森友文書問題に思う


「春に三日の晴れはなし」と昔から云われてきたが、例外もたまにはあるものだ。いい日が続く。きょうは、飛び切りいい日だ。風も穏やか、春らんまんの陽気となった。先週の半ばに咲き始めた家庭菜園のサクランボの花、この陽気で満開になった。


きょう3月13日の誕生日の花はユキヤナギラジオ深夜便グラウンドゴルフのホームグランド桜公園の土手もウォーキングの道すがらに見かけるユキヤナギは米粒ほどの小花がまだポツリ、ポツリの程度だ。ユキヤナギが一番見事なのは、豊田・藤岡の緑化センターでの桜とのコラボだ。その画像がどうしても見つからない。アップしたのは桜公園の土手。


ユキヤナギの開花時期は3月中旬〜4月中旬。葉が柳の葉に似て細長く、枝いっぱいに白い花を雪が積もったように咲かせるところからのネーミング。花が散ったあとの地面にも雪がパラパラと積もったように見える。バラ科シモツケ属。



このところの国会は、まるで野党探偵団の犯人捜しの場と化している感じだ。報道されている通り、文書書き換えの指示を出した人物、その動機など今後の調査が待たれる。これまでの経過を見聞きして思ったこと。一つは、国民の目には、野党は犯人捜しすることに血道を上げているとしか写らない。余りにも器が小さい。政権を託す気になれない。


二つ目。かつては戦後の復興から高度成長時代の日本のかじ取りを担ってきた官僚機構が制度疲労を起こして、劣化しているのではないか。先の厚労省の残業時間の調査のずさんさといい、もっと遡れば年金問題もその類だ。     



三つ目に、民主党(現民進党)政権時代に始まった「政治主導」の国政や安倍内閣で始まった「内閣人事局」の制度が、うまく機能していないのではないか。この辺のところは素人ではよくわからないが、民主党当時の小沢一郎氏主導による「政治主導」で、官僚は政治家におびえ、場当たり的な発想になっているのではないか。また、内閣人事局への恐怖から「忖度」する風潮が出て来たのではないか。


犯人探しも必要だろうが、天下国家を論じる政治家だったら、もっと高い見地から「政」と「官」の在り方を見直す必要があるのではないかと思う。