萩から津和野へ

まだまだ続く萩日記でありますが、終に萩を離れます。
もうオナジミになったバスセンター、ここともお別れ、またいつか!
普通の路線バスに乗り市街地を回る。松蔭神社を始め各観光スポット周辺は道路を広く整備している真っ最中。恐らく「観光バス」が入って気安いように、だろう。来年にはきっと「真新しい」衣装を施した「点」がぽつんぽつんと点在し、そこを団体客が瞬間移動のように襲来する街として加速することだろう。
徐々に街を離れていく。奥のほうへ入っていく。そして郊外へ
 郊外喫茶て。
  そして山の中へ。

家々は続くわけですが気になったのが「屋根の色」。私としては「瓦=黒」なのですがこちらは「朱色」ばかり。地域性があるのでしょうか。ちと調べてみたく。

ちょうど稲刈りの時期、田んぼには稲が干してある風景が続きましたが「稲の干し方」にもいろいろあって。この方式、どことなくユーモラスで美しかったです。
そして、あぜ道には彼岸花が咲き誇り、その燃えるような赤は山の緑と稲の黄色に良く映えていました。
あとリンゴ園が続く地域があって、まだアオいリンゴを眺めたり、、、
山を越え、町になり、次々と変わり行く車窓の風景がとても楽しく2時間ほど、津和野に到着。
低い山に囲まれ、中央に川が流れる、小さな町。
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まずはバスから見えた神社へ。山のふもとから赤い鳥居が連なる、京都のどこぞみたいな趣。

疲れたので途中で引き返す根性なしのわれら。。。

川のほとりがのんびりとした静けさでよいなあ。とほっこりするのもつかの間
 やっぱりあった変な銅像・・・
「鷺舞」という「国の重要無形芸術文化財に指定」されている踊りだそう。
そしてメインストリートへ

最近「街づくり」されたような、まだ馴染んでない感じ。。こう、、なんというかクロワッサンでいかにも取り上げそうな「熟年のためのテーマパーク」といった雰囲気がある。なんにもしてなきゃ「ゴーストタウン」というしなんかしてりゃまた言うし、観光客なんてヒドイもんである。すみません。。。

瓦のはしっこに角みたいのがついてる。

津和野カトリック教会。津和野は「長崎から配流されてきたキリシタンへの拷問が特に陰惨な地域」だったらしい。
立派な教会のなかは畳敷き!背筋がしゃんとします。
この先に「乙女峠」というところがあって改宗を迫られたキリシタン信者が殉教し、その後マリア聖堂が献堂されたとのこと。これは不謹慎ながらうっとり夢想してしまいますな・・・
 教会の隣に猫。

この通りを進むと商店が軒を連ねていました。昔からの建物を生かしながら新しく生まれ変わっています。


気になったのはこの種苗屋さん。古くから種問屋として栄えていたことを忍ばせる立派な店舗兼住居で、調度品などほんとうに素敵。それを壊さぬように、今を生きることができるように再生されていて現在の店主の女性は品があってとても素敵なかたでした。
続き間では跡取りと思われる30歳前後の女性がアクセサリー雑貨を営んでいます。
この雰囲気、それは「天然生活」的なノリにハマるものなんだけど、何にも無いところから取ってつけた記号のようなものではなく、この家の長年の歴史が伝承されたものだということが悠々と感じられました。それがちょうど今の空気に沿ったものになったということがおもしろいなあと思います。

その向いに大きな造り酒屋が3件並んでいることに驚きました。
この連休はちょうど若い人を中心とした催しがあり、地元出身の器作家達のグループ展が開かれていました。
会場は酒蔵や、酒屋さんのご自宅の客間なのです。

このお屋敷がまた素敵で!創業1700年ころというこの酒屋さん、現在も勿論住んでいらっしゃる自宅をこの展覧会のために特別に開放したとのこと。襖絵や欄間、美術品や調度品を含めて大切に住んでいらっしゃるのが伺える素晴らしい佇まい。

津和野のように地方都市が観光客誘致の街づくりをするにあたって、先導を取るひとが必須なわけですが大きな資金力を持つ酒屋さんが構えているのは大きいなあと思います*1。そんな方々を中心に文化的素養の高い街だったかもしれません。そういえば津和野は森鴎外の出身地でありますが。
昔で止まるのではなく、これからも生きるために今と繋がっていく。ますます地方都市の活性化の難しさを思うのだけども「止まった街」の印象の萩を思い浮かべました。
 一本入るとこんな道

*1:小布施然り