Hatena::ブログ(Diary)

お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2018-11-16

The Sad Letter(悲しい手紙) The Sad Letter(悲しい手紙)を含むブックマーク The Sad Letter(悲しい手紙)のブックマークコメント

 四年前の夏に亡くなった義妹(弟の妻)の手紙を読み返してみました。

「・・・・退院して1年2ヶ月がたちました。体調も少しずつ良くなっていると思います。・・・・・毎日仕事、仕事で足の痛みをこらえて一生懸命働いてきました。そのあげくに足に腫瘍が!本当にショックでした。・・・・・今は家族や友達に励まされ助けてもらっています。これから先、前向きに進んで生きていこうと思っています。温かくなったらお姉さんのところへ遊びに寄せてもらいます。その時はよろしくね。お姉さんも身体に気を付けて下さいね。(2014年3月16日)」                              


 この手紙をもらってから5ヶ月余り、彼女は懸命のリハビリもむなしく帰らぬ人となってしまいました。何事にも一生懸命取り組んできた彼女です。これからも前向きに生きていこうとしていたのに、無常の風には勝てませんでした。                

 「暖かくなったらお姉さんのところに遊びに寄せてもらいます」。楽しみにしていたのに・・・ 今もこの言葉を読むと寂しくなります。こんなに悲しい手紙があったでしょうか。                                       


 仏教を聞き、仏縁の強い彼女でした。(She had heard Buddhist teaching and had a

sturdy relationship with Buddhism. )


 「恋しくば南無阿弥陀仏と称うべし我も六字の中にこそ住め」の歌に慰められます。「南無阿弥陀仏」。                                            

手品師手品師 2018/11/16 21:20 そんな手紙あったんですね。ジーンときました。おばちゃんとの小さい頃の思い出が蘇りました。

miko415miko415 2018/11/17 09:57 いろいろの人からもらった手紙やハガキは大てい取ってありますが、中でもこの手紙は印象深いものです。

2018-11-11

Paris _ Imagination and Reality(パリ_ 想像と現実) Paris _ Imagination and Reality(パリ_ 想像と現実)を含むブックマーク Paris _ Imagination and Reality(パリ_ 想像と現実)のブックマークコメント

 「特派員メモ」というコラム(朝日新聞)に、このように書かれていました。「パリの都は美しい。地面さえなければ。犬のフン、たばこの吸い殻に紙くず、ありとあらゆるゴミが無造作に捨てられ、時にネズミの死骸も転がる。せっかくの美しい建築も、犬のフンを踏むまいと、見上げるいとまがない。」                         

 私の想像していたパリとは雲泥の差です。辞書にはパリについて「中世以来西ヨーロッパにおける文化・政治・経済の中心地の一つ。また、世界的な芸術・流行の中心地。著名な建築物・学校・旧跡などが多い」と記されています。                  

 これが私が想像していたパリであり、おそらく誰もが描いているパリだと思います。ところが現実はまったく異なっていたのです。実際にパリを知る人たちには周知の事実なのですから。にわかには信じられないほどですが…….。                  

 視野を広げれば想像と現実のギャップは意外とあるものですね。           


私にとっては、最大のギャップは想像していた仏教と実際に知った仏教の違いです。 

(The greatest gap to me is the difference between Buddhism I imagined and Buddhism I truly realized.)

2018-11-07

The Nembutsu to Return One’s Gratitude to the Buddha(報恩の念仏) The Nembutsu to Return One’s Gratitude to the Buddha(報恩の念仏)を含むブックマーク The Nembutsu to Return One’s Gratitude to the Buddha(報恩の念仏)のブックマークコメント

 阿弥陀如来は、迷いのなかにある私たちを哀れみ悲しまれ、そのままに救いとるとはたらかれている。浄土真宗の救いは、この如来のはたらきを信じる心一つで定まり、念仏は救われたよろこびが声となってあらわれ出たものである。                 

 親鸞聖人は仰せになる。                             

  ただよくつねに如来の号(みな)を称して                    

  大悲弘誓(だいひぐぜい)の恩を報ずべしといえり                

 如来は私たちを救いとって見返りを求めることがない。はかりしれない如来のご恩は、決して返すことのできない大いなる恵みである。私たちは、ただそのご恩をよろこび、感謝の思いを念仏の声にあらわすばかりである。これを報恩の念仏という。          

 救いのよろこびを恵まれた者は、報恩の思いから、つねに南無阿弥陀仏と念仏申すべきである。                                      

   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        

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 念仏は、ひとえに「報恩の思いから」するべきであると教えられています。      

 この「報恩の念仏」に関して、蓮如上人が言われたことが『御一代記聞書』にはこのように書かれています。「ある人が蜂を殺してしまって、思わず念仏を称えました。そのとき、聖人が、<あなたは今どんな思いで念仏を称えたのか>と、お尋ねになったところ、その人は、<かわいそうなことだと、ただそれだけを思って称えました>と答えました。すると上人は、<信心をいただいた上は、どのようであっても、念仏を称えるのは仏恩報謝の意味であると思いなさい。信心をいただいた上での念仏は、すべて仏恩報謝になるのである>と仰せになりました」。                                

 私の場合、以前は、日々の生活の中で起こる色々なことに「何とぞお守りください」とか、「どうか無事に済みますようにお願いします」などと、阿弥陀さまにお願いする気持ちで「南無阿弥陀仏」と念仏を申していたことが多々ありました。でも、蓮如上人の言われていることを知ってからは、ただ「ありがとうございます」と報恩の思いから念仏を申してきました。今回の上記を拝読して、念仏の意味を一層重く感じています。          

 今、思いますに、阿弥陀さまは私の心をお見通しなのですから、何もお願いしなくても、ただ「南無阿弥陀仏(ありがとうございます)」と申す中に、私の気持ちは分かってくださっていたのです。                                 


Solely saying the Tathagata’s Name constantly, one should respond with gratitude

to the universal Vow of great compassion

(ただよくつねに如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべしといえり)        

2018-11-02

The Lives of Things(「モノ」のいのち) The Lives of Things(「モノ」のいのち)を含むブックマーク The Lives of Things(「モノ」のいのち)のブックマークコメント

 「モノ」のいのちをいとおしむ心 (東井義雄)                  

 (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<11月の言葉>より       


 「モノ」のいのちとは「物の寿命」と考えられます。私の場合、身の回りの多くの物の中には、お気に入りのものがありますが、そのような物に対しては大切にしようという気持ちから、いとおしむ心が自ずと湧いてくるものです。結果、その物の耐用期間(寿命)が伸びることにもつながります。                             

 ところで、お気に入りばかりでなく、他の物も大切にしなければなりませんが、その理由を蓮如上人は『御一代記聞書』(三〇八)の中で次のように教えておられます。「蓮如上人が廊下をお通りになっていたとき、紙切れが落ちているのをご覧になって、『阿弥陀仏より恵まれたものを粗末にするのか』と仰せになり、その紙切れを拾って、両手でおしいただかれたのでした。『蓮如上人は、紙切れのようなものまですべて、仏より恵まれたものと考えておられたので、何一つとして粗末にされることはなかった』と、実如上人は仰せになりました。」                                      

 「紙切れ一枚までも、すべての物は仏より恵まれたものだから」というのが、蓮如上人が考えておられた理由だったのです。心に留め置くべき教訓です。            


The mind of taking good care of the lives of things.(「モノ」のいのちをいとおしむ心) 

2018-10-29

The Sunshine(晴天) The Sunshine(晴天)を含むブックマーク The Sunshine(晴天)のブックマークコメント

 先日の10月21日(日曜)は、忘れられないほどの素晴らしい晴天でした。朝のテレビに映った日本全国の天気予報図は、北から南まで47都道府県すべて赤い晴れマークのオンパレードでした。このような天気図はめったに見たことがありません。         

 この晴天に誘われて、朝にウォーキングは済ませたけれど、午後になって、今度は近くのサイクリングロードに出かけてみました。青空の下、赤トンボの群れが輪を描くように舞っていました。遥か上空には、後に短い飛行機雲を残しながら音もなく進んでいく飛行機がとても小さく見えました。                              

 このような気持ちのいい日は、それだけで心が晴れ晴れします。日日是好日(にちにちこれこうじつ)といいますが、いつもそうでありたいものです。                                      


 我が心任せの生活なら不可能ですが、念仏を中心とした生活なら可能でしょう。

(It is impossible if I live as I like, but it is possible If l lead a life centered on the Nem-

butsu.)

2018-10-24

The Pleasure of a Fool(愚者のよろこび) The Pleasure of a Fool(愚者のよろこび)を含むブックマーク The Pleasure of a Fool(愚者のよろこび)のブックマークコメント

 阿弥陀如来は、「必ず救う、われにまかせよ」とよびかけておられる。そのよび声を通して、確かな救いのなかにあることをよろこぶとともに、ありのままの私の姿を知らせていただく。                                      

 如来の光に照らされて見えてきた私の姿は、煩悩に満ちみちた迷いの凡夫であった。確かなものなど何一つ持ち得ない愚かな私であったと気づかされる。            

 親鸞聖人は、法然上人より、                           

  愚者になりて往生す                              

との言葉をうけたまわり、感慨をもってお手紙の中に記された。            

 このような私だからこそ、救われずにおれないと、如来は限りない大悲を注いでおられる。この深き恵みを喜ばせていただくより他はない。                   

   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        

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 「確かなものなど何一つ持ち得ない愚かな私」のことを「愚者」と表現されています。このような愚者だからこそ、阿弥陀さまは救わずにおれないと本願をたてられ、導いて下さっています。その結果、私が真に愚者であること、阿弥陀さまが必ず救って下さること、この二つのことに気づかされるのです。ここに、愚者ならではのよろこびがあります。    


A fool, as he is, is born in the Pure Land.

   (愚者になりて往生す)                           

2018-10-19

In the Six Characters(六字の中に) In the Six Characters(六字の中に)を含むブックマーク In the Six Characters(六字の中に)のブックマークコメント

 今年の夏から9月にかけては、猛暑続きの中、6個もの大型台風や北海道では巨大地震等にも見舞われ、日本のあちこちで甚大な被害を被りました。まだまだ完全な復興に至っていない所も多く、「災害大国日本」と呼ばれ始めているほどです。            

 でも、ここに来てようやく本来の季節らしさを感じる秋が巡ってきました。公園の木々が知らぬ間に紅葉し始めています。静寂なたたずまいの中に、いつもと違う寂しさが感じられます。この夏の、暑い最中に親戚に不幸があったこと、また仲良くしている近所の奥さんのご主人が、余命いくばくもないらしい等と聞かされたりしているからでしょう。会者定離とはいえ、寂しいものです。                             

 このような時、思い出される歌が「恋しくば南無阿弥陀仏と称うべし 我も六字の中にこそ住め」です。六字を称える中で、いつでもどこでも、いとしい人たちに会えるのです。 

 阿弥陀さまは、最高の贈り物を届けて下さっていたのです。             

 ありがとうございます。「南無阿弥陀仏」。                     


If you long for me, say, “Namu-amida- butsu”. I do also live in the six characters.

   (恋しくば南無阿弥陀仏と称うべし 我も六字の中にこそ住め)         

手品師手品師 2018/10/24 07:01 素晴らしい文章ありがとうございました。
当ブログで、引用させて頂きました〜

miko415miko415 2018/10/24 11:21 再び紹介して頂いたことになり、良かったです。