読書と視聴と仕事の記録 このページをアンテナに追加

2016-02-23

おそ松の“寂しさ”への指摘に、反応がデカかったのはなぜなのか…

24日発売のTV Bros.で「おそ松公論」という考察を書いています。

実は、前の号でも、6人兄弟のキャラクター解説を担当したのですが、反響が大きかったのが、おそ松の「もしかしたら兄弟の中で一番の寂しがり屋なのかもしれない」という部分でした。私は、2話で兄弟の行動に関心をもって見守っているのに、みんなの知らない一面を見てショックを受けているところ、14話でトッティが隠しごとをしているときに、「寂しくて心臓がギュってなるんだよ」と言っていたことから、なにげなく抜き出しました。

アニメ―ジュによる人気投票では、一松、カラ松、十四松、チョロ松、トド松、おそ松という順で人気があり、おそ松はその時点では最下位であるというのに、ブロスでは、ひとりだけ反響が大きかったのは以外でした。

それはなぜかと考えてみたのですが、一松などは、本人の闇や特徴やダメなところがわかりやすく、またそれをフィーチャーした回も早めにあった。そのほかのキャラクターも、それぞれ自分がこういうキャラだと自覚している部分と、ほかの兄弟によって暴かれる本当の自分というものが描かれることで人気につながったのではないかと思います。

一松は孤高のキャラをきどっているけれど本当は人や猫のぬくもりに人一倍敏感で、トッティコミュ力高めに見えてちょうどいいラインがわからない、十四松が元気はつらつなキャラに見えて実は哲学的なまでに自己の存在を問うている……。それぞれの深いところまで追求されると、より関心を持つことにつながります。

ただ、おそ松がこれらの兄弟と違うところは、寂しがり屋という説明は、物語の中で言及はされているけれど、おそ松をフィーチャーして、その根っこにある寂しさを兄弟が暴くまででの回がなかったため、おそ松をえぐった言説を欲していたのではないかと思うのです。

2月24日発売の特集号では、前号に引き続き、『「おそ松さん」における“素”、そして“背負う”』という考察を書いておりますので、どうぞよろしくお願いします。

2016-02-04

清原の「見たいものを、見せてあげる」精神の行方は……(2015.3.3「ふくほん」からの転載)

以前書いていた「ふくほん」というサイトの記事が、サイトの移行により、一部掲載が終わっているので、ブログのほうにアップします。この記事は、2015年3月3日に掲載されたものです。


完本 清原和博

清原の「見たいものを、見せてあげる」精神の行方は……

初めて清原という存在を知ったとき、彼はアイドルでした。プロ野球専門のグラビア誌で表紙を飾り、今よりも線が細く、あの吉永小百合が彼目当てに西武球場に足を運んでいるというニュースが報じられるほどでした。ところが現在では、真逆のイメージになっています。そこには、いろいろなコンプレックスを跳ね返したい気持ちがあったのかもしれません。

この『完本 清原和博』を読んでとにかく目につくのは清原の不安感や神経の細さです。

例えば、清原甲子園の試合に出る前はとにかく緊張でお腹を壊していて、バスを降りたらまずトイレに駆け込んでいたとのこと。また、デビュー当時からマスコミに注目され、それに対して、どっしり構えることができなかったこと。調子が悪いときにカメラを向けられると、怒りをあらわにすることもあったと言います。

もうひとつ気になるのは、とにかく清原の口から桑田の話題がよく出てくることです。「PLの中でもボクはそんな食べん方ですワ。それよりももっと食べないのは桑田ですわ。あいつで心配があるとすれば、そのあたりやな」「あいつは投手でしょ。(中略)何か事を起こすときに“まず、大丈夫かな”って思っちゃう。慎重になるんですわワ。だけど、ボクはちがうんだ。これを逸したら、もうあとはないって思ってしまう。手を出しちゃって、“ああ失敗した”ってことになっちゃうんです」などと。

清原の見ている桑田というのは、自分より身体が小さく、勉強熱心で、そして何にも動じないというものでした。桑田というのは自分が人からどう見られているかよりも、自分がぶれないことが大事なタイプ。気は荒いけれど本当は純朴な男と思われていた清原とは違って、桑田は老獪な男と思われていても、それに動じないところがあり、本来は繊細な清原はそこが謎でもありうらやましくもあったのではないかと思うのです。

この本でも「桑田は警戒する事をおぼえ、清原は人に従うことでそのうまみを知ったのではないか」とも書かれています。こういう対比を見ていると、サービス精神旺盛で空気を読んでしまう(ときには空気を読みすぎて空気が読めないふりをしたりする)タイプは、人々の期待に応えすぎて、ときに自分が何だったかわからなくなることも多いように思うのです。

そして、そんな人のエピソードを見聞きすると、必ず映画『ヘルタースケルター』の「見たいものを、見せてあげる」というセリフを思い出します。

今の黒くてデカくて豪快な男という清原のイメージというのは、そんな人々のいい意味でも悪い意味でも「見たい」という期待がその中に詰まっているのではないか、それがはじける寸前なのではないかと思えてくるのです(良いはじけ方をすることをせつに願います……)。

完本 清原和博 (文春文庫)

完本 清原和博 (文春文庫)

2016-01-21

たまには仕事のことも……

あんまり仕事のまとめをブログにしていないのですが、2015年末から、イレギュラーで雑誌などで依頼されるものが多かったので。しかし、どうやって画像貼ったりすればいいんだっけ。

anan」1983号12/9発売

『運を開くターニングポイントの掴み方』という特集で、転機についてコメントしています。

週刊女性セブン 2015年 12/17 号

新・われらの時代に「三代目J Soul Brothersが教えてくれた大声で夢を語るって恥ずかしくない」というページを取材・執筆しています。

週刊女性セブン 2015年 12/17 号 [雑誌]

週刊女性セブン 2015年 12/17 号 [雑誌]

ザテレビジョン特別編集 日曜劇場下町ロケット

日曜劇場下町ロケット』考というページで、「シンパシー生まれる瞬間に胸躍る」という文を寄稿しています。

TV Bros. 1月16日号

安田顕の正体』で「安田顕はまだまだ続く」という文章と、鈴井貴之さんのインタビューを担当しています。

TVガイドdan[ダン]vol.8<冬男子2016>

古川雄輝さん、間宮祥太朗さん、山本涼介さんのページを執筆しています。

大人アイドル~プロフェッショナルとしてのV6

井ノ原快彦>の「気持ちのよさ」の裏側 という文章を寄せております。

TV Bros. 1月30日号

DVD紹介ページで「おそ松さん 第一松」について書いています。

TV Bros. 2月13日号

おそ松さんのキャラクターについて書いています。

2016-01-11

ドクター・ドレー“力”・・・

「ストレイト・アウタ・コンプトン」を見てきましたので、他愛のない感想を…。

青春映画としてもすごくよくて、とくにイージー・Eとドクター・ドレーの友情があつかった。物語は、イージー・E、ドクター・ドレー、アイス・キューブの出会いの頃からが描かれます。

これが、最後まで見て振り返ると、やっぱり生い立ちがぜんぜん違う。犯罪がすぐそこにあるイージー・Eに対して、自室の床にたくさんのレコードが広げられた生粋の音楽好きのドクター・ドレーに、いつもリリックを書くのが好きだったアイス・キューブ…。

N.W.Aが結成された当初はイージー・Eが中心として世間に受け止められるけれど、グループが成長し、そして分裂するにしたがって、やっぱり音楽好きだったドレーはその音楽センスでどんどん活動の幅を広げ(キーボードでメロディできてくシーンよかった)、アイス・キューブはリリック以外に書くことにも進出していく(『ボーイズン・ザ・フッド』も見たい)。

三つ子の魂百までといった感じでしょうか。やっぱり、ドレーは音楽、とくにメロディに対しての「好き」が半端ないのは映画でも伝わってきたし、その後の現実世界でも、やっぱりトラックメイカーとしてすごいメロディアスな旋律を作ってたなと思う(私はGファンク全般すごい好きだったけど、彼のメロディが好きだったんだなと)。

ところが、マネージャーを妄信し、メンバーが去っていったあとのイージー・Eといったら…(涙)。

自分はもっと評価されるべき世界があると思ってお金なんか関係なしにN.W.Aを出ていくアイス・キューブ、N.W.Aを出ていってからシュグ・ナイトと共にレコード会社設立するも、彼らのあまりにも暴力的な生活っぷりを見てドン引き、やっぱり金なんかどうでもいいと縁を切るドクター・ドレーを見ていると、人生では搾取されたりおかしなことに巻き込まれたときには、それに気づき、そこからちゃんと離れるということが、後の人生を左右するんだなと。

とはいえ、そういう勘の良さや判断力の乏しいイージー・Eは妙に愛しいし好い表情してやがる…。クレバーだけど、ちゃんと情に厚いドレーやアイス・キューブがイージー・Eと友情を保ったまま終わるので、見たあとは悲しいけれどすがすがしく感じました(もちろん、そう思えるように作ってくれてるんだと思います)。

あと、やっぱすごくなんでもないしょーもないことで共有した感情って、それがしょーもないほど後で効いてくるし泣けるよねと思いました。

2015-10-16

マエフリを回収するのはいつがいいか

どこかに書くにはまだまとまりがなかったので、久しぶりにブログを。

秋からのドラマで、『無痛』を面白く見ています。二話では、最初に殺人事件があり、その後、保険証がなくて子供に治療を受けさせられない母親が出てくる、殺人事件の犯人のほうは、殺人を起こすほどのエネルギーが見られない、その犯人は実はやっぱり貧困で困っており……、みたいな流れがうまく組み合わさっていました。

つまり、一話の中で、貧困で治療がうけられない人がいるというマエフリと、犯人と思しき人も貧困だったのだ、という回収のタイミングがうまくいってて、ひとつひとつの出来事にすぐ答えを出さず、なんとなく予想させといて、最後に「やっぱり!」となるように構成されてるんだなと。

私は見てるだけの人なので、脚本のことはよくわかりませんが、テレビってみんながみんな集中して見られるものではないから、ちょっとトイレに行っても意味がわかるようにしないといけないという考えで脚本を書いてる人もいるんじゃないかと思います。

だから、『無痛』くらいの、ネタフリと回収が、今のテレビの視聴者にとって、どこまで有効かわからないけれど、やはり、これくらいのことはやってほしいと個人的には思ってしまいます。

逆に、「テレビは中座するかもしれないから、ネタフリはすぐに回収すべき」という意図で作っているのではないかと思ったのが、『大人女子』でした。このドラマにも、ネタフリ的なものはあります。吉瀬美智子さん演じる未婚の女性のところに、自身のお母さんから電話に連絡がくるシーンがあるのです。でも、このドラマでは、その母親からの連絡のすぐあとに、会話で「お母さん大変なんだよね」と、「毒親」問題があることをネタばらしをしてしまう。

母親からの頻繁な連絡で、とりあえず何か母との関係にあるんだなと言うことは、見ているとわかります。その後、しばらくそのエピソードを寝かせてくれていて、会話で説明するのではなく、何かの出来事で回収してくれたなら、視聴者は「ああ、やっぱり……」と思うことができるものです。そのほうが、すぐに説明されよりも、想像力を掻き立てるのに。と個人的には思ってしまいました。

この2つは、一時間ドラマの話ですが、朝ドラはどうでしょうか。朝ドラは15分だからこそ、見ている人はけっこう集中して見ているものだと思われます。だから、週のはじめにあったネタフリが週末にあるとか、先週のネタフリが次週に回収されるというペースも、「あり」だと見て脚本を書いているのではないかと思えます。

現在放送中の朝ドラ『あさが来た』のヒロイン・あさの姉・はつの夫である眉山惣兵衛は、ネタフリの多いキャラクターです。

惣兵衛が、くすりとも笑わないことで、あさは姉を心配して惣兵衛に「一つだけお願いがある。笑ってください」と懇願します。このネタフリはすぐには回収されませんが、このシーンがあることで、惣兵衛がくすりともしない冷徹な人間だというイメージができるし、視聴者に、この人はいつどんなふうに笑うのだろうと期待させることができます。回収をすぐにしないことで、関心を長引かせることができるのだなと思いました。