ヤング≒アダルト

渋谷で見ることにしてその上映館にたじろぐ。ヒューマックスシネマ。私ここ来たの、94〜5年くらいのパルプフィクション公開時以来ダヨ!(またこのネタか!)私にとってこの映画を見るのに「またとないお膳立て」がここに…。完成はバブル崩壊後の92年、外観から漂うバブルっぷりがたまらないこの建物。無駄な装飾で彩られた館内の微妙な古さ(トイレとか)にたまらなく震えてくる…。ただでさえ90年代のあのころを思い出しながら出掛けたのに、更にソレを注入されたワケで…。私の心中を察してください。。。



Teenage Fanclubの「The Concept」が大大フィーチャリングされることだけでこの映画は革命的といえるでしょう!イヤー、もうのけぞりますがな。「こんなふうに」彼らの楽曲を「スクリーンで」聞く日がくるなんて!
作中、この曲を聴くシャーリーズ・セロン演じる主人公は、この曲自体を好きなのではない。この曲に思い出が詰まってる自分が、あの頃の自分が好きなだけだ。過去への再生装置。彼女はTFCのアルバムは勿論持っていないだろうし、音楽自体特に聴くことはないのだろうなあ。部屋で日常的に聴いてる感じ全然なかったもんなあ。マットに「アンタ、まだピクシーズのTシャツなんて着てんの?!」なんてコトいわないし。
それに対して”昔の彼”は奥さんと(ナツメロ的としても)音楽の話しで繋がっていることだろう。あのバンドの曲がかかる酒場を「古い」というくらいの気分は持っているし、あの「プレゼント」と来たら!


はてさて終わってみると、「The Concept」を誰かと共有することもなく、”彼女”にも”彼等”にもなること無く、どちらにも近づくことも無く、離れたところでひとり音楽を聴いてた「あの頃のわたし」の心境そのままで見ていたことに気付かされたのだった。
だからこそ、最後にメイビスがマットの妹と話すシーンを経て、車が走る様を眺めながら、ああこうやって人生は続いていくのだよなあとしみじみ思ったのかもしれない。あの後彼女はどんなふうに暮らしたのだろう? 映画が終わるとともに正解が出たり人生が終わるわけではない。
ひとつひとつのストーリーの畳み掛けがうまいけれど、タイトルロールやら小物使いや何よりもエレン・ペイジが愛らしかった「Juno」に比べると、わたしには魅力が薄かったかなあってのはある。「笑えなさ加減」ではメイビスさんより断然、マークさんだしねえ…