眠る女をみつめて-1

アルベルチーヌは「籠の鳥」だった。
語り手は、アルベルチーヌを一人で外出させることを嫌がり、彼女の女友達で花咲く乙女たちの一人、アンドレを監視役として同行させるのだった。そんな、自分勝手で疑い深い語り手だったが、その反面、自分がちっともアルベルチーヌを愛しているわけではなく、むしろ彼女のおかげで自分の自由を奪われているようにも感じ、一人で空想に耽ったり、通りすがりの若い女性を眺めたり、ヴェネチアに旅行したりするーそうした楽しみが、不当に妨げられているようにも思えるのだった。そんな語り手だったが、アルベルチーヌとの関係でまれに見出す幸福な瞬間は、眠っている彼女をみつめる時だった。
アルベルチーヌとの生活は単純で平穏なものだったが、空虚なものだっただけに、アルベルチーヌは一種いそいそと、ひたすら語り手の要求に服従するのだった。
海のバルベックで、とつぜん楽士の演奏が響くころ、部屋のカーテンのすそに射し込む真っ赤な光の向こうでうねっていた青い海は、今やアルベルチーヌの背後で真珠のように輝いているように思われ、パリの炉辺にいるアルベルチーヌの魅力には、かつて語り手の心に、バルベックの浜辺に繰り広げられた人を人とも思わぬような花咲く乙女たちの行列の吹き込んだ欲望が、今なお生き続けているのだった。

眠る女をみつめて-2

アルベルチーヌさえいなければ、あこがれのヴェネツィアに行くことが出来るのに、などと考えることが可能なのも、実はアルベルチーヌが一つ屋根の下に語り手とともに暮らしてくれているからだ、ということに語り手は気が付かないようだった。
かつて見たこともなかったような三日月眉がカワセミの柔らかな巣のように、球状の瞼を取り囲んでいて、頭の位置を変えるたびに、アルベルチーヌはしばしば語り手の思いもかけなかった新たな女性を作り出す。眠る彼女の呼吸はすこしずつ深まって規則正しく彼女の胸を持ち上げ、その胸の上では、波にゆられる小船のように、組み合わされた手や真珠の首飾りが、同じリズムで規則正しく、だがそれぞれ違った動き方をしていて、彼女の眠りが満潮になり、今や深い眠りの大海に覆われたので、語り手は思いきってベッドに上がり、片手で彼女の腰をとらえ、顔や胸に唇をあてる。
それからもう一方の自由な手を彼女の身体のあらゆる部分におくと、その手も真珠の首飾りと同様にアルベルチーヌの呼吸で持ち上げられる。語り手もその規則正しい動きでかすかにゆすぶられる。
こうして語り手はアルベルチーヌの眠りの上に船出したのだった。