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お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2018-01-14

Being Too Late(手遅れ) Being Too Late(手遅れ)を含むブックマーク Being Too Late(手遅れ)のブックマークコメント

 人生は、手遅れのくり返しです。                         

              ある僧侶                       

 あの時はわからなかったけど今だったらわかるということが、人生にはよくある。自分のしたことが、他人に思いもよらぬ仕方で受けとめられ戸惑う。他人の人生に意図せぬ屈折や傷を与えてしまい、そのことも後になってようやっと知る。気づいた時はもう取り返しがつかない。経験というのはたいていそんなふうに起こる。母の年忌に、ある僧侶の言葉として住職から伺った。(朝日新聞コラム「折々のことば」 鷲田清一 より)         


 ここに書かれている手遅れの経験というものは、私にもよく当てはまります。本当に「人生は、手遅れのくり返し」だと思われます。                     


 ただ、世間のことはこれで済まされますが、生きているうちに一つだけ済まされないことがあることを、蓮如上人は『御文章』の至る所で述べておられます。たとえば「白骨章」とも称される『御文章』五帖十六通の中には、このように仰っています。         

 「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終(しっちゅうじゅう)幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳(まんざい)の人身を受けたりということを聞かず、一生過ぎやすし。           

  (略)                                    

 されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」       


 つまり、上人が仰っていることは仏法を聞き、信心決定して(後生の一大事を解決して)念仏を申す身になるということです。私たちの周りには絶えず無常の風が吹き荒れています。その風にいつ誘われるやしれません。                      


 その時になって「あゝ、手遅れだった」では済まされないのです。この世でしか聞けない仏法です。手遅れにならないうちに、何より急がなければなりません。         

(At your last moment, even if you regret not having heard the Buddha’s teaching

and moan “Alas!, it is too late,” all is over with you. You can hear the Buddhist

teaching only in this world. You should hurry hearing it more than anything before

it is too late. )

2018-01-07

Now(今) Now(今)を含むブックマーク Now(今)のブックマークコメント

 一度きりの尊い道を 今、歩いている(東井義雄)                 

  (ほのぼのカレンダー ういず仏教文化研究会編集)<一月の言葉>より      


 生き直しのきかない一度きりの人生、しかも、明日という日の保証のない、無常の世を生きる人生です。だから、人生は「今」よりほかにありません。「今」が心に響きます。   


 「一度きりの尊い………………………..  」                 

(We are now walking the precious way that is given to us only once in our lives.)


※「ほのぼのカレンダー」には、東井氏の言葉が書かれています。月毎にその言葉を取り上げていくことにしました。                             

2018-01-02

Happy New Year(謹賀新年) Happy New Year(謹賀新年)を含むブックマーク Happy New Year(謹賀新年)のブックマークコメント

 先月、ある法友の方から頂いたメールにこのように書かれていました。        

「仏教書も御法話テープも、読みたい、聞きたいと、うれしい時間が過ぎていきます。なんとも有り難い人生です」。                              

 読んでいて、心がほっこりしました。仏法が聞ける人生って本当にいいなぁ、と思います。


 新年を迎えました。心新たに、                          

 前回書きましたように、阿弥陀さまにすべてお任せして、お慈悲のままに日々を重ねていきたいと思います。( As I wrote here in the preceding diary, I’d like to

leave everything to Amida Buddha, and live at the mercy of the Buddha’s

great compassion. )

2017-12-28

Leaving All to the Buddha(すべてお任せ) Leaving All to the Buddha(すべてお任せ)を含むブックマーク Leaving All to the Buddha(すべてお任せ)のブックマークコメント

 もう今年も終わろうとしています。例年に違わず、あっという間の一年でした。    

 年の初めに掲げた私の目標は「念仏を中心にした生活を営む」というものでしたが、念仏を通していつも阿弥陀さまと一緒の自分が実感できたことは、何より有り難い事だったと思っています。                                  

 でも、念仏を中心にした生活とは、阿弥陀さまにすべてをお任せした心安らかな生活である筈なのに、この心のざわつきは、一体どうしたことなんだろうと思うこともしばしばありました。                                     

 生きてゆく上では、心配してもどうにもならないことや、考えても答えが見つからないこと、世情や将来に対する不安など、さまざまな事柄がつきまといます。そのような時、「我に任せよ」と言われる阿弥陀さまのお言葉にもかかわらず、自分のことは全てお任せした筈なのに….と(実は任せきっていなかったのに)思い上がっていた自身の愚かさを、痛感させられたのでした。                                

 それ以来、自分ではどんなに悩もうが、心配しようが、所詮どうにもならないような心の荷物は、すべて阿弥陀さまにお任せしてしまうことにしたのです。           


 するとどうでしょう。くよくよ悩むことが如何に徒労であるかを知らされ、何事も然るべく進んでいくものであると、以前に比べ、冷静に受け止められるようになりました。   

 「仏語に虚妄なし」と言われる通りです。心が軽く、穏やかになったように感じます。( And now, I realize the phrase ‘ There is no lie in the Buddha’s words.’

I feel comfortable and quiet in my mind. )


 阿弥陀さまのお導きのもと、自分にできることを考え、気楽に歩んで行けたらと思います。年末に当たり、ちょっと今年を振り返ってみました。                 

2017-12-20

The Moon in the Rain?(雨降りお月さん?) The Moon in the Rain?(雨降りお月さん?)を含むブックマーク The Moon in the Rain?(雨降りお月さん?)のブックマークコメント

 今月上旬のある日、長い夜もすでに開けた朝6時半ごろのことです。その日は、家の中にいても、外はどうも小雨が降っているような気配が感じられました。でもカーテンを開けると、目に飛び込んできたのは月だったのです。一瞬「えっ」と思いました。間違いなく、こちらは小雨が降っているのに、少し離れた空には月が出ていたのです。よく見ると、月の周りのほんのわずかな雲間だけ青空が見えていて、後は薄い灰色の雲が広がっていました。月と小雨の不思議なコラボレーションに心が高揚し、急いで外に出てみました。小雨の中で傘をさしてずっと月を見ていたかったのですが、残念なことに5分もたたないうちに、月は雲の陰に隠れてしまったのです。後は、それっきりでした。              


 ところで、胸が高鳴った訳は、童謡にある「雨降りお月さん」という歌を思い出したからです。念のため、その歌詞は「雨降りお月さん雲の陰 お嫁にゆくときゃ誰とゆく 一人でからかささしてゆく…….. 」というものですが、私の見た小雨と月のコラボのような状況下での嫁入りの様子を歌ったものなのだろうか、このような状況をさして「雨降りお月さん」というのだろうか、と思ったからでした。でも、調べてみますと実際はそうではなく、想像上の歌のようなのです。                              


 少し残念な気がしますが、あの日私が遭遇したような状況によく似た現象は、気象上起こり得るものではないかと思います。と言いますのは、例えば冬、少し離れた空は青空なのに、頭上からはちらちら雪が舞うことがあったり、また、こちらは時雨(しぐ)れているのに、向こうの空は晴れているようなことがよくあるからです。すなわち、複雑な気象条件が織りなすものではないかと考えられます。                        


 ともかく、生まれてこの方、「小雨と月のコラボ」なる現象を初めて見たのです。今振り返って思うのは、もしあの時、あの月を見るのが5分ほど遅れていたら、生涯見ることはできなかったかもしれないということです。危ないところでした。あの月が見える気象条件、私の側のあの時の条件等、いろいろの条件(縁)が重なり合った結果、見られたのだといえるでしょう。大げさかもしれませんが、千歳一隅のチャンスだったとしか思えないのです。


 つまり私は、またとない縁に恵まれたのでした。神秘的で、情緒ある「小雨と月のコラボ」との巡り合わせに、私たちは縁起の世界に生きていることを再確認したような思いです。

(That is to say, I was blessed with a golden opportunity. I was convinced again

that we live in the world of relations by the stroke of mysterious emotional col-

laboration between a drizzling rain and the moon. )

2017-12-14

A Gate Pine Tree(門松) A Gate Pine Tree(門松)を含むブックマーク A Gate Pine Tree(門松)のブックマークコメント

 年の瀬も迫り、店頭に門松等の正月飾りが並ぶ時期になりました。この「門松」を用いて、室町時代の臨済宗の僧、一休さんが、「門松は冥土の旅の一里塚 ( The New Year’s gate decorations are but milestones on our road to Hades.) 」と歌ったことはよく知られています。                                 


 この意味を『故事ことわざ辞典』には次のように書かれています。「門松は正月を祝うめでたいものだが、門松を飾るたびに年を取って死へ近づいていくのだから、言わば門松は死への一里塚のようなものだということ」。                       

 また大意を「年を重ねるにつれて近づくのが墓 ( The more years you have, the

nearer your grave. ) 」と書かれています。                      


 なお、この歌のあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けて言われることもあるとも書かれています。・・・・・さて、個々人はどのように感じるのでしょう。

         

2017-12-09

To Get Out(抜け出す) To Get Out(抜け出す)を含むブックマーク To Get Out(抜け出す)のブックマークコメント

You can check out any time you like, but you can never leave

                        イーグルス          

「チェックアウトはいつでもできるが、ここを去ることはついにできない」。      

米国のロックバンドの代表曲「ホテル・カリフォルニア」から。1960年代末のカウンターカルチャーの高揚を虚(むな)しく懐かしむだけのこの場所からは誰も抜け出せない。一度入ったら出られなくなる現象は至るところにある。最近では、金融緩和政策の出口が見えない状況をさして「ホテル・カリフォルニア化」と言うらしい。(朝日新聞コラム「折々のことば」鷲田清一 より)                              


 一度入ったら(なかなか)抜け出せない現象に、上記にあるように、経済面では金融緩和政策があります。あるいは、その時々におけるデフレ、インフレなどの経済状況も然りです。 また個人的なものとしては、薬物、アルコール、たばこ、ゲーム、ギャンブル、買い物、仕事、生活習慣、ルール、対人関係、生活の場等々、いろいろ挙げられるでしょう。    

 このように、抜け出せないものは「至るところ」にありますが、究極的には「この世」ではないかと考えます。私たちは、生まれた時にこの世に入ったのです。気がついたらこの世にいたのであって、好むと好まざるとにかかわらずこの世を出て行くときは、死ぬ時以外にありません。しかし仏教では、六道輪廻と教えられていますから、あの世でもまた六道を流転し続けなければなりません。結果、果てしない迷いの世界から抜け出すことができないのです。                                      

 ところがただ一つ、迷界から抜け出す方法が仏教で教えられています。この世に生きている間に仏教を聞き、阿弥陀仏の本願に今、救われることです。             

 唯一、六道輪廻の迷界を抜け出す方法が仏教に教えられているとは、心底、ほっとするではありませんか。