年次・年齢情報


冬至を過ぎると師走も「数え日」となる。つまり年内も指折り数えるほどの日々になった。冬休みに入った小三の孫が書初めの手習いにカミさんのところにやって来るようになって、師走ムードにも拍車がかかる。


この冬最強の寒波とやらが列島を包みクリスマス寒波の襲来となった。「この冬一番の寒さ」も更新に次ぐ更新のようだ。ウォーキングコース中の田んぼのあぜ道、日陰の部分はうっすらと雪化粧でもしたかのように真っ白だ。水たまりは日が差し込んでいる部分もまだ氷が解けていない。昨夜から今朝にかけての冷え込みの厳しさを物語っている。



あすの組閣を控えて安倍内閣の閣僚人事が新聞にテレビにかまびすしい。人事といえば、元の同僚たちと毎月の飲み会をすると、先輩、後輩の話題が出る。いわゆる”人事通”がいて、その話題に上る人物は必ずといっていいほど何年入社の何某と、入社年次が語られる。このことが、エライ学者に言わせると、「年次による人事管理」は当たり前のように定着している人事制度だが、これは「日本における常識」にすぎず、他国では「非常識」であるためグローバル化を阻害している。と。


エライ先生は更に、新聞や雑誌では人のプロフィールには年齢が書かれている。年齢は必須情報として扱われている。この年齢情報へのこだわりが様々な弊害を生んでいるとおっしゃっている。具体的には年齢情報のこだわりが、発想の幅を狭めたり、人材活用の面でも新卒主義の行き過ぎになり経験・能力を重視する人事システムの妨げになっている。と。


企業・公務員の世界ではそうかもしれない。下世話な熊さん、八っさんの世界では「一回り下の奴が社長か」とか「喜寿を過ぎてもまだへばりついている。老害だ。」などと年齢情報は重要なコミュニケーション資源だ。