延長テスト時間

 アメリカの大学で、障害があると自認する学生の約4割までに学習障害があるというデータがある。この数字は私の勤務場所にも当てはまる。そして学習障害のある学生のほとんどが「テスト時間の延長」という合理的配慮(アコモデーション)を受けている。これは例えば、非障害学生に対するテスト時間の1.5-2倍の長さの時間、同じテストを受けてよいということだ。普通のテスト時間が1時間なら1.5-2時間ということになる。ヒロのコミュニティカレッジでは1.5倍だが、私が10年以上前に通ったサンフランシスコの大学では2倍だった。
 これだけ聞くとお金もかからず便利な合理的配慮に聞こえるかもしれないが、実はいろいろと問題がある。アメリカの多くの大学では、約15分ほどの休憩時間をはさんで朝から夕方までぎっしりと背中合わせにクラスが詰まっている。ということは1.5-2倍のテスト時間延長を受けるためには同じ教室ではテストが受けられない。前のクラスや次のクラスが迫っているので場所を移動しなければならないからだ。また、前後のクラスが空いていて仮に2倍のテスト時間が同じ教室内で可能だとしても、他の学生よりも早めに来てテストを始めたり、他の学生が退室した後も残ってテストを受けるようになると、他の学生が「なんでこの人は開始前からテストを受けているのか」とか「どうしてこの人はテスト時間終了になっても居残っていられるのか」というように、非障害学生からの好奇の目にさらされることになる。また好奇の目にさらされなくとも、自分のテスト時間中に他の学生が入ってきたり出て行ったりするのは気が散って、テスト環境としてよいとは言えない。

野菜を入れてきた箱をカウンターに置きっぱなしにしたら。。。。

 それで、別室受験という方法があるが、これも「あれ、あの人はテストを受けなかったのに、なんで答案用紙が返却されたのだろう」という疑問を受けるかもしれない。この方法も、特に障害を明らかにしたくない学生の場合、ストレスの原因になりうる。私の知るある男子学生も、「もしクラスメートに『何で早くから来てテストしてるの』って聞かれたら、面倒だから『おれも知らないよ、先生が早く来いっていったんだよ』ととぼける」と教えてくれた。これは、学習障害という目に見えない障害がまだまだ一般社会からは理解されていないことの反映である。この男子学生も他人からの好奇の目に耐えたり、堂々と自らの障害をオープンに宣言したりすることがまだできないために、障害を隠すほうを選んでいる。彼は「知らない人は信用できないから」とも言う。高校までと違って、様々なクラスをばらばらに個人的にとる大学では、ただ一度きりのクラスメートで一生を終わるか、今後も何学期か一緒にクラスをとることがあって仲良くなるかどうか最初からわからない。この男子学生の場合は高校卒業後初めての大学の学期をとっているので、特に不信感が強いのだろう。
 「自分の障害を隠したり、『他人を信用できない』という気持ちはよくわかる。そういう行動をあなたにとらせているのは、住んでる社会があなたの障害をどうみているかの反映だからね」と私は彼に言った。すると彼は、「えっ?」というような顔を一瞬したが、自分の気持ちを初めて理解してもらったというような安堵の表情になった。
 たかがテスト時間の延長だが、教師にとって考慮することは多い。