いくつになっても子供は子供


天気予報もときには外れることもあって、もうけものをしたような一日だ。下り坂の予報が日中はほぼ青空で、グラウンドゴルフをしていると、時折初夏を思わせるような日差しまでおまけがついてきた。ウチの下にある四つ池の周りの桜も満開になった。


まだか、まだかと待ち焦がれていたものが手に入ると、なんだこんなものかとあっけない。雅やかな風流人ぶってまだか、まだか、桜はまだかと云ったところで、結局のところは桜の咲く暖かな季節に早くなってくれ。寒いのは嫌だ。というだけのことではないだろうか。クマさん、馬脚をあらわした。


あさって5日は二十四節気の「清明」だ。いよいよ、春たけなわの季節を迎える。清明とは文字通り、天地の何もかもが清らかで明るいころのことだと云われる。それだからかな? クマさんの馬脚がバレてしまったのは。



随分前のことだが新聞に「長男の妻に好かれず悲しい」と題して投書があった。「離れて住んでいる長男のところへ、何を送っても息子が会社からお礼の電話をしてくる。息子の妻はどうして電話をしてくれないでしょう。孫の声も聞きたいのに、寂しくて悲しいです。どうして自分の夫の親をそんなに嫌がるでしょう」こんな内容であった。


3人の娘が3人とも長男と結婚しているので、この投書のことが気にかかっていた。この前の日曜にファミリーが揃ったので食事に行って、いい機会なので話をした。「みんなはこんなことはないだろうが、この投書のように嫁のデキが悪いのは半分は妻の育った家庭の躾の問題。半分は妻とその伴侶の家庭の築き方の問題。これ以上言わなくてもわかっているだろうナ」


いくつになっても子供は子供。いつまでも手がかかる。