2017年の三が日

あけましておめでとうございます。
平成になってもう30年になんなんとしています。
年齢を重ねることの重さ、祖父母、両親、舅姑が語っていた事々の
意味を、頭ではなく心と体が徐々に感ずるようになってきています。
それは重く物々しい心もちではなく、
むしろごく自然に齎された感覚と言えるものです。
これからの日々の自分のありよう、過ごし方、
手渡し、引き継いで行くものごとの準備のようなものと感じています。
やりたいこと、やるべきことがたくさんあって、
時間を貴重なものと心から感じて過ごせることを有難く思います。


晦日は息子たちの強力な手助けに支えられて、
お節料理作りに一日を費やしました。
娘やNoahは帰国せず、でも作るものの内容も分量も控えることなく
盛大に、楽しみながらの作業でした。





朔日は寝不足と休息感の中でトロンとして過ごし、
二日目はさすがに出し落として失礼してしまった年賀状が気になって、
その補充をし、Face Bookに書き込みしたり、
ちょっと億劫で書き伸ばしていた友人への英文の手紙も仕上げました。
お節もだいぶ目減りして、お重の中身を入れ替え、補充したりも。


三日目も上天気、風もなく暖か、
じっとしていられず庭に出て春の兆しを探しました。
光を受けて輝く黄色い花、

青空に枝を延ばした梅の木には、
もう少し膨らみかけた梅の蕾が春を待ちかねておりました。