お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Existence of the Spirit(霊の存在)

 最近、『呼び覚まされる霊性の震災学』(金菱清(ゼミナール)編 新曜社)という本が発刊されたことを知りました。この本は、東日本大震災における東北学院大学の震災プロジェクトの研究成果の一部を本にしたものだそうです。                  


 本の内容紹介によりますと、次のようです。第一章から第八章の章立てで、特に話題になっているところは、第一章に当たる部分で、「死者たちが通う町 タクシードライバーの幽霊現象」という小見出しがついています。この章では、ゼミの学生の一人が、石巻市タクシードライバーが実際に会った幽霊についての話を聞き取り、まとめた論文が収録されているそうです。指導者の金菱教授によりますと、幽霊を見ることがメインではなく、幽霊現象を通して死生観、死者との向き合い方を考察することが論文の主題である、とのことです。本文全体の内容は、綿密なフィールドワークに基づいたものであり、第一章においても何人ものタクシードライバーの話には裏付けがあるといいます。確かなタクシーの乗車記録があるからですが、そこには、幽霊(たち)が乗った区間は「無賃乗車」として淡々と処理されているといいます。                               


 一般に幽霊といえば、非科学的なもの、また、その存在の有無も疑わしいと考えられがちですが、仏教にはれっきとその存在が説かれています。そして、阿弥陀仏の本願を聞いて浄土に生まれることができなければ、六道輪廻の迷いの世界を流転しなければならないと教えられています。ところが、衆生の死後直後にはまだ行き先が定まらない霊もあるのです。そのような霊は中有界(中有の時期)に留まるとされます。「広辞苑」には次のように書かれています。                                   
【中有】:[仏] 衆生が死んで次の生をうけるまでの間。期間は一念の間から7日あるいは不定ともいうが、日本では49日。                           


 仏教信者の一人として思うのですが、阿弥陀仏の本願を聞かなければ、どこまで行っても六道の迷いの世界から抜け出すことはできません。この世に生きている今が本願を聞く絶好のチャンスであるのです。                            
( What I think as one of the Buddhist believers is that we can never get out of the
six transmigratory worlds forever without hearing the Primal Vow of Amida Buddha.
Now when we live in this world is the golden opportunity to hear the Primal Vow. )


 今回発刊された本の第一章に幽霊が話題にされたことで、迷える霊の存在が一層この思いを強くしてくれました。