従軍慰安婦報道の誤報に思う


真夏というのに梅雨時みたいな天気だ。台風が通り過ぎたと思ったら、またきょうは朝から雨。それでも、お昼過ぎには厚い雲間から申し訳程度に薄日が漏れてきた。夏枯れの庭にダリヤだけが精彩をを放っている。


きのうの日記に朝日新聞の記事を転載した際に、その記事の内容とはまったく関係ないが、その新聞社の体質そのものについて思い出したことがある。これまでの朝日新聞慰安婦問題の報道の一部を誤報だったと認めた先日の検証発表のことだ。


誤報の内容が河野談話や韓国における抗日運動や米国内での慰安婦像の設置問題に直接ではないにせよ、少なくとも引き金になっていることには間違いないと思う。これだけ国内外の信頼を踏みにじってきた問題を30年以上の時を経て「記事の取り消し」だけで片付けられては納得が行かない。


何か不祥事があった時には「記者会見せよ」「社長を出せ」「責任は誰がとる」とやるマスコミ。朝日新聞も自ら姿勢を正したらどうか。国にも責任の一端はある。新聞社にやりたい放題やられて反論を公にすることが出来なかったのか?国家のレベルでも個人のレベルでも「沈黙」は「認めたこと」。意思表示をきちんとすることがいかに大切なことか改めて思い知らされた。