナタ』のユン⋅ソクホ監督の作品で、四季シリーズの第一作にあたり、やはり第3作目の『夏の香り』にも主演している“太い炭眉”、“美しい少女?”(とさえ言われた)ソン⋅スンフォンが主人公を演じています。この作品は韓国の1997年、文化輸出国策を背景に,台湾、香港、中国、ベトナム、タイ、シンガポールと言った国々で放送され、爆発的な人気を得て、この流れで、北米に入りました。『冬のソナタ』は日本で、そして、同じく2003年に『チャングムの誓い』が中国本土で旋風を巻き起こす訳ですが、日本の場合、『チャングムの誓い』は50代以上の男性ファンを増やした事で一目置かれています。中国でイ⋅ヨンエは日本でのヨン様のような人気を生みました。『チャングムの誓い』はサンフランシスコ周辺では10万人以上の人が観たとさえ言われています。
 
 日本では韓流の後に華流(ホアリィオウ)が起きたように言われていますが、韓流が韓国の1997年のアジア通貨危機対策が発端なら、華流はやはり1997年の香港返還以降、香港や台湾などのTV,映画人が、中国本土で活躍する場が増え、反対に本土の各界のアーチスト達も、中国本土外での活躍が許されるようになって規制が緩和されて来ているからだと言えるでしょう。日本で「華流」と言う言葉が使われ始めたのは2005年の初頭からです。その前年には中華人民共和国製作の“武侠ドラマ”が放送されるようになりました。その数年前には台湾からの日本の漫画を原作にした“青春恋愛ドラマ”も入って来ていました。F4の『流星花園—花より男子』(「だんご」と読みます)などは台湾で大ヒットし、続いて日本でリメイク、今年の1月初めから、韓国で韓国版 『花より男子』が放送され、すでに人気は韓国だけじゃなく、アジア全区域に及ぼうとしている勢いです。”イケメンは国境を越える“、とはオーバーな表現でしょうが、現実になりました。 日本での「華流」が生み出された背景には、又、日本のBSデジタル放送の開始に伴うコンテンツ不足(番組不足)が指摘されています。

 今日、“韓流”は“流行”であるからして、日本ではすでにブームは過ぎて、下降気味と言われていますが、個人的には,映画などを見ていると,日本での興行収入は減っていても、映画文化としての衰えを感じる事は出来ません。90年代後半から、新たなウェーブが来ているのを、アジア全体に感じます。逆に韓国では「日流」(イルリュ)ブームが起きていて、(イルド族=日本ドラマ族)と言う名前まで頂いているのです。台湾は、昔から哈日族(ハーリーズー)と言う日本大好きな若者が多く住むと言います。アジア全体が1つになって、刺激し合い、合作映画も沢山制作されています。アジア映画はこれからが面白い、と私は思うのですが。

韓国映画:パート1     

 韓国での“ニューウェーブ”は、まず今までの政府コントロールの映画製作から民間企業の援助により国産映画が製作されるようになった時が、始まりの時、ではないかと思います。ついこの間のようにさえ思えますが、時は1992年、スポンサーはサムソン(三星)だったそうです。

 実質的な時期は、もうちょっと後で、韓国の経済が目まぐるしい成長を遂げた後、1999年、韓国で上映された『Shiri』を挙げる人が多いようです。この映画は“始めてのハリウッドスタイルのビックプロダクション 。それも”アクション映画”と言う事に成ります。この映画は事実,むしろ香港アクション映画を思わせる、“バイオレンス”、“アドレナリンの全開放出”スタイルで、私などは見終わった後、クローズショットの多い撮影の仕方にぐったりしてしまったほどです。大ヒットしたこの映画は、南北朝鮮の関係が背景です“Shiri”(『Swiri』が原題)は魚の種名。「南北朝鮮を自由に流れる川の流れ。魚はどっちに帰属せぬとも知らず、どこにでもいる」、二つに分かれてしまった地で自由に泳ぐ魚。韓国の国民のセンチメントを煽る作品でもあったわけです。主演はハン⋅スッキュ(韓石圭と記した方が、覚え易いですよね、日本人には)、チェ⋅ミンシック、そして、アメリカの“Lost”に出演しているキム⋅ユンジンです。監督はカン⋅ジェギュ。のちに『Taegukgi』(太極旗、2004年)を世に出します。

 北朝鮮はと言うと、「現在、年間80本くらいではないか」、と報告されているものの、 過大評価の声が高く、“片手で数える事が出来る数”が、フィチャー映画+ドキュメンタリーの数であろう、と推定されています。しかしながら、最近はアニメの合作製作が盛んになっているのは事実で、韓国との合作アニメが2作あるそうですし、90年代からすでに、北朝鮮の製作スタジオがアメリカのディズニーのサブコントラクターと契約して、『ライオンキング』や『ポカホンタス』の製作に加わったそうです。製作費がかなり安く、 品質は良いという定評はあります。が、今回は、大韓民国こと、韓国を主にお話しさせてください。

 2000年には、『共同警備区域JSA』が大ヒットします。日本でも人気の高いイ⋅ビョンフォン、『チャングムの誓い』のイ⋅ヨンエが出演していますが、北朝鮮の軍曹役のソン⋅ガンホとシン⋅ハギュンの2俳優は、すこぶるチャーミングで、人間味があり、とかく暗く深刻にならざるえない南北朝鮮問題を扱った作品ながら、「国は二つに分かれてしまっていても、そこに住む者は同じ人間、北も南も無い」、と訴えてくるような気がします。この側面の描写がこの映画を秀作にさえしています。監督は私の好きな監督の一人であるパク⋅チャヌク。この作品が上映された韓国は、金大中政権であり、ホームレスの増加、外国籍の労働者の増加、不法滞在者の増加、所得格差の拡大などの問題が国内でありました。前年までも南北関係緊迫状態が全くなかった訳ではないのですが、ともかく、3月には、初めての南北首脳会談が実現していた、背景がありました。 <続く>


バンクーバー新報:2009年、1月29日
 

韓国映画:パート2

韓国映画 パート2

 パク⋅チャヌクはこの後、俗に“復讐—三部作”と言われる『Sympathy for Mr. Vengeance』(2002)、『Old Boy』(2003)そして“『Lady Vengeance』(2005)が続き、すべてヒット作品でした。

 2001年には、パーッと明るい映画が登場します。『My Sassy Girl』(『猟奇的な彼女』と言う題名,良い響きです)。この映画はアジア各地でも上映され、
アジア全体の市場を相手にした初めての映画でした。この作品はアメリカ、日本でのドラマ、そして、ボリウッドでリメイクされました。原作が青年から彼女へのラブレター形式で語られているそうで、インターネット上で話題になった実話だそうです。2005年の日本映画『電車男』もそうですが、インターネット媒体からの小説化、映画化と言う近代発達したパターンの良い一例です。この作品の主人公“猟奇的な彼女”はジョン⋅ジヒョン。この作品の後に、一挙に韓国だけではなく、アジアの大スターになります。日本では、この作品よりも、シリーズ化された2作目『僕の彼女を紹介します』(2004、『Windstruck』)の方がヒットしました。
 
 韓国の身体障害者と、底辺に生きる若者を主人公にした『オアシス』が、ベルリン映画祭で脚光を浴びるのは、2002年です。出演は『力道山』の主人公を演じたソル⋅ギョングと、ムン⋅ソリ。刑務所から出て来たばかりの男と脳性麻痺の女性の愛、と彼らが生きる社会を描いて忘れられない作品となりました。彼らの愛が、周りから理解されない口惜しさ、悲しさ。ムン⋅ソリは、実際に映画撮影前数ヶ月を、脳性麻痺の女性と過ごしたそうですが、その演技は凄まじく、予備知識がなかった私は、本当の障害者を配役したと思っていたほどです。また、
ソル·ギョングはカメレオンのような俳優と言われていますが、刑務所から出て来た男の役の為、がりがりに痩せています。監督はこの作品の後、盧武鉉(ノ·ムション)大統領の文化観光庁大臣を勤めたイ·チァンドン。脚本家,作家でもある彼は、任期を終えて(2003−2004)『Secret Sunshine』(2007)を発表し、カンヌ国際映画祭で、チョン·ドヨンは主演女優賞に輝きました。ヨン様の『Untold Scandal 』(2003)の、彼が落とす若い人妻役を演じた女性、と言えば、分かる方もいらっしゃるかもしれませんが,『Happy End』(1999) の浮気妻、として、私には強烈な印象を残しています。
 
 2003年、カンヌ映画祭で、パク⋅チャヌクの“復習シリーズ”の第2作、『Old Boy』が第2位に入ります。日本の漫画を原作にしたこの作品、近親相姦を扱っています。秀作と呼べる作品だと私は思いますが、こう言う題材の映画を、観客はどう受け止めているのか、いつも興味深く思っています。テレビでは表現出来ない、自宅でゆっくりDVDで見る事を待てないで観に行く映画とは、どんな映画なのでしょうか? これが、観客が見たがっている映画なのだろうか?と。わざわざ映画館に足を運ばせるのが大変な時代に、入っているからです。

 ホラー映画、『A Tale of Two Sisters』は、2億ドルでドリームワークス(1994年に設立されたハリウッドスタジオ。スティーブン⋅スピルバーグも設立者の一人)にリメイクの権利を売却しました。私の好きな、もう一人の監督キム⋅キドックの『Samaritan Girl』(『サマリア』,日本題)が、又、2004年、今度はベルリン国際映画祭で“シルバーベアー賞”を受賞します。彼の映画は、韓国国内ではヒットする作品が少ないのですが、この映画も例に漏れず、少女売春を取り扱っていて、とても一般向けの映画とは言えません。個人的には、彼の『The Isle』(2000年。『魚と寝た女』日本題。タイトルがいいでしょう?)、『Bad Guy』(2001年、『悪い男』)が好きですが、かなり残酷なので、観る事に抵抗を感じる視聴者もいるはずです。また、裸の描写も多いし、セックスシーンもキャンドルの炎の中、ロマンチックにささやく暗闇の二人、なんて、言う事は全くありえませんので、覚悟してください。彼の作品する共通するのは、裸体もセックスも、ポルノを目的にしたものでない為、十分に表現されながら、ポルノから全く遠いものになっているところです。セックスに振り回されている我々人間を笑っているのか、苦笑しているのか、そして、「所詮、人間は動物さ」、と思わせておきながら、無視出来ない不可解な感情の存在を意識し始める。だから、物悲しくなる映画が多いです。しかしながら、最近のキム⋅キドックはその頃の事を思うと、 顔を叛けたくなるような攻撃的な残酷性が無くなって、 優しくなってしまったように思います。

 韓国の“ニューウェーブ”の始まりは、南北朝鮮の問題、国内の社会問題を多く扱っていた点で、日本映画とも、ハリウッド映画とも、違うように思います。始まりから10年以上も経った現在、その傾向が急激に冷め、すっかり資本主義の題材が多くなっているように思えるのは、私の錯覚でしょうか。<続く>

バンクーバー新報:2009年 2月26日

韓国映画:パート3

 韓国映画の“ニューウェーブ”は、1967年に“スクリーンクオータ制”と言う制度が設けられたために、こぎつけることができた“ウェーブ”でもあると思います。この制度は「一年に最低何日、国内の劇場で国産映画を上映して、自国の映画市場を確保する規制」の事をいいます。映画製作数が多い国は何処だと思われますか? 1位はインド。ボリウッドです。2位はハリウッド、アメリカ。3位は香港の順です。が、上映興行収入が一番多いのは、ダントツ、ハリウッドです。言わずとも、韓国映画もハリウッド映画に押されて来ています。今は「年間73日」だそうですが、この“クオータ”制があるのと無いのとでは、映画のあり方が自ら違って来ます。韓国が、国内映画の観客動員数をある程度確保出来るのは、政府が規制を定めている故で、40年も続いている制度を、そのまま改正せずに、今の資本主義の韓国映画界にそのまま施行しているのではありません。今までも幾度か改正されてきましたが、それでも、この制度があったお陰で、映画のコピー、密売、海賊版の市場への放出を最低限に食い止めていられ、映画上映後の健康的なDVD売り上げも確保されると言うものです。

 この制度に反対する意見としては、現在のこのシステムでは、「質の悪い国産映画を、数合わせだけの為に多産する可能性があり、お金と人材の無駄使いである」と言うものだそうで、「国産映画の品質を上げる事が、また韓国映画界を剛健にさせる重要な要素」であり、「クオータ制は反対に生温い安易な市場を確保していて、悪影響である」。世界映画市場で、韓国映画が“コンペェティティブ”でいるためには、「やはり国内での競争が厳しい環境に置く事によってのみ生まれ、それ以外ない」、と言う考えのようです。この“クオータ”制は1927年にイギリスで取り入れられた制度だそうです。現在、イギリスの他、フランス、ブラジル、パキスタン、イタリアなどが、このシステムを導入しています。では、大きな失敗例を一つ。1994年に、メキシコはNAFTA(North American Free Trade Agreement)をアメリカと結んだ時に、ハリウッド映画に飲み込まれてしまう事を防ぐ為にあった“クオータ”制を取り払わざるおえなくなります。その結果、多い時には年間100本以上も製作していたメキシコの映画産業は、その後10年間に製作された数、なんと平均年4本くらい(本当かいな?)と言うところまで落ち込んでしまった、と言われています。

 最近の映画で気に入ったのは、美しいイ⋅ジュンギとガム⋅ウソンの『 King and the Clown』(2005)。日本ではヒットしなかったのが、不思議です。ガム·ウソンの愛情の表現は,表情と目線だけであるのに、参った、とつぶやいていました。違和感が全くありません。イ·ジュンギはこの作品前までは、新人に等しかったのですが、この作品で演技力、スター性を認められる事になりました。“女より美しい男”と言われましたが、映画での彼は本当に美しいです。大柄ながら、身のこなしが艶かしい。この作品は同性愛が暗示されていますが、1千2百万人が見たそうで、大ヒットしました。映画の良さを考えると、同性愛は大した事ではなかったようです。これは、同時に、韓国人が絶対受け入れる事はないと言われた分野ですが、この映画がなんなくバーを超えてしまいました。最近チョ·インソンとチュ·ジンモの映画『霜花店』(2008)も大ヒットで、もっとオープンな表現で話題になっていますが、これも難なく、美しい男優二人のお陰で、韓国人は受け入れた、と自らの許容度に驚いている節さえあります。映画における性的表現のタブーは、何処の国でも小さな問題では無い時勢ですが、韓国も2005年の『王の男』からたった3年で、予告編に半裸の男優二人が登場しています。また、外国映画の成人向け映画が公開される度に、韓国映画の性的表現のレベルも上がり(オープン?露出度の加速化?)表現方法も多様化したと見られています。ただいまの話題は、米国映画『ショートバス』(2006)で、「青少年観覧不可」と「わいせつ物相当」の間に、「制限上映許可」の等級が必要か否かの論争が大法院(日本の最高裁判所に当たる)で起きている事です。
 
 俳優パク⋅ヘイルが良い、『Memories of Murder』(2003)と『Rules of Dating』(2005)。前者は実際に起きた強姦殺人事件を映画化した作品です。ソン·ガンホが刑事役ですので、コメディ?と勘ぐってしまいますが、彼のお陰で暗い話も少しは陽が当たったかもしれません。観客にも評論家にも受けが良かった秀作です。 後者は、大したストーリーも無いのに、バク·ヘイルだから面白い映画です。カン⋅ウースック監督の“公共の敵−3部作”:『Public Enemy』(2002)、『Another Public Enemy』(2005)、『Public Enemy Returns』(2008)がお薦めです。その他には勿論、パク⋅チャヌク監督の ”復讐−3部作“、そしてキム⋅キドック監督の作品ですが、これは、かなり好き嫌いがあると思いますので、リベラルを自称する映画好きな方にだけ、お薦めと言うことにしておきます。コメディでは、『200Lb Beauty』(『カンナさん大成功!』日本題)、日本の漫画が原作で、メーキャップに力が入ってます。相手役は『ハッピーエンド』のチュ·ジンモ、楽々自然体です。これからも、面白い映画が公開を待っています。お楽しみに。

バンクーバー新報:2009年 4月2日

『スキヤキ⋅ウェスタンジャンゴ』(2007年)

 三池崇史監督は、“ショッキング”そして“残虐”がぴったりな監督です。『オーデション』(1991)、『殺し屋1』(2001) などは、もうすごい。香港映画の機関銃をぶっかますバイオレンスとも違って、残酷で冷血なバイオレンス。それだけじゃない、変態性も煌めいています。だから、ヤクザ映画、ホラー映画、コメディとジャンルも多岐に渡り、多作なのも知っていながら、変態的な性傾錯、バイオレンスが起こす血の騒ぎが強すぎて、苦手でした。しかし、彼の映画は10年も前から、外国で高く評価されて来ています。

『スキヤキ⋅ウェスタンジャンゴ』は始めから、英語圏で公開する事を意識して製作された作品です。言語が英語で、俳優が皆英語を話しています。日本向け版は、わざわざ出演者達が日本語で吹き替えをしています。また、Blue-ray デスク版が日本映画で始めて製作されたそうです。彼らの英語は、特訓のお陰もあり、スラングまで使って、間違ってもいないのですが、とにかく、残念なことに何を言っているのか、分からない。仕方なく、英語字幕を付けて見ました。新しい開拓地を切り開いた、とは言えますが、残念。英語の上手さの問題じゃないのですよ。悲しいかな。自分の言葉じゃない言語で、言葉の中に感情を込めるのがいかに難しいか?!バイリンガルに生まれ育った人にしか出来ないような芸当を、三池崇史監督はやろうとした。
 
 ところが、私の夫は、この映画は「ジョークなんだよ」と言うじゃないですか?「が、失敗したんだ。おもしろくない」と付け加えて。「待って!分かんないよ!」と私は思わず叫んだのです。ダイアローグを英語にしたのは、どう言う意図だったのかな? だったら、アメリカ人に日本語話させて、ちょんまげで時代劇やった方がおもしろかったはずです。勿論、アメリカ人が日本語話したら、字幕がいるでしょ。ハリウッド版の日本人、中国人、言葉にならない事しゃべって,字幕が付くのとか、大体、日本人中国人の区別もないで、平然と花魁のような格好のウェートレスを出して、日本のレストランなんか描かれていますもの。めちゃめちゃな設定が多いじゃないですか、すでに。で、ジョークはなんだったの?と。英語字幕はあくまでもオプションでしたよ。 

ストーリーは,源氏,平家の争いが元になっています。「壇ノ浦から数百年後、平家も源氏もすっかり落ちぶれ、寒村に眠る宝。そこへ、伊藤英明演じる凄腕ガンマンがやって来て…」と言うあらすじ。PG12指定(アメリカでは13なのですけど、日本にはPG12があるらしい)なのだが、一体何処を見て、PG12にしたのか、首を傾げる。拳銃や機関銃の戦闘シーンも、いろんなものがぶっ飛ぶバイオレンスに加え、主演の伊勢谷友介と木村佳乃が関係を持つシーンから、伊藤英明とのベットシーン、あるいは木村佳乃のソロのダンスシーンもなんとも妖しげで、フォアプレイとして表現されているとしか思えないし、その上長いので、12歳の子供には、過激過ぎる。

 この映画の面白みは、アメリカの監督、クエンティン⋅タランティーノも俳優として参加しているほどの俳優勢。佐藤浩市、桃井かおり、堺雅人、小栗旬など豪華な出演者達で、 いるだけでつい見てしまう香川照之が、頼りないシェリフ役、石橋連司や、松重豊などの俳優も見ているだけで、面白い。それから、拳銃の扱い、乗馬カットもスタントも上手く仕上がっています。コメディとしては、あまり笑えなかったけど、日本語だったら、面白かったかな? 日本語吹き替えの日本向けバージョンを見たくなりました。“Making of”は面白かったので、撮影は楽しかったと思われます。

 三池崇史の映画の魅力を、ブラックユーモアの存在や、センチメンタル性で語る人が多いことが、彼の映画の人気を物語っていえると言えるでしょう。ヤクザもの、黒社会ものを得意とし、彼の漫画/劇画のような構図展開、描写スタイル、ヒップ性とでもいいますか、を考えますと、娯楽映画として十分にいろんなジャンルを駆使する万能性を持ち合わせた監督です。でも、女性を、(フェミニストでもなんでもないですが私は、)素敵に描ける人ではないです。男社会を描く人。従って女は飾り物以上にも以下にもなりません。そして、何故かどこか、サディスティックな、暗さが見え隠れしているように感じます。公の場で、彼が外す事の無い真っ黒なサングラスが、その演出を助けているのかも知れません。

 日本映画界の奇才と呼ばれる監督ですから、一般観客向けの作品としては、『交渉人』(2003)と『ゼブラーマン』(2004)の2本をお薦めします。『交渉人』は、三上博史演じるFBI仕込みの警視庁犯罪交渉人/ニゴシエーター(人質犯と交渉する訓練を受けた人)が巻き込まれる事件に,彼に指名されて参加する鶴田真由が、若いニゴシエーター役。ツイストがついて、プロットがしっかりしています。なぜなら、原作は第2回ホラーサスペンス賞を受賞した、五十嵐貴久。『ゼブラーマン』は、彼らしくない作品です。哀川翔が、ヤクザではなくて、冴えない小学校の教師で、最後には本物のヒーローになる、と言う話です。夢があってとても良い作品です。これらなら、バイオレンスやショッキングが苦手な人も楽しめますし、作品としてもストーリーしっかりしていて、良い作品と言えます。

バンクーバー新報:2009年、4月23日

『盲山』/『 ブラインド マウンテン』(2007)

 台湾生まれで日本在住の黄 文雄(コウ・ブンユウ,日本語読み)の「中国人の本性」や、上海生まれの中国人、やはり日本在住の莫 邦富(モー·バンフ)の「蛇頭/スネークヘッド」などの読物、あるいは、今まで新聞で読んだり、ニュースで見た事柄が、実際に起こっている事だと実感として認識するのは、非常に難しいと思うのに、このように映画の形を取ると、瞬時的なニュースより、真実を長く生かしておけるのですね。国外での、公共の認識度の向上や人権尊重の運動を、映画が肩代わりしてやってくれている。最近の中国映画の中にも、中国政府に嫌われても、“話さずにいられない”欲求が強いものがあり、その声がちゃんと私達に届いて来ています。

 監督の李楊(Li Yang)は、アジア各地で増えている、海外でも教育を受けた人物で、ニューウェーブに大切な要素です。彼らが新しい“流れ”になっているのは、自然ななりゆきです。彼の最初の映画は、『ブラインド シャフト』(盲 井)、中国本土で放映禁止になりました。二人の炭坑労働者を主人公に、危険な仕事場、炭坑に集まる人々、死亡した労働者の賠償金目当てに、殺人を繰り返す労働者達を描いた作品です。ドイツでは、ドキュメンタリー映画を撮っていた彼なので、手持ちカメラでの撮影、自然な音声の録音などの撮影技法が使われていて、夢を与える映画作りとは程遠い、現実的なアプローチのかたちとなりました。なによりも、炭坑に働きに出る地方からの労働者を扱っているのが、時代を反映していて、良い作品と言えます。

 中国政府から干されていた彼が、不可解にも、ある日突然、彼自身にも不可解ながら2作目を製作する許可が降りて、この『ブラインド·マウンテン』(盲山)を製作しました。大学を卒業したばかりの女性が、就職難のため仕事が見つからず、漢方薬の仕事を見つけて来て、弟の教育費の足しになるようにと、中年の男性の上司と、もう一人は彼女と同じくらいの年齢の女性で(彼女と同じ立場、身分と思わせる言動ですが)、と3人で連れ立って、山奥へと旅して行きます。目的地に着いて、お茶を出されて、目が覚めると、彼女は一人で、同伴して来た二人は消えています。財布も身分証明書も紛失しています。そこで、だまされて農家の嫁にと売られたことを知る訳です。1990年代の始めの設定ですが、女児を買って、小さい時から、嫁になるべく教育して、将来息子の嫁とする風習は“童養媳”(トンヤンシー)と呼ばれ、中国の農村では根強く、古くからあるそうです。中国の“一人っ子政策”は、“殺嬰”(嬰児殺し)を生み、“婦女誘拐”や、“人身売買”、“売春”などで中国本土内では事足らず、台湾、香港まで波紋を呼んでいるそうです。この映画が国内で、あるいは、外国で放映された事実自体、不思議でさえありますが、もっとも、カンヌ映画祭に出品するために、(中国がこの作品を自ら選別したとは思えないが)中国政府は20以上のカットを強要したそうです。ラストシーンも幾つかの“終わり方”を用意し、撮影しました。時代設定も1990年代の始めとしていますが、原作でも、20年経とうとしている現在でも、何も変わっていないと言う事であり、よって、カットされた場面が、何を意味するのか、想像出来ます。しかしながら、こうして、この作品が海外に紹介された訳ですから、明らかに、中国の中でも確実に変化が起きてる、と言うしか無いでしょう。
 
 主人公の女学生を除いては、皆素人を起用したそうです。キャラクターの描かれ方が貧しいなどと、評されていますが、確かに硬さが見られるものの、演技をしない(あるいは、しているが、訓練に欠ける)存在感は強烈です。肌は皆、日に焼け浅黒く、革のようで、どの顔も深く皺が刻まれています。痩せこけた小さな体。真っ黒な爪先。歯並びもひどい。生身の人間が、確かに存在している事に、圧倒されてしまうでしょう。演技なんて、わざとらしいなら、しなくていい。彼らの存在事態が、すでに、見繕う必要の無い現実そのものなのですから。勿論、私とは違って、違和感を主張する評も多いのは事実です。女性を、子を孕む家畜ぐらいにしか見ない農村の生活、手に入れた妻をあたかも豚を飼うように扱って来た人達にとって、一人の売られた女性などは、珍しい事ではなく、日常茶飯事の“生きて行く事”の一部でしかない。が、もっと胸を痛めるのは、村全体がそうなのではなく、多分、中国全体がこう言う状態じゃないか、と思わせる、縮図を見ていると言う観念を、私達が自覚するからではないでしょうか。それと対照に北方の寒村の自然の美しさが、胸に沁みます。こんなにも美しい自然と共存する農民。女の子や若い女性がいない山奥の村。アング・リー(李安)監督の初期の作品の撮影を担当して有名な、リン・ジョングがカメラマンです。監督のドキュメンタリースタイルは健在で、音楽も必要程度にしか入っていません。別のサブキャラクターは全く描かれていないし、クローズアップも少なく、ただそこにいて、目撃したというような形で撮影されています。

 中国は今や、“向銭看”(金銭優先)に成り果てた、と嘆かれるか、どうか、まずは、この作品を見て頂く事をお薦めします。近代化が進んでいる中国は、その過程で、伝統や民族意識、価値観、罪悪の観念などを無くしてしまったのでしょうか。私欲や私益のためだけを考える民族に成り果ててしまったか、果たして、中国はアメリカのように大国に成り得るのか? そんな疑問の答えさえ、この映画は示唆しているようです。

バンクーバー新報:2009年、5月28日

香港映画 パート1

 現在、繁栄期を過ぎた“post-boom”期にいるのが、香港映画です。1990年代半ばには、すでに鑑賞券の売れ行きは、がた落ち、それに伴う収益は半分まで下がったと言われます。香港の中国政府への返還での市場拡大という思惑は外れ、映画製作数も1900年代の末には、やはり半数以下の年間100本程度にまでなります。(とは言え、多くは”カタゴリー3”、大人のみ、のソフトコアポルノ映画だそうですが)これに拍車をかけるように、アメリカからの大ヒット作品が映画売り上げの上位に入るようになります。同時に、ジャッキー·チェン、ジェット·リーなどのカンフースターが、アメリカで注目されるようになるのですが。

 香港は長い間イギリスのコロニーであったので、中国本土や台湾などを較べると、政治的、経済的にも、かなり自由が効きましたから、中国語圏での映画中心地としての地位を欲しいままにして来た、と言っていいでしょう。ハリウッドが世界的にも幅を利かせるようになる1980年代から1990年代の初め、香港映画界は、中国語圏のアジア全域を圧倒的に支配した映画繁栄期でした。今でも、映画産業国第3位、輸出国としてもハリウッドに次ぎ、2位です。

 香港映画は、何と言っても、“香港アクション映画”で知られ、アメリカのアクション映画は大半“香港アクション映画”に影響されていると言っても、けっして過言ではありません。香港映画の熱心な信者も多いです。たとえば、マーティン·スコセーシィ監督やクウェンティン·タランテーノ監督などがいます。カンフー映画になると、アメリカの一般市民にも十分に浸透して、ジャッキー·チェンの名前は良く知られており、個人的なヒーローに挙げる子供も多いのでは? そして当然ながら、香港もハリウッド要素をふんだんに取り入れて、世界的な要求に合わせています。“1分に1回のスリル”、速いペースにクイックな編集。観客の注意力を外さないコツには素晴らしいものがあります。また、アクション「振り付け師」は、今や世界中で引っ張りだこです。

 “スターシステム”が根強いのも、香港映画の特徴です。香港映画初期の頃、本国の京劇のスターを連れて来て撮影した時代から、現在は、広東語香港ポップ音楽界との親密な関係があげられますが、ポップと映画共存は、香港ならではとも言えます。映画スターは同時にポップスターであり、ポップスターは映画スターでもあるのです。アンデイ·ラウ(劉徳華)、レオン·ライ(黎明)、アーロン·クォック(郭富城)、ジャッキー·チュン(張學友) の ”香港四大天王”、イーキン·チェン、ザ·ツイン、ミリヤム·ヤン、ケリー·チャン、ジョーダン·チャン(陳小春)とリストは長々と続きます。

 個人的には、輸出を考慮にして口パクのサイレントで映画を撮影していた後、マンダリン語を放棄して、広東語だけで撮影するようになってからの、香港映画。ここから、香港映画はおもしろくなっているように思います。どちらにしても、香港映画は、第二次世界大戦後からが、事実上、“香港”映画の始まり、と私は見ています。この60年間の歴史は、京劇から、武侠映画、コメディ,ブルース·リーのカンフー映画、ショーブラーザーススタジオ、ゴールデンハーベストスタジオとジャッキーチェン、そして、香港映画の繁栄期、の流れでやって来ました。洗練されたテクニカル技法、ビジュアルスタイル、先端をいくスペシャル映画技法で大衆が好むコメディ、アクションが納められて行く、それも、時には、1本の映画にです。ハリウッドのコピーと言われずに、独自に中国的な価値観、文化、習慣、伝統などを残した為か、エネルギィシュ、スーリアルなイマジネーションを感じる香港の映画界でした。現在は“低迷期”すなわち、“香港映画界の危機”と見られています。そして、これから、数年が、(数十年にはならないような気が、個人的にはしています)別の何かに変わる“変換期‘と言われるか、アジア全体を結ぶ大きなハブとしての香港、”パンーアジア期“の中心地と呼ばれるかどうかの瀬戸際なのかもしれません。
 
 香港映画が世界へのアピールを掴んだのは、やはり、武術映画ではなかったか、と思います。これには、アメリカ生まれ、香港育ちのブルース·リーの出現が大きかったはずです。彼以前にも、少林寺拳法なるカンフーも有名ではありましたが、ブルース·リーがカンフーを世界に通じる名詞にしたきらいがあります。現在ではジャッキー·チェン、ジェット·リー(李連杰)、ドニー·エン(甄子丹)、サモ·ハン(洪金宝)などが有名です。スター達も香港映画の繁栄期、この時期に多産しています。ジャッキー·チェン(成龍)以外に、チョウ·ユンファ(周潤發)、トニー·ルング(梁朝偉)、ステェファン·チャウ(周星馳),マギー·チェン(張 曼玉),ミッシェル·ヨー(楊紫瓊)などは世界的にも有名です。

 ざっと、スターの名前だけ沢山上がってしまいましたが、次回は映画の話をしましょう。ポスト繁栄期香港ではありますが、アジア各国のように、1990年代後半から、2000年代は良い作品が沢山生まれています。<続く>


バンクーバー新報:2009年、6月18日

香港映画:パート2

 1990年代後半から、2000年代、活躍の目立った監督と言えば、ジョニー·トー(Johnnie To、と英語で記しておきます、捜し易いように)監督、アンドリュー·ラウ(Andrew Lau)監督、そして、コメディアン周星馳(Stephen Chow) 監督ではないかと思います。80年代初めから、90年代初めが香港映画の“繁栄期”だと言われていますから、私のようにこの頃、王家衛(ウオン·ガーウエイ)や、吳宇森(ジョン·ウー)のファンになられた方も多いと思います。この時代の香港映画は、確かに輝いています。しかしながら、最近幾本かの香港映画もこの時代に負けるとも劣らず、だと私は思います。今は、かつてのゴーデンエイジの輝きはないものの、今まで以上に磨きをかけられたアクション映画、アジア各地から参加するパン·アジア的な俳優軍、演出軍とのコラボレーションは確実に進んでいます。そして、少し意外なのですが、夢を運んで来た映画界は、現実的な香港を描写し始めているような気がします。

 ジョニー·トーは、アクション映画だけでなく、コメディや、ロマンチックコメディなどでも、多くの人気高いヒットを納めている監督です。黒社会(香港マフィア)を描いた”the Mission”(1999)、アンソニー·ウオング、フランシス·ン(吳鎮宇)、ロイ·チャング、サイモン·ヤム(任達華)、スエッ·ラムが出ています。一気に見られます。サスペンス、バイオレンス(は、やや仕方ないと思ってください)、スリル満点です。娯楽、娯楽、娯楽の一言です。警部が主人公の『Running out of time』(1999)、『Running on Karma』(2003)、爆弾魔と特別警察を描いた、『Breaking News』(2004) 台湾人のリッチー·レンがいいです。ケリー·チャンはクールなニゴシエーター役。そして、2本とも“カテゴリー3”に指定された『Election』(2003)と『Election 2/Triniad election』(2006)、かなりバイオレンスですが、リベラルな人にはぜひ見て頂きたい香港マフィア映画の傑作、と私は思います。演技の幅が広いトニー ·ルング·カーフェイ(梁家輝)と、2の方では、いつも温和なプレイボーイ風、日焼けハンサムイメージのルイス ·クー(古天樂)が豹変、凄いです。サイモン·ヤムも悪役を随分粉していますが、さすがに『Full Contact』(1992)でゲイの裁判官を演じたのを見てから驚かなくなりましたが、モデル出身のハンサムはここでも、貫禄です。何よりも、暗黒会を描く映画は以前にも多いのですが、『Election』シリ―ズ2作は、これからの中国本土と香港の関係を描いていて興味深く、『Exiled』(2007)は、マカオを舞台に『the mission』の俳優軍にリッチー·レン(任賢齊)を加え、足を洗おうとするギャングメンバーと黒社会を描いています。もうエキサイティングです。ガンシーンも見事ですし、ショット、カットもスタイリッシュで、格好いい現代版ウェスタンです。ひたすら娯楽映画です。

 マーティン·スコセーシィ監督のアカデミー受賞作『Departed』はマット·デモン、レオナード·ディカプリオとジャック·ニコルソン主演の映画ですが、『Infernal Affairs』(原題『無間道』、2002)、『infernal Affairs II』(2003)、 『Infernal Affairs III』(2003)の『Infernal Affairs』3部作のリメイクです。外国映画のリメイクでアカデミーを受賞するのも初めてだったそうです。監督は、アンドリュー·ラウとアラン·マックです。私は『Infernal Affairs”』(1を指す)は香港映画の傑作の一本と考えています。俳優軍も豪華で、最初はそれを前宣伝に利用したようですが、プロットのオリジナル性と、軽快なテンポで語られて行く、ストーリーの語り口は素晴らしい、の一言です。40代半ばにして、自他ともに認めるアイドルである、アンディ·ラウ(劉紱華)の悪役が冴えています。『ラスト·コーション』のトニー·ルング(akaトニー·レオン、梁朝偉)は、ここでは暗黒会に潜む警察のもぐら役。アンソニー·ウオング(黄秋生)の警察本部長、エリック·ツァング(會志偉)の暗黒界のボス、ケリー·チェンが、トニー·ルングが恋に落ちる精神科の女医。サミー·チャングが、アンディ·ラウの妻(夫の真の正体を知らない、純情な)を演じています。原題の“無間道”とは、仏教での一番底辺に属する深い地獄のことだそうです。カットもテンポもショットも唸りますが、なにより、トニー·ルングの戸惑ったような存在感、(それこそ、これが彼の演技力であるのですが)と、アンディ·ラウの意外な配役と、その信憑性と言いますか。悪役をむしろ好んで演じる香港俳優達を見る楽しみ、を生んでくれます。ちょっと前までの香港映画界は、多産ですから、出演作品が100本以上なんて俳優も珍しくない訳で、それこそ、いろんな役で楽しませてくれてもいいじゃないか、と思うのですが、それでもそう簡単ではない事のようです。私は悪役を楽しむタイプでして、そこには美学まで感じます。アンドリュウ·ラウ監督には、スピンオフの映画でシリーズ化された映画に、コミックブックを原作にした『Young and Dangerous』(1996-2001) があります。ポップ界のスターでもあるイーキン·チェング(鄭伊健)とジョーダン·チェン(陳小春)が主人公です。これは、裏の黒社会の若いメンバーを描いて、人気が高く、11本もの続編が全てヒットしました。キャストが豪華で、ロイ·チャング、フランシス·ン、サイモン·ヤム、アンソニー·ウォングなどの他、サム·リー、ニコラス·ツェや、シュー·チーなどが若いメンバーで出ています。
 
 ステェファン·チャウこと周星馳も現代香港のスーパースターです。コメディカンフー映画の奇才。どうしようもない下ネタジョークも作品の中には多いのに、子供に見せても有害性を感じさせない、と言う、好感度大の俳優でもあります。<続く>

バンクーバー新報:2009年,7月9日

香港映画:パート3

 家族で見ても文句無く楽しめるのは、ステェファン·チャウ(aka チャウ·シンチー、 周星馳 )脚本、監督、主演『Shaolin Soccer』(2001)と『Kung Fu Hustle』(2004)です。ドタバタ振りで笑ってしまうため、結構凄い事になっていても、笑い転げてしまいます。新作”CJ7/長江七号”(2008)は、手放しで「スイート」と絶賛出来ます。男の子が主役ですが、演じているのは女の子で、知らなければ全く分かりません。
 
 『Kung Fu Hustle』は、撮影の3分の2はファイティングシーンに費やされたそうですが、出演者も、1970年代のアクションスター、ブルースリーのスタントダブルだったユエン·ワッが”Pig sty Alley”(豚小屋街)の家主役、くわえタバコ妻女家主には、ユエン·チュー。「Beast」役には、周星馳の少年時代の武道ヒーローだったルング·シュー·ルング。彼は1970年代、1980年代を通して、ブルースリー、ジャッキーチェンに次ぐ、「Third Dragon」と言われた人物だそうで、15年振りにスクリーンに戻って来てくれたそうです。他にも、有名な映画監督が二人も、カメオ出演(意外な所で、ちょっと出演する事)していますので、目を離せません。周星馳は、香港では20年以上も活躍している大スターで、映画監督としても、10年以上の経験があります。彼の映画が今までウェスタン文化にアピールしなかったのは、彼独自のコメディセンスが、中国人文化の中で生きるものであったからだ、と言われていますが、来るべき時が来たのかな。本来はだじゃれも、語呂合わせも、二重の意味も広東語が分かる視聴者がいて、初めて面白いものだそうです。

 その彼が、カンフー物を扱って初めてアジア圏を飛び出した『Shaolin Soccer』は、なんとメインキャラの内3人は、素人を使っているのですよ。元プロダクションマネージャーだったり、脚本家、ダンスの振り付け師なんてのも。彼らは、そのまま、『Kung Fu Hustle』にも出演しています。6人兄弟のデブの末っ子「Weight Vest」役のLam Chi Chungなどは、周星馳の脚本家でしたが、俳優として参加、その後、別の監督の映画にも俳優として参加しています。彼の作品に欠かせない、ベテランNg Man Tat(吳 孟達 :ン·マンタ)は、ここでは、「Golden leg」コーチ役で、強烈な存在感です。香港では、 香港独自の「Mo Lei Tau」コメディ(脳無し、意味無し、行き当たりばったりとか言う意味だそうです。)で、周星馳のサイドキックで有名な事から、そして、実際に「おじ役」が多いため、“タットおじ”(さん)とさえ呼ばれているそうですが、イメージが定着してしまうのを怖れてか(喧嘩別れをした、と言う説も)、『Shaolin Soccer』から、周星馳と共演をしていないようです。 しかし、非常に幅広い演技で有名な俳優だそうですから、他の映画で彼を見る事が出来るでしょう。外見はいかにも誰かのおじさんで、人懐っこい笑顔が最高です。中国本土からVicky Zhao(趙薇、現代中国を代表する若手女優の一人)が、何故か顔には吹き出物が一杯の周星馳の恋の相手役になり、後に坊主頭で登場します。
 
 香港映画「ポスト繁栄期」も10年以上も経ってしまいました。香港映画界の位置の再認識や、時代性を問われる時が来ています。2000年代に出された、ジョンニー·トー監督の前出の『Election』2部作などは、これからの香港の将来への憂いも漂っている点で、とても興味深いものがあります。黒社会も、香港の中国返還後、土地などの資源を求めて、中国本土に進出して行かなければならなくなる。それも、香港黒社会だけを相手にするのはなく、中国本土を縄張りとする全国規模の黒社会が存在していないならば、その土地の地方警察との交渉、協力、縄張りの奪い合いを繰り返していく。香港は限られた土地に発展し切ってしまった過剰都市です。これからは、ギャングの死活問題も、中国本土が決める。新しい工場を建てたり、リゾートをオープンしたりするには、土地がない。香港という島であることのメリットが、今までは、島であるために、中国からの直接影響を受け難いと言う長所であったのに、突然、発展の限界リミットとして、存在し始める。

 戦後60年以上経って、香港は中国語圏の映画の中心地になりました。この時期こそ、香港映画が変わらなければいけない時が来ているようです。そろそろ、香港のローカルな社会問題などを反映した、映画の誕生が望まれるところです。

 中国に返還した事で起こっている数々の問題。一時、ブームで押し寄せた、香港への民族大移動。土地改革によって中国本土で 土地を失った農夫達などは、どうしているのでしょうか? 彼らは今、どう言う状態なのか。それでも、香港に押し寄せていると聞くのは、女性達。僻地、農村から稼ぐ為に、夢の為に香港にやってくる中国本土の女性達。愛人の地位を求めて、大都会に集まる女性達(北京、上海、などの他に香港、台湾)もいると聞きます。人身売買で売られたように都会にやって来る女性もいるかもしれません。
 
 それでも、香港はアジアの夢を描き続けるか? 今のままのスタイルで、パンーアジアの中心地になれるのか、どうか?今後も香港映画から目が離せません。

バンクーバー新報:2009年、8月6日

『人のセックスを笑うな』(2008、日本)&『慶祝!私達の愛』(aka『Viva! Love』2008、韓国)

「ラブストーリーを紹介しないのか?」と先日言われました。かねがね「路線が違う」などと、韓国ドラマファンの方々にも言われていたので、お待ちかねのラブストーリーをご紹介しましょう。今回の2作の共通点は、ラブストーリーである事と、年齢差が20歳以上、と言うもので、女性の方が年上です。

『人のセックスを笑うな』は、井口奈美監督。監督としてはこの作品は、まだ3作目、録音助手として、様々な映画に参加して、処女作『海猫』(2001)は4年掛けて製作したそうです。このタイトルは小説の原作者、山崎ナオコーラ氏が付けたものだそうですが、良いタイトルです。忘れないでしょう。が、題名とは裏腹に純愛(こう言う言い方、私はしませんが)映画です。この題名ために、映画宣伝はプライムタイム(大人向け?と言う意味かな?)に放送されたそうです。

 あらすじは、ある地方の町の美術学校、39歳の非常勤講師ユリ(永作博美)。その彼女を好きになってしまう、19歳のみるめ(松山ケンイチ)。その彼に片思いする「えんちゃん」(蒼井優)、その彼女に片思いの「堂本」(忍成修吾)を描いています。ユリは実は結婚していた、と言うのが一番大きな発見ですけど。何も大きな事件は起きない映画です。だからと言って、つまらないか、と早合点するのは損です。“或る愛のかたち”を覗き見してるような映画ですから、少なくとも、好奇心は満たしてくれるはずです。

 なんと言っても、この映画の魅力は主演者の二人にあります。永作博美は、タイプ的に、南果歩、周迅と重なり、童顔でチャーミングです。年齢を感じさせない“若さ”が主人公とそっくりで、とても素敵な自由な女「ユリ」を演じているし、松山ケンイチも「カメラの前が現実?と思ったくらい自然体で演じられた。」と発言しているくらい、“本当にユリに恋愛してた”のでしょう。そのくらい、松山ケンイチもかわいいですから、この映画を見て、「みるめ」君に恋する年上の女性も多いはずです。だが、実際に20以上も年下の男性と恋愛するなんて事は、現実には少ないし、尚かつ、逆に男性がお父さんの年齢なのに、若い女性がおじさんと恋愛する事が、珍しい事ではないことになってる日本では、女として生まれて、つくづく損していると思ってる女性も多いはずです。恋愛とは、人間の不可解な一生のテーマではないか、映画、小説などで、これほど描かれているのに、性懲りも無く、終わりを知らず、答えを求め続け、答えに貪欲な私達。白馬の王子も、最近は若者だけじゃなく中年が多く登場するようになって、恋愛はますます不可解なものとしての存在し続ける、のかもしれません。

「お父さん、ご免なさい、私恋してしまったの」と言う名台詞をイ・ミスクに言わせたオ・ジョオムギュン(Oh Jeom-gyoon)監督の『慶祝!私達の愛』は、男女の年齢が上なので、響き方も違っています。あくまで中年の女性に響く、と言う意味ですけど。作風がコメディとして扱って、世間からの本当のプレッシャーとかは描かれていないので、暗い映画ではありません。だからと言って、軽い映画でもない。いや、彼らが住む所は、豊かでない庶民の住宅地ですから、地位とか、世間体とか、鼻で笑えるくらいの空気があって、受け入れ体勢もずっといいのかもしれません。捨てるものが多い者こそ、恋愛には慎重になります。捨てるものが無い者は、素直に恋愛も出来るか、とね。主人公の年齢設定は50歳くらい。だから。娘に「どうしてこれが本物の恋愛だと分かるの?」と挑まれても、「この年に成れば、分かるのよ」と平然と返せる。良い年して、恋してて、本物かどうか分からないようでは、偽物よ!と言われんばかりの強烈な言葉です。主人公のボンスンを演じるイ・ミスクは、カンヌ映画祭で審査員賞獲得したパク・チャヌク(Park Chan-wook)監督作品『こうもり』(2009,英語題『Thirst』)でも、注目を浴びている女優です。彼女自身も50代と言う事で、女優としても、“誰々の母”と言う役ばかりを、過去10年程は演じて来ました。この映画の面白さの一つは、“母から女に変わる”主人公を見る事にあります。
 
 あらすじは、夫のカラオケ経営を助け、自宅にも数人の下宿生を置き、彼らの食事の支度までする“アジュンマ”(おばさん)ことボンスン。自宅に住む無職の一人娘は、下宿生の一人、グサン、と結婚宣言をしたかと思いきや、突然仕事を得て、ある日突然家出してしまう。傷心のグサンは毎日お酒に溺れる。酔っぱらった彼を背中におぶって帰ったボンスンは、彼と一夜を共にしてしまう。ボンスンの夫の反応も、ボンスンさん以上に細やかに描かれていて、自分には結婚を迫られてもおかしくない愛人がいるのに、20年来生活を共にした妻と離婚するつもりのない自分に驚き、妻の一途な“恋”を理解しようとする姿などは、結婚してる中年男性すべてに見て欲しいくらいです。夫婦とは、家族とはをも、考えさせてくれる作品です。
 
 イ・ミスクの演技の確かさは、この映画を見ても明らかで、彼女の“女”はかわいく、ひたすら一途。自分の気持ちに正直なのも素晴らしい。年を重ねる事は、正直にもしてくれないらしい、と当たり前の事を考えさせてくれた作品です。家族のいない薄幸のグサン役は、キム・ヨンミンが演じており、キム・キドック(Kim Ki-duck)監督の『Address Unknown』(2001)、『Spring,Summer,Fall,Winter、、And Spring』(2003)の2作に出演している俳優です。私にはこの映画の方がストーリーもキャラクター描写もしっかりしていて好きでしたが、独身で年齢の若い視聴者には、『人のセックスを笑うな』な方がアピールするでしょう。「オバサンと恋愛して何が楽しい?」と鼻で笑う前に、ぜひ、ご覧ください。

ベンクーバー新報:2009年、9月3日