Hatena::ブログ(Diary)

お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2017-08-15

To Meet St. Rennyo’s Feelings(蓮如上人の気持ちに応える) To Meet St. Rennyo’s Feelings(蓮如上人の気持ちに応える)を含むブックマーク To Meet St. Rennyo’s Feelings(蓮如上人の気持ちに応える)のブックマークコメント

 『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』には次のような蓮如上人の言葉があります。  

(20)「今年から、信心のないものには会わないつもりである」            

(44)「信心を得ていないものにはもう会わない。信心を得たものには呼び寄せてでも会いたい、ぜひとも会おう」                              

(111)「人々に信心のないことを思うと、この身が切り裂かれるように悲しい」     

(114)「ただ一人でも、本当に信心を得ることになるのなら、わが身を犠牲にしてでもみ教えを勧めなさい。それは決して無駄にはならないのである」              


 以上からも明らかなように、蓮如上人はまだ信心を得ていない人に対して、「もう会わない」と、とても厳しい態度をとられました。これはひとえに上人の、人々に対する早く信心を得てほしいという強い気持ちの表れです。                     

 無常の世です。誰もが一刻も早く、蓮如上人の気持ちに応えるよう努めたいもの、と思います。( Everything is uncertain in this world. I would like everyone to try to

Meet Saint Rennyo’s feelings right away. )

2017-08-10

The Seeds of the Hell(地獄の種) The Seeds of the Hell(地獄の種)を含むブックマーク The Seeds of the Hell(地獄の種)のブックマークコメント

 俳人小林一茶の歌に、「露ちるや地獄の種を今日もまく」という一首があります。昨今、「地獄の種を今日もまく」という言葉に、とても共感を覚えます。朝、目覚めたときから夜の就寝まで、考えてみますと悪い種しかまいていないなぁ、とつくづく思うのです。毎日毎日絶対に欠かすことのできない食事一つを取り上げてみましても、肉や魚といった食べ物に舌鼓を打ちながら、どれほどの生き物の命を奪っていることでしょう。        

 また、生きて行く上では、わが身が一番可愛く、煩悩でいっぱいの心は、自己中心にしか物事を考えることしかできず、そのために、どれほどの悪を作っていることかと思われます。そういう地獄の種しかまけない者を待ち受けているもの、それは必ず地獄行きという結果です。                                      

 これが事実であるとき、もし、南無阿弥陀仏がなかったら、もはや絶望的です。南無阿弥陀仏があって本当に良かったと思わずにはいられません。   

            

 禅僧良寛和尚は、辞世の歌の一首に、「不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思い出にせむ」と遺しました。とても感動しています。( Ryokan, a Zen

Buddhist monk, left his dying tanka poems one of which is the following: “Without the

inconceivable Amida Buddha’s Vow, what should we make a memory in this world?"

I am greatly moved. )

2017-08-04

Shrill Cicada Chirps(蝉時雨) Shrill Cicada Chirps(蝉時雨)を含むブックマーク Shrill Cicada Chirps(蝉時雨)のブックマークコメント

 蝉と言えば、私の住む地域ではアブラ蝉が主流です。特に暑さの厳しいこの時期、多くが一斉にジーッと鳴くアブラ蝉の蝉時雨(せみしぐれ)には、一層暑さが増幅されるようで、比較的涼しい早朝のウオーキング中でもじわ〜っと汗が出てきます。          

 でも、ほんの10日ほど前から、少し様子が変わってきました。アブラ蝉に混じってヒグラシの鳴き声が聞こえ始めたのです。初めは一匹、二匹と聞こえていたものが、3日目あたりからは、早朝の公園のあちこちの木々の茂みからは、ヒグラシの蝉時雨が聞こえています。そして今は、声量の豊かなヒグラシがアブラ蝉を圧倒しているのです。         

 「カナ カナ カナ」と高くて澄んだ美しい鳴き声は哀愁を帯び、どこか物悲しい気持ちになります。地上に出て、成虫となってからはわずか一週間ほどの短い命です。その間、力の限り鳴き続け命を終えるのです。時々見かけるのですが、地面の上にコロンと転がった亡骸(なきがら)が、一層哀れみを誘います。                     


 私自身の決して長くない命が、ヒグラシの儚い命に重なり、ほんのしばらくとは言え、いやおうなしに物の哀れを思う日が続きそうです。( My own life, which is not at

all long, overlaps with a higurashi cicada’s life. It seems the days will continue when

I irresistibly feel pathos though that term may be only for a while. )

林遊@なんまんだぶ林遊@なんまんだぶ 2017/08/14 02:15 ども、はじめまして。

蝉の話で、『論註』の「蟪蛄は春秋を識らず」p.98 という句を想起しました。
あらためでご文にあたる機会を得て、ありがたいことです。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%9F%AA%E8%9B%84

miko415miko415 2017/08/14 13:42 林遊さん
 初めまして。コメントありがとうございます。
林遊さんのブログ、いろいろ教えて頂くことが多くありがたいことです。
これからもよろしくお願いいたします。

2017-07-27

The Lying and False World(虚仮の世) The Lying and False World(虚仮の世)を含むブックマーク The Lying and False World(虚仮の世)のブックマークコメント

 目先のことにとらわれ、先を見通すことなどできない私たちは、仏教の教えをとても軽く見ています。何を教えているのかを知らない人、間違った教えを身につけている人たちもずいぶんいます。                                  

 (略)                                     

 この世をいかに快適に生きるかということには血眼になっても、自分の出て行く後生はみえないままです。時代や社会に対応する教えであるとことを望む前に、自分自身のことを気づかわねばなりません。ようやく人間に生まれてくることができたのに、また苦悩の世界を流転することなどだれも望むはずなどありません。人間に生まれて、やっとそのことを知ることができたのです。                              

 私は虚仮なる世間に生きています。仏教の真実に触れて、目を覚まさせてもらうしかありません。                                     

   【 『私のものさし 仏のこころ』 西光義秀 探究社 】           

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 広辞苑には、「虚仮(こけ)」の意味を次のように書かれています。「[仏]内心と外相とがちがうこと。真実でないこと。歎異抄『ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか』(“ Are not people indeed outwardly expressing

signs of wisdom, goodness, or diligence, while inwardly embracing falsity” ? )」。            


 私は虚仮の世に生きています。この嘘と偽りに満ちた世には本当の幸せはありません。仏教の真実に出遇わなければ苦しみのままで終わらなければならないのは明らかです。一寸先は闇という儚い世にあって、永遠に続く後生こそ一大事であると説く仏教の教えを傾聴することが、何よりも求められています。                      

2017-07-19

Being Awoken(目覚める) Being Awoken(目覚める)を含むブックマーク Being Awoken(目覚める)のブックマークコメント

 法話のなかでは、「生老病死が四苦である」と、まるで教科書を読んでいるかのように話される方がおられます。四苦の解決こそ仏教の原点ですから、そこに切り込むことが必要でしょう。きれいごとだけでは人の心に響きません。                  

 幸せな日常生活、問題なく日常生活を過ごすことに心を奪われてしまっていますが、それは一つの人生の過程にすぎません。仏法聞かずに過ごす日常生活は苦の連続であると、教えてくれているのが仏法です。                            

 驚きもせず、ドォ〜ンと腰をおろしている私を、仏法は心の底から揺さぶるのです。「安閑と過ごす日々など無いぞ!」「後生は大丈夫か?」と聞くほどにドキドキします。「阿弥陀は立ちずくめで待ち続けるぞ! 南無阿弥陀仏」の教えを聞くほどにワクワクします。  

 でも、そんな教えを聞いても、ドキドキもワクワクもしない人の数の方が多いでしょう。遠いところの他人事でしかないのです。                       

 「目覚めよ仏教!」ではなく、目覚めなければならないのはこの私なのです。     

  【 『私のものさし 仏のこころ』 西光義秀 探究社 】            

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 仏教では、生老病死を四苦と教えています。この「四苦の解決こそ仏教の原点です」(‘ The very solution of the four pains is the origin of Buddhism.’ )と西光師は言われます。また、「仏教聞かずに過ごす日常生活は苦の連続であると、教えてくれているのが仏法です」とありますが、本当にその通りだな、と実感として受け止めています。          

 それに、この四苦の中でも最大の苦、「死苦」の解決のためには、「後生は大丈夫か?」( “Is your life after death all right? ” ) という問いに、師が言われるように、私が目覚めることが最も大事なことだと思います。自分自身に起こる問題を他人事として放っておくことなど、どうしてできるでしょうか。                          

2017-07-13

The Recent Abnormal Situations(最近の異常事態) The Recent Abnormal Situations(最近の異常事態)を含むブックマーク The Recent Abnormal Situations(最近の異常事態)のブックマークコメント

 ここ数日中に、新聞の第一面を賑わした記事の一つは、九州北部を襲った豪雨について報じたものです。今までに経験したことのない数十年に一度の豪雨と言われ、その豪雨を引き起こす原因となったとされる、今までに聞いたことのない「線状降水帯」という気象用語を知ることにもなりました。山肌の土砂が崩れて、何軒もの家が押しつぶされて倒壊したり、また大洪水で、跡形もなく流されてしまった家もありました。何よりも悲しいことは、何人もの人が命を落とし、また行方不明の人たちもいることです。このような豪雨は九州北部に限らず、いつ、どこで起きてもおかしくないということで、全く異常事態と言わねばなりません。                                       


 次に、紙面を賑わしたもう一つの記事は、北朝鮮が大陸間弾道ミサイルICBM)の発射実験に成功したことを報じたものです。北朝鮮はこれまで何回もミサイル発射実験を繰り返してきましたが、今回のICBM発射実験の成功で、日本が受ける脅威が更に拡大しました。このような状況下で、日本では、Jアラートといわれる全国瞬時警報システムにより、現在、北朝鮮からのミサイル攻撃に備えての避難訓練を行っている市町村もあります。私は、実際にその訓練の様子をテレビで見たのですが、「ただ驚いた」というのが正直なところです。平和ボケしてしまっている自分に引き当てれば、一体どこに逃げたらいいのやら、皆目分かりません。ただ不安が募るばかりです。                     


 このような、これまで予測しなかったような天災や人災による異常事態が次々に起きています。世の中の流れを見れば、前途はますます険しくなるのではないかと危惧されます。 


 こんな不安に満ちた中で思うこと、それは仏教があってよかったということ、阿弥陀さまがおられてよかったということです。世の中が不安になればなるほど「南無阿弥陀仏」という名号(念仏)が唯一の明かりとなります( The Name or the Nembutsu 'Namu-amida-butsu’ becomes the only light as the world gets uneasier. )。

 改めて、念仏があって本当によかったと思うこのごろです。                 

2017-07-05

Shinjin(信心) Shinjin(信心)を含むブックマーク Shinjin(信心)のブックマークコメント

 「信心は南無阿弥陀仏が心に届いたすがたである」と蓮如上人は『御一代記聞書』の中に仰っています。                                  

その‘すがた’とは?                               

 本願に疑心がない。                               

 南無阿弥陀仏が聞こえている。                          

 心に南無阿弥陀仏が満ちている。                         

 大安堵感がある。等々……                            

以上、私なりに味わっています。( The above is what I appreciate in my own way. )