WizardryOnlineについて考える

面白いネトゲを見つけハマり気味になると
布団の中でどうすればこのゲームがもっと面白くなるか、ということを考えてしまう。
そうして考えが現実味を帯びてくるにつれ、急に疲れてしまう。
この社会とは一体何でみんなは一体何をしているのか?俺は38歳で一体、ほぼ社会に認められていないランクで何をしているのかという人生の問題にぶち当たるからだ。


ウィザードリィは根本的にオンラインに不向きだ、という意見もあるが
ウィザードリィの本質的な面白さ(1準備し2深い階層へ潜り3アイテムを発見し4帰還する5世界への認識が甘ければ死のリスクがある)を失わずに
オンライン化することは可能だと俺は思う。
現状のWizardryOnline(以後WO)は、まず深い階層へ潜らない。
ダンジョンつーか、これって入り組んで狭いだけのフィールドだよなと思う。
一歩進む、という行動にまるで緊張感がない
幾つかのパーティー(PT)に参加したが、手馴れた人が先頭を延々と走りみんなでそれに走ってついていく
冒険を楽しめない、シャイ+効率化というのは、まあ国民性かも知れん
まず、俺はWOで深いダンジョンに潜れるものだと思っていたのでそこが残念だ
そして一回わかってしまえば、もうドキドキすることのないWizって・・


MMOでは常だげど、PTみんながダンジョンを常に走っているというのは、どうも俺的には納得できない
「冒険」が「作業」に勝つのが嫌なのだ
PT全員が常に走ってるファンタジー小説や映画なんてあるかwwwコントだよなw
オンラインではないウィザードリィや、DDOダンジョン&ドラゴンズオンライン)における初見のダンジョンでのローグの振る舞い
のように、一歩一歩緊張してダンジョンを進んでいきたい
前衛は前を、後衛は後ろに対し、常に神経を研ぎ澄ませているような雰囲気だ。



俺がWOを作るなら
50階くらいのダンジョンをまず作る
デザインが固定されたダンジョンと(500種類くらい)、ランダム作成ダンジョンがあり
階段を降りてみるまでどんなフロアなのかわからない
油断すれば死という罠もランダムにしておき
モンスターはエンカウント制にして、PTから離れて行動しているプレイヤーは戦闘参加が遅れるということにすれば、
PTがちまちまちまちま固まって恐る恐るダンジョンを徘徊できるはずだ
これなら運営もバージョンUPが楽だろう



と、基本無料アイテム課金ではなく
一ヶ月か及び所定Lvまで無料で、それ以上プレイしたい人は定額課金というほうが絶対いい
アイテム課金は、ゲームバランスを荒くするし
長時間張り付いて金だしている人がゲーム内でよい立場を得る、という人間関係は
そのゲーム全体的な空気を悪くする
この空気が新規プレイヤーやライトユーザーを取り込めない、ということを運営は理解していない
だから大抵のMMOはサービスが長く続かない
ウィザードリィがそうであるように、シンプルで面白く、運営もプレイヤーも満足出来る世界というのは作れる
そういう意味で韓国、中国、日本というのは「人生を楽しむ」という意味において民度が低い
他人が持っていないアイテムを持つことや
他人よりLvが高いことを第一に目指すというのは
いかに自分たちが奴隷的であるかということを暗に示しているからだ。
これらの国のMMOの基本無料アイテム課金というシステムは、市民の自主的な奴隷性によって成り立っている(GREEにしろモバゲーにしろ・・)



かつてオンラインゲームという世界の中心に君臨し、栄華を誇ったウルティマオンラインUO)が超過疎状態でありながら運営が成り立っているのは、なぜか?
リチャードギャリオットが経済的な損得以上に、人類に新しい世界観を提示したからだ
リチャードギャリオットが単に「これが自分とって面白い」と思うことを追求しまくったからだ
だからUOでは、その新しい世界観への思い入れと創造的なインパクトを安易に捨て去ることが出来ず、ほとんどプレイしていないおっさんたちが十数年、毎月1500円払い続けている
たまに通帳記入を見つめ、
ふと一瞬、昔の仲間を思い出し
まあ月1500円くらいの出費は
奥さんをごまかせる範囲だろう、と・・




カラオケで
日本人は一番はじめに歌うことを拒むので面倒くさい
みんなが困っているふりをしているので俺は最初に歌う
そして、もうこの人達と遊ぶのはいやだなと思う



時代は常に、
子どもっぽい柔軟な発想を求めながら
子どもっぽい柔軟な発想を持つ人を見下せる位置をキープしてるというのがまぁひどい話だw









このように、
どんな些細なジャンルにおいても
突き詰めて考えれば、
自分の生き方や
時代や、宇宙という問題にたどり着いてしまう
これが、哲学です