お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Drill Hall of Buddhism(仏法の道場)

 私たちは、日々煩悩(自己中心性)に縛られて、すべてを自分の思い通りになるようにと生涯をかけて追い求め暮らしていますが、そうした人生のいただき方(目標)は思い違いであるよと気づかせてくださるのが阿弥陀さまです。   
 例えば、それは「この身」に起こる「苦」を通して知らせてくださることもあります。無常・無我の真実は無相(かたちはない)です。「苦」というのは、自己中心性から起こる「自分の思いの充足」と「「現実」とのギャップを悩み嫌悪することをいいます。その私の「苦」という相(かたち)が顕(あら)わになったとき、そうした私の思い違いに気づく(真実の法に目覚める)チャンスなのです。
 その時、日頃聞かせていただいている通りであったなあと、さまざまな逆境を受け止め、人生の真実と気づくことができるのか、不平不満に終始するのか、それが人生の質・豊かさを決める分岐点です。                
 人生に起こる出来事はすべて仏法の真実を味わうためのご縁であると、力まず受け止められるようになると、順境は「おかげさま」、逆境は「そうであったな」と、空過なき人生を送ることができるのです。(河智義邦:岐阜聖徳学園大学准教授)
  【本願寺新報 第3175号、 コラム「阿弥陀経の まナビ」より】    
 ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽   


 河智氏によりますと、「人生は仏法の真実を味わう道場である」、と言った人もあるそうです。これは、「仏法を主体的にわが身に引き当て聞き学ぶこと、そして聞き得た教えを、自身の生活の出来事を通して味わい確認すること、そういう場が人生である」ということだと仰っています。                                  
 順境、逆境ともに、ありがたいこととして受け入れていける仏法の道場(人生)に空しさはありません。                       
(There is no emptiness in the drill hall of Buddhism, or one’s life where both favorable
circumstances and adversity can be gratefully appreciated.)