隠された障害

 インターンをしていた大学院時代を入れると、かれこれ15年以上障害者の支援に関わってきたが、何年たっても難しい(大事)と思うのは、表向きの障害名に惑わされずに、障害者個人の実生活上の真の「障壁」を発見することである。例えば、ヒロのカレッジには現在約300人近いセンター登録障害学生がいるが、その4割には学習障害がある。学生が自分の問題を理解していて必要なサポートを説明できれば問題ないが、何が必要なのか本人も全くわからないケースが多い。
 つい先日も、料理学専攻の学生のテリーがやって来て、「授業についていけないからチューター(家庭教師)をつけてほしい」と言う。料理学科とはいえ卒業するには、グラムやオンスなどの換算やら原価・小売価格などの計算ができなくてはならず、数学は必須科目である。学習障害のあるテリーには、「テープレコーダー」と「テスト時間延長」という、すべての学習障害学生に共通の「合理的配慮」を認められている。100人以上もいる学習障害学生の個性を無視した金太郎飴式サポートではうまくいくはずがないのだが、上記2つ以外のサポートが必要ならばあとは、学生自身のアドボカシーによって「これこれしかじかのサポートが私には必要」と説明してくれなければ、カウンセラーは途方にくれる。時間をかけてじっくりと学生から話を聞き、何がその学生にとっては「合理的配慮」になるのか、宝探しの如く発掘しなければならない。以下は、テリーとの会話。
ジャクソン・カメレオン。子どもの頭の大きさくらいある

 私:チューターを雇ったら何を手伝ってもらいたい? 一緒にやりたい宿題とか今もってる?
 テリー:だからさ、このオンスからグラムの換算ができないんだよ。去年はこれこれこうで、換算シートがあったからできたんだけど。
 私:じゃ、そのシートがあればいいわけでしょ。先生に頼んでコピーをもらったら?
 テリー:先生に頼んだら、なくしたことがばれて怖いよ。
 私:じゃあ、インターネットでグーグルすれば、たぶんそういう換算プログラムはでてくるよ。見せてあげる(と言って、彼にコンピューター上で見せる)
 テリー:おお、これなら簡単。一カップは約大さじ8杯分なのは知ってたんだ。
 私:そうでしょ、それがわかっていれば、オンスとかも同じ要領よ。
 テリー:そうか、前にこれもやったのを覚えている!
 ラボに来たときは暗い表情で、どちらかと言うと欲求不満な様子でいらいらと話していたテリーも、だんだんと自信がついてきたのか明るく話をし始めた。
 私:あなたは学習障害とかよりも、生活が忙しくなると前のことを忘れたり、心臓がドキドキして不安ばっかりになって、前にできてた計算も気が散ってできなくなっているだけだと思うよ。ここ(彼の頭を指差して)は問題ないけど、ストレスたまるとここ(心臓)のほうが弱るみたいだよ。そういう時は、チューターよりも自分を落ち着かせることが一番の薬だね。
 テリー:は、はは、そうかもね〜
と言って、彼は部屋を出て行った。この間約15分。これは学習障害のある学生が「自分は頭が悪い」と思って「チュータが必要だ」と思いこむケースの例である。確かにチューターが必要な学生も場面も科目もあるが、テリーの場合は話を聞けば聞くほど、「以前はできたことができなくなった」と言うところに鍵があり、彼にはむしろ不安症のほうがメジャーな「障害」になっていたようである。
 専門家にとっては便利なレッテルである「障害名・診断名」に惑わされず、個別の状況からその学生に最も「合理的な配慮」を見つけるためは、時間をかけて本人から情報を集めることが必要だ。表向きの障害名の裏には、実に多様な個人の生活とそれに伴う固有の「障壁」が以外と多いもので、それを見極めるのがカウンセラーの本領だと思う。

重度障害者の発言力

 新しい上司が着任して引継ぎ事項を手伝っている間にあれよあれよと春学期が終了してしまった。終了直前の週は、秋学期のクラスを登録したり、ノートテーカーや手話通訳などの援助サービスを要求する障害学生がたくさんラボを訪ねた。そのうちの3人、ケオ、ラーナ、ダナには重い障害があるためパーソナルアテンダント(PA=介助者)が付き添ってきた。ケオとラーナは春学期からの学生で知的障害がある。新年開講前後の2,3週間はいつもPAが先にラボに入ってきて私と直接話をしたのだが、4ヵ月後の学期終了時には介助者はドアの外で待っていて、彼ら自身がラボに一人で入ってきて私にノートテーカーの要請をしてきた。
 この二人には、連邦政府の障害学生助成プログラムにより通学のために必要なPAが雇われていたのだ。だがPAは障害学生のためにかわりに何かをしてあげる人のことではなく、あくまで黒子に徹しながら徐々に障害学生の独立心と行動力を養成する「介助」をしていた。PA業務の筆頭事項が、障害学生の「セルフ・アドボカシー力」、つまり「自分の障害と必要な援助サービスを理解して、周囲にそれをきちんと要求できる力=合理的自己発言力」を伸ばすことである。4ヶ月間のPAの役割の変化から、ケオとラーナの成長振りがはっきりと見て取れた。

久しぶりに堪能した舟盛

 ダナには思い精神障害があり投薬と心理療法とPAを受けながら生活をしている。彼女は秋学期から学生になるために、夏休みの間もPAと一緒に頻繁にやって来る。先日もPAと一緒に来て「秋学期からの授業にチューター(家庭教師)をつけてほしい」と言う。援助サービスの可否の最終決定権は上司にあるので、「それじゃ上司のカウンセラーに面談予約を取ってあげるから、そこできちんとチューターの要望を言いなさい」と伝えた。ダナのチューター要請は、もちろん最初は、精神保健クリニックかディ・サービスのケース・マネージャーなどから吹き込まれたことかもしれないが、きっかけはどうあれ、障害学生本人がきちんと自分の要望を自分の言葉で伝えられるということは、サービス提供の可否を左右する重要な要因である。アメリカでは18歳が成人年齢なので、大学生はほぼみな法的に成人であり、本人の意思がすべてだからである。
 ダナに個人チューターがつくかどうかは、彼女がキャンパス内の通常のチューター提供所(図書館、ラーニングセンター、コンピューターラボ)のチューターではうまくいかないことを証明しなければならないだろうが、重度の精神障害学生のセルフ・アドボカシーも周囲のサポート機関の一環した援助と教育しだいでは十分に可能であることをダナは証明している。障害の軽重を超え、障害者が必要なサポートを受けるには、何よりも本人の意思決定と発言力がものを言う。

悟りの瞬間

 しばらく執筆をサボっていて「書かなきゃ、書かなきゃ」と思いながらも瞬く間に時が過ぎもう3月も半ば。普段は「書かなきゃ」という強制的な心情になる前に思いつくことが向こうからやって来てすぐパソコンに向かうのだが、2,3週も過ぎてしまうと書かないことのほうが癖になり、自省心にかられながらもずるずるとまた時が過ぎる。
 こういう欝気分でいたある日、ミシェルが「あなたをインタビューしたいのですが、いいですか」と言ってきた。「へっ、何で」と思い聞いてみると、「ヒューマン・サービスのクラスの宿題で、誰かこの分野の仕事に携わっている人に話を聞いてレポートを書かなければならない」のだという。ミシェルは最近アラスカからハワイへ移住してきたばかりで今学期からの新入生。初めて障害学生サービスセンターを訪れた時に、期せずして手話のできるスタッフ(つまり私)に応対されて印象が深かったのと、クラスのすぐ隣がラボだったという利便性もあって私にインタビューすることを思いついたのだという。
久しぶりに出た虹。キャンパスで

 それで彼女は翌週の授業が終わった後にやって来て早速私をインタビューした。クラスで学んだインタビュー技術の基本にのっとり、私がどこでどうやって育ったか、どういういきさつでこの職業に入ったかなど、私の生い立ちなどをいろいろ質問した後、最後に「この仕事をしていて、悟った!と思った瞬間は何ですか」と言う。
 えっ、と私は詰まってしまった。「うーん、悟りの瞬間☆☆ねー、うーん、うーん、何だろう」としばらくうなっているうちにふと前回紹介したルーディの顔がなぜか頭に浮かんできて「そうねー、『悟った瞬間』とかいわれるとそんな境地にはまだ私は至っていないけど、なぜこの仕事を続けているのかといわれれば、そんな大げさなことじゃなくて、もっとシンプルでささやかなことかな。例えば、ずーっと全く暗い表情だった学生が、あるときふっと満面の笑顔を見せた瞬間、わたしもふっと温かい気分になる。そんなささやかな、一見見過ごしてしまうような瞬間が、ここにいると毎日の学生とのかかわりの中である。その一つ一つが私にとって『悟りの瞬間』かな」と答えた。するとミシェルが大きくうなずいて、いかにもレポートに書くべき内容が決まったという顔をして「どうもありがとう!」とインタビューを締めくくった。
 そのミシェルの最後のうなずきと笑顔がまた私にとっての小さなライトバルブ・モーメントだったことに、あとになって気づいた。人間だれでもささやかなことでいいから少しだけ役に立てたかも、という気持ちが一歩前に進ませる。

ヒューマン・サービスHuman Services―社会福祉・精神保健・介護・カウンセリングなど社会福祉全般に携わる職業分野のことだが、もっと広くには接客業など人と関わるすべての職業を含む
☆☆エンライトンメントEnlightenmentの直訳でちょっと大げさだが、軽くには、ピーンと来た瞬間、あるいは漫画によく出てくる電球がピカッと点いた瞬間のことで、英語でも「アハー・モーメント(aha moment)」とか「ライトバルブ・モーメント(lightbulb moment)」という

不安と安心の同居

 2月のこの時期、多くの学生が奨学金や学生ローンの申請をするためにラボにやってくる。申請方法がオンラインだからだ。そのうちの一人、ルーディが最近コンピュータを前に一日に数時間も奨学金申請にタックルしている。何回か顔を合わせたある日、「エッセイのここはこういう書き方でいいか」ともじもじしながら聞いてくるので見てみると、放送禁止用語を使っている。ははぁ、だから遠慮がちに聞くのだな、と思った私は「ええと、これは正式な文書でたぶん識者が読むものだから、もうちょっと客観的に自分を捉えた言い方にしたほうがいいかもね。『○○まみれでドンゾコだったオレの人生』と言うよりも『薬物依存から立ち直った自分』にしたら」と彼にいった。するとルーディは「念を押すけど僕はもう薬物は全くしていないから誤解しないでほしい」という。「心配には及ばないわよ。そういう人はこの大学にはたくさんいるし、麻薬ではなくお酒が違法だった時代も昔はあるくらいで、薬物使用の問題は政治経済がらみだしね」と私がさらりと答えると、彼は半分驚き半分安心の顔をした。おそらく過去に勇気を絞ってこの人は、と思う人に自分の人生を吐露しても、反応は様々だったのだろうか。さげすまれたこともあるのかもしれない。
友人宅でネギ間とカボチャサラダでパーティ

 さてこんないきさつから以後も頻繁にルーディはラボにやってきては奨学金の申請をコツコツと進めている。先週の半ば、「昨日、学習障害の診断テストを半分受けて来週残り半分受けるけど、その後どうすればいい?」と突然聞く。「へぇ、あなたに学習障害があるかもしれないの?」と言うと「いや、まだわからない。でもこの10年以上、オレの人生は問題だらけで何をしてもうまくいかなかった。どうしてなのかわけを知りたいから、その第一歩としてカウンセラーすすめもあって学習障害があるかどうかテストを受けることにした」。
 へぇえ、と思って彼をみると俄かに涙ぐんでいる。私はしばらく沈思して「自分の問題の原因が何なのか探るための努力を自分からしているのは素晴らしいこと。学習障害があるならそれで対策はたくさんあるし、そうでないならまた別の診断テストや検査をすすめられるだろうから、ともかく解決への道へ近づいておめでとう!」と彼に言った。するとルーディは「そうなんだ!自分に何か障害があるかも知れないというのは不安になるけど、ようやくそれが何なのか、これまで自分を苦しめてきた原因が何なのか少しずつわかりかけている、解決が近いところにある、と思うとほっとした気持ちにもなるんだ」と言った。
 ルーディは見たところ30代半ばか。高校をドロップアウトして大検を受けてパスし、昨年の秋学期からカレッジに通っている。刑務所にいたこともあるという。「イヤー、すごい。物事の両面が見えてるよ。あなたはまだまだ若くて先が長いんだから希望を捨てないで生きてね」と人生酸いも甘いも噛み分けた年配者のようなことを思わず言ってしまったが、彼がようやく笑顔を見せたのでこの話はとりあえずめでたし、めでたし。

「障害者らしく」ない障害者

 ある日ラボに学生が来て、「隣の教室の授業が始まるまで、廊下で座って待ちたいのでいすを貸してくれないか」と言う。見たことのない顔だったので「障害学生サービスセンターに登録してますか?」と聞いた。ラボの備品を見知らぬ人に貸せないし、廊下にいすや家具を出して通路を妨げてはいけないことになっている。「ラボで待てば」と言おうと思ったのだが、センター登録してない学生は使えない。早めにキャンパスに着いた学生は通常、外のベンチで待つか、廊下で立って待たねばならない。彼女は「いや登録はしていないけど、線維筋痛症とかいろいろ痛みを伴う複数の障害がある」と言い、ハンドバッグ一杯の多種多様の薬のボトルを開いて見せた。「あそこにベンチがあるけど」とドアの外を指差すと、そのベンチは遠くて歩くと痛みが走る、と言う。このような堂々巡りの末、私は「あのね、障害学生サービスセンターに登録しておいたら?サービスを使わないかもしれないけど、登録してここのラボをいつでも使えるようにしておいたら便利でしょ?それに、痛みがそんなにあるならテストのときとか大変じゃない?テスト時間延長のサービスを受けられるかもしれないよ」と言った。すると「あら、そういうのがあるとは知らなかった。じゃあ、登録する」。そこで私はセンターの申し込み書と医師の障害証明をもらうための閲覧許可願いを彼女に渡しながら「じゃあ、今日からこのラボを使っていいよ」と彼女に言った。
ハワイ島ヒロの北20分ほどのワイレアという町で年末に餅つき会がある。そこで披露された琉球太鼓のデモンストレーション

 すると彼女は、「講師に『障害があって痛みがひどいから。。』と言ってもあまり信じてもらえない」とさらに話しはじめた。いろいろ痛みがあるために宿題提出期限延長とかお願いしても「君は障害者には見えない、成績もいいし、大丈夫、大丈夫」と無視される。「私、お化粧もちゃんとするから平均的な学生よりもきちんとして見られるのが災いしているのかも」と言う。
 この話は「障害者は障害者らしく」なければ信じられない、という世間一般の障害に対する理解レベルを示唆している。「あなたには見えない障害があって個人交渉だけではなかなか信じてもらえない。だから、障害サービスセンターに登録しておけば、センターから援助サービスを説明した手紙を講師に出すことができるから、あなたの個人交渉にもはくがつくよ。バックアップとしてセンター登録しておくのは悪くないんじゃない?」。それを聞いた彼女は「なるほどね。やっぱりここへ来てみて良かった」。この間約30分。あっという間に授業開始の時刻になって、彼女は隣の教室へ移っていった。
 盲や聾、車椅子の利用者というのは昔からわかりやすい障害者の例として、誰にでもイメージが浮かぶだろう。でも実際は外から見えない障害を持っている人のほうが何倍も多い。「盲・聾・車椅子」など明らかに見える障害を持つ人だけが障害者のすべてではないのだが、世間一般にはまだまだ啓蒙が足りず、大学の講師でさえ上のような反応を示す。ただし、これも見えない障害をもつ人自身が、もっと上記の学生のように自分から説明をしようとする努力をして初めて世間も啓蒙されるというものだ。世間はやはりお互い様である。

未知の障害にチャレンジ

 アメリカの大学で障害学生サービスセンターのサポートを受けるには、学生自ら1)障害のあることを申し出て、2)医師や心理士やソーシャルワーカーなど有資格の専門家からその証明をもらって提出すること、の二つが必要である。これはADAによって規定されている条件である。高校卒業までは親や教師など周りの大人が障害を見つけサポートもすべてお膳立てされて生徒は何もしなくてもよかったのが、18歳(成人)になったとたん自由意思で障害の告白を課される(この劇的変化については月日号参照)。変化に慣れるだけでも一苦労なのだが、自分の障害について全く無知だった若者が、周りにきちんと説明できるようになる、つまりセルフアドボカシー力を見につけるにはさらに時間と努力を要する。
お正月に焼いて食べたオナガ(鯛)の頭

 今週は春学期開講の第一週でいろいろな学生がラボにやってきては、受講科目の変更やらテキストの購入やらで新学期特有のあわただしさだった。ある日、新顔のロイという学生が「ぼくの障害はなんでしょうか」といきなり聞いてきた。「あなたが許可してくれるならオフィスにある個人ファイルを見てみるけど」というと「OK」。彼の母校の特殊教育部によるレポートがあったのでそれを開くと「学習障害」とあった。その部分をロイに見せると、「学習障害って何?」という。「知能は正常だけと学科のテストでうまくその知能を発揮できないこと」と私は簡単に説明した。すると彼は、「数学の先生にEメールしてそのことを説明したい」という。その授業はハワイ島の反対側コナからのビデオ生中継のクラスなので「ヒロ側の学生がビデオの中の先生にどれだけ質問したりできるのか、ペースについていけるか不安」なのだという。早速「先生、僕には学習障害があります。ビデオを見ながらの授業には不安がありますが、以下の質問に答えていただけますでしょうか。。。」と書き始めた。これを見て私はロイの障害に対する前向きな理解と積極的な行動力に深く感銘した。彼は将来、海洋生物学の道に進むのが夢だ。
 もう一人の新顔はマリー。彼女は内気ながら「過去にトラウマ(心的外傷)があっていつそのフラッシュバック(再演の悪夢)があるか怖い」と教えてくれた。数年前、当時の夫から離縁されたときに10日間精神科に入院したことあるというからその頃受けたトラウマか、そしてどんな内容のトラウマなのかは知るよしもないが、「なるべくフラッシュバックが出ないようにコントロールしたい」という。「トリガー(前兆)になるものはなんだか知ってる?」と聞くと首を横に振った。「でもがんばっていい成績をとって将来は幼稚園の先生になりたいから、毎日ここ(ラボ)へ来て宿題する」と言って帰っていった。
 障害サポートサービスセンターに登録していて自分に障害があることは知っていても、その内実をきちんと把握できている学生は非常に少ない。自分の障害についてまだ未知でも積極的な学習途上にある若い二人に会って、自己認識とセルフアドボカシーの重要性をあらためて感じた。

☆ADA(Americans with Disabilities Act of 1990)アメリカ人障害者法

苦情調査員

 普段の仕事とは直接関係ないのだが、今学期はキャンパス内のある極秘調査に関わっている。障害学生サービスセンターに勤め始めて最初の2年間は全く知らなかったことだが、ハワイ大学職員には本業のほかに、特別委員会やら特別プロジェクトやら様々な副次的な業務が付加されてくる。確かに人材募集要項を見てみると最後のところに「その他、時期や情況により与えられる追加業務」という曖昧な文章があり、私が今関わっている極秘調査はこの部分に当てはまる。
 極秘だから詳しくは書けないが、要は、セクハラ、肉体的・心理的虐待、そのた諸々の人権差別に該当する苦情を、学長の命を受けて調査する仕事である。私にはこういう仕事の経験が全くないので、もう一人人事課の経験者がいってみれば私のボスとして任命された。その人と二人で調査を始めて早3ヶ月が過ぎようとしている。
コミュニティ・カレッジ構内に植えられたサトウキビ。かつてはハワイ島全体を覆いつくしていた基幹産業品だったが、1996年を最後に砂糖プランテーションはすべて閉鎖された。その名残をとどめるために大学生が植えたもの

 全く畑違いの業務なので、どうなることやらと思っていたのだが、実はいろいろと学ぶことがあった。まずそのボス曰く、「余りに簡単に苦情を提出する人がいて困る」。つまり、本来「苦情申し立て」は法的な最終手段であって、それ以前に調停とか示談とか、つまりもっと非公式なレベルでの話し合いがあってしかるべきで、最近の職員は「いとも簡単に『キレて』すぐに最終手段に訴えるので人事課や学長の仕事がやたら増えて困る」ということだ。それは、最近の職員に辛抱がなくなったのかもしれないし、あるいは不服を申し立てた人の部署内のコミュニケーションがうまくいってないのかもしれないし、またはその部署に本来はそこでそれを調停すべき有能な上司がいないのかもしれない。あるいはそうではなくて、近年人権擁護の意識が高まり、「苦情申し立て」という、以前は余り利用されなかった公的法的手段に対する知識と理解が広まって、それをうまく利用する人が増えたというむしろプラスの意味があるのかもしれない。また、上記すべてが理由であるかもしれない。いずれにしても大学の職員数はこの数年増えていないはずだから、受理された苦情件数がウナギのぼりであることは確かだ。
 調査を始めて思ったこと。これはセクハラと人権差別の両方に該当する立件なのだが、私が「Aさんがこういってましたね。それが本当ならばひどいと思います」とボスに言うと、「今言ったことに気をつけて。私たちの結論は、相手方の話も聞くまでは絶対出してはいけない」と忠告された。確かに、調査中に名前の挙がった人すべての話を聞くまでは何を感じても思ってもいけないのだ。これはおそらく、裁判官などの仕事につく人には座右の銘だろう。そしてまた弁護士とかカウンセラーなどの職につく人にも当てはまるだろう。カウンセラーは『クリーン・スレート(白紙の心)』でクライアントに接しなければならない、という大学院時代に学んだ心構え第一条を思い出した。そしてこれが実に難しいことでもあることを今再確認させられている。