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お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2018-12-15

The Pure Land of Light(光の浄土) The Pure Land of Light(光の浄土)を含むブックマーク The Pure Land of Light(光の浄土)のブックマークコメント

 浄土は、無量の光に満ちあふれた世界。如来智慧が光となって耀き、限りなくはたらき続けるさとりの世界である。                            

 親鸞聖人は、阿弥陀如来の浄土をお示しになり、                  

  無量光明土なり                                

と仰せになる。                                  

 如来の浄土へ生まれるならば、その光のはたらきにより、いかなる煩悩も浄土と同じさとりの功徳へと変えられる。それはあたかも、海へと流れ込む川の水が、すべて一味の海潮(うしお)となるような、広大なるはたらきである。                   

 念仏の教えをいただく者は、限りない光の浄土へ生まれ、この上ない利益(りやく)を恵まれるのである。                                 

   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        

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 上記には「如来の智慧が光となって耀き」とあります。               

『大無量寿経』には、次のように書かれた件があります。「またいろいろな宝でできた蓮の花がいたるところに咲いており、それぞれの花には百千億の花びらがある。 (略) それらは鮮やかに輝いて、太陽や月よりもなお明るい。それぞれの花の中から三十六百千億の光が放たれ、それぞれの光の中から三十六百千億の仏がたが現れる。そのお体は金色に輝いて、お姿はことのほかすぐれておいでになる。この仏がたがまたそれぞれ百千の光を放ち、ひろくすべてのもののためにすぐれた教えをお説きになり、数限りない人々に仏のさとりの道を歩ませてくださるのである」。                           

 『大無量寿経』に書かれているほんの一部と言っても過言ではない浄土の描写ですが、正に浄土は、如来の智慧の浄土とも表現できるでしょう。光の浄土と言われる所以です。   

    The Pure Land is the land of immeasurable light.

       (無量光明土なり)                      

2018-12-11

Thanks to the Buddha(仏さまのおかげで) Thanks to the Buddha(仏さまのおかげで)を含むブックマーク Thanks to the Buddha(仏さまのおかげで)のブックマークコメント

 蓮如上人は『御一代記聞書』(二九六)の中で、このように言っておられます。「何ごとにおいても、善(よ)いことを思いつくのは仏のおかげであり、悪いことでもそれを捨てることができたのは仏のおかげである。悪いことを捨てるのも、善いことを取るのも、すべてみな仏のおかげである」。                               

 この文の感想として、私だって「良いことをしよう」「悪いことはやめよう」という気持ちがあるのに、なぜ上人はそういう気持ちが起きるのは「仏さまのおかげだから」と言われるのか、と「すっと」は呑み込めなかったのですが、お釈迦さまの言葉を通して上人がそう言われる理由がわかりました。                           

 お釈迦さまは『大無量寿経』の中で、「心常に悪を念じ、口常に悪を言い、身常に悪を行い、かつて一善無し」と言っておられます。前回も書きましたが、煩悩の混じった心でしか何事も(善も)できないのが人間の実相だからです。つまり人間には真実の善はできないということです。こういう意味で上人は言われたのであって、だからこそ(真実の)善は仏さまのお働きがあるからこそ(仏さまのおかげで)できるということでしょう。      


 「善いことをしよう」「悪いことはやめよう」、このような気持ちが起きた時は「南無阿弥陀仏」とただ念仏です。( When the feelings that I will do good and that I

will not do evil arise, I will only say the Nembutsu “Namu-amida –butsu”.)

2018-12-07

There Is No Truth(真実味がない) There Is No Truth(真実味がない)を含むブックマーク There Is No Truth(真実味がない)のブックマークコメント

 手品師さんのブログ「涙流しながらの自慢」(2018・12・1)を読ませてもらって、人間の自力の強さというものを改めて感じさせられました。                

 お釈迦さまは大無量寿経に「心口各異 言念無実(心に思っていることと口に出して言うことが一致せず、真実味がない)」と仰っています。仏さまが見られた人間の心というものは、万事このようであって、真実味がないと教えられているのです。          

 ところで、ブログで「そういう要素が入っている信心はぜんぶ自力作善です」と書かれている部分は「自力の心が混じった信心は全部自力の心で作る信心です」と表現できると思います。つまり、自力の信心ですから真実の信心ではありません。            

 しかし幸いにも真宗で教えられる信心は、こちらから差し向ける信心ではなく、阿弥陀仏から賜る信心ですから、他力の信心と言われる所以です。自力無効ということであり真実味が無く、しぶとい自力は間に合わないということです。阿弥陀さまにお任せするよりほかはありません。                                   


 心口各異 言念無実                               

( What they think and what they say are different; their words and thoughts have

no truth. )


参照 http://d.hatena.ne.jp/tarou310/20181201 (涙流しながらの自慢) 

                        <手品師さんブログ>                           

2018-12-03

Sleeping with Eyes Open(目をあけて眠る) Sleeping with Eyes Open(目をあけて眠る)を含むブックマーク Sleeping with Eyes Open(目をあけて眠る)のブックマークコメント

 「目をあけて眠っている人」私も、その一人でした (東井義雄)          

 (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<12月の言葉>より      


 「目をあけて眠っている人」、なんともユニークな表現です。「目は開けているのに、なんにも見ていない」ということでしょう。私などはまさにこれに当てはまる人です。たとえば、よく通る道路を歩いていて、信号で立ち止まったときなど、ふと横を見ると、太くて高い電柱が立っていたいりして、「こんなところに電柱があった?」と思ったり、また道路沿いの一角に建設中の家を見て、「こんなところに家を建てるほどの空き地があったのかなぁ」なんて思うこともあります。それにちょっと(いえ、かなり?)頂けないのは、ブログを書いていて誤字や脱字の多いことでしょう。「あまねく満ちる」という意味で、「遍満」と書くべきところを「偏満」と書いてみたり、”eyes” と書くべきところを “eye” と書いたりすることです。何度も見直してみても誤りに気づかないのです。目はあけていているけれど眠っている状態だと言えるでしょう。(気をつけないと……. )               

 このような事や、世間の事ならまだしも、気がつかないと、一つだけ大事に至る事があります。阿弥陀仏の存在を見逃す事です。仏教では、私たちのそばに既に存在されている阿弥陀仏に(眠っていて)気づかなかったら、後生は一大事だと教えられているからです。  


There are persons who are sleeping with their eyes open. I was one of them.

   (「目をあけて眠っている人」私も、その一人でした)              


 http://d.hatena.ne.jp/miko415/20150205 (思わぬ気づき)           

2018-11-30

Free Salvation(自在の救い) Free Salvation(自在の救い)を含むブックマーク Free Salvation(自在の救い)のブックマークコメント

 念仏申し浄土へと先だっていかれた方々は、この世界にかえり来て、私たちを念仏の教えに導いていてくださっている。                           

 親鸞聖人は仰せになる。                             

  安楽浄土にいたるひと                             

   五濁悪世にかえりては                            

   釈迦牟尼仏のごとくにて                           

   利益衆生はきわもなし                            

 浄土で仏となった方は、大いなる慈悲の心をおこして、迷いのなかで苦しむすべてのものを救いたいとはたらき続ける。さまざまな縁を通して私たちを仏前に誘(いざな)い、仏法聴聞を勧めてくださっている。そのはたらきは、釈尊が巧みに人々を教化(きょうけ)されたように、自在であり限りがない。                         

 私たちは、多くの先人たちの導きによって、同じように浄土への道を歩ませていただく。この道は、凡夫が浄土で仏となり、自在の救いを行うことができる尊い道である。    

   【 『拝読 報土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        

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 上記に「巧みに人々を教化されたように」とありますように、『安心決定鈔』には、「往来娑婆八千遍」(釈尊は衆生教化のために、この世にすでに八千遍も往生している『梵網経』)と書かれています。このようにお釈迦様が自在に衆生済度にこの娑婆を往来されたのと同様に、浄土で仏となった方々もまた同じ道を歩んでおられるのです。「この道は、凡夫が浄土で仏となり、自在の救いをおこなうことができる尊い道である」。本当に有り難い道だと思います。                                    


Those who reach the Pure Land of happiness return to this evil world of five defile-

ments where, like the Buddha Sakyamuni, they benefit sentient beings without

limit. (安楽浄土にいたるひと ……………….. 利益衆生はきわもなし)       

2018-11-25

Questions(質問) Questions(質問)を含むブックマーク Questions(質問)のブックマークコメント

 前に当ブログでも取り上げたことのある(天台宗阿闍梨)の酒井雄哉(さかいゆうさい)氏は自著の『続・一日一生』の中で「死後の世界、地獄や極楽は存在するのか」について、このように書かれています。                            

 「死んだらどうなるんだろう。ぼくはやっぱり命の動きは止まらないで、そういう営みが続いていくじゃないかと思うんだよ」、「輪廻転生はあるかはわからないけどね・・・・いつの日か訪れる死も、肉体は消えてなくなっても、どこかで姿形が違っても、やがて宇宙の中に溶けこんで、同じことをくるくるくるくるやっていくんじゃないのかね」。       

 また次はある人から、亡くなった身内について「ちゃんと極楽に行けたでしょうか」と尋ねられたときの回答です。「『わかんないけど、極楽行ってんじゃないの?』地獄も極楽も、おそらく行った人もいないし聞いた人もいないしね。極楽があると思えばあると信じればいいんだもんね」。                                 


 故酒井氏は厳しい「千日回峰行」を二度満行した人です。二度も満行した人は、記録の残る400年間でも三人しかいないと言われますから、「生き仏」とまで呼ばれた人です。これほどの人なので、天台宗という聖道門では、死後などについてどのように教えられているのか疑問をもったので、調べてみた次第です。浄土門で教える内容とは違うことがわかりました。死後の世界、地獄、極楽の存在をはっきり教える浄土門と、そうでない聖道門とでは、教えが違うのは当然といえば当然ですが・・・・。                  


 私の尊敬する今は亡き大峯顯師にかつて「聖道門の人たちのことをどう思われますか」と尋ねたことがあるのですが、ただ一言、「かわいそうだね( I feel pity for

them. ) 」と言われたことがとても印象深く残っています。                      


 http://d.hatena.ne.jp/miko415/20170204 (修行 (2) )          

2018-11-21

Life Going for Pure Land(浄土への人生) Life Going for Pure Land(浄土への人生)を含むブックマーク Life Going for Pure Land(浄土への人生)のブックマークコメント

 阿弥陀如来は、煩悩によってさとりに至ることのできない凡夫を哀れみ、あらゆる功徳を南無阿弥陀仏に込めて私たちにふり向けておられる。                 

 親鸞聖人は仰せになる。                             

  臨終一念の夕(ゆうべ) 大般涅槃(だいはつねはん)を超証す          

 いのち終えるとき、すみやかに浄土に生まれ、この上ないさとりを開かせていただく。南無阿弥陀仏のはたらきに出あうものは、むなしい迷いの生を二度とくり返すことはない。 

 如来のはたらきに出あう人生は、無常のいのちを生きながら、かならずさとりの浄土に生まれゆく、むなしく終わらぬ人生である。                      

   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】         

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 親鸞聖人は「臨終一念の夕・・・・・・超証す」と、臨終に一息切れるその時に、大般涅槃(すぐれて完全なさとりの境地)を超証する。即ち悟りを開くと言われました。    

 「阿弥陀仏のはたらきに出あうもの(信心を頂いたもの)は、かならず浄土に生まれ、むなしく終わらぬ人生」を約束されるのです。ただ、「南無阿弥陀仏」とお礼を申し上げるのみです。                                     


They transcend and realize great, complete nirvana on the eve of the moment of death.

(臨終一念の夕 大般涅槃を超証す)