第 5 話 ひたすらコツコツ
窯積みをし、火入れ・焼成・いぶし工程を終えると、窯出しまで3日くらい時間が空きます。その間に、成形したりするのですが、俊次は、積極的に時間をつくっては、自転車で、小野市、三木市、飾磨郡など、片道30kmくらいのところまで、営業活動に出かけていました。(当時、瓦を出荷・運搬するのは、馬力です。)妻ちかは、俊次が常に製造・営業をしていたので、村の集まりや、消防活動など、男達が集まる所には、全て俊次の代わりに出向いていました。
もちろん、夜中、みんなが寝ている頃は、全身ススだらけになって俊次と2人で窯出し作業をしていました。
夜が明ける頃、朝風呂に入って、何食わぬ顔で、4〜5人の従業員がやって来るのを左手にウチワで、迎えていましたので、誰も、2人がドブネズミようになって必死で働く姿を見たことはありません。ただ、従業員たちは、夜中に、片付けてある仕事量を見て、2人が、ただの贅沢で朝風呂に入っているのではないことを知っていました。
また、昭和15年頃になると、小学生の息子達も、何かと手伝ってくれるようになっていたのです。近くの文殊さんのお祭りは、冬の寒い時、2回あり、何キロにもわたってお参りの行列が出来ていたのですが、次男・茂男は、機転を利かし、従業員のおっちゃん達の協力を得て、事前にたくさんのコタツの燃料(炭団=タドン)を作ってもらい、お参りの行列の人達に売っては、ささやかな売上げ貢献をしていました。
昭和16年(1941年)は、日本軍のパールハーバー攻撃の年で、日本が戦争に邁進していく事になる訳ですが、俊次は徴兵されず、また初めから、「そんな戦争に日本が勝てる訳がない!」と、確信していたので、ひたすら、戦争に巻き込まれないよう、静かにコツコツと、商売に励みました。
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