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お慈悲のままに このページをアンテナに追加

2018-02-20

Always beside Us(いつも側に) Always beside Us(いつも側に)を含むブックマーク Always beside Us(いつも側に)のブックマークコメント

 誰かがいつも側にいて、黙って、あるいはうなずきながら聞いているのだった。                             小岩勉    

 原発の誘致か反対かで大きく揺れる中、1984年に運転を開始した女川原発。数年後に漁村の暮らしと生業(なりわい)を撮り始めた写真家は、訪れた家々で、地域に走った深い亀裂をめぐる話に耳を傾ける。傍らにはいつも静かにそれを聞く人がいた。 (略) 写真家『女川海(おながわうみ)物語』から。(朝日新聞コラム「折々のことば」鷲田清一より)

 この「ことば」を読むとき、私には、「誰か」とは阿弥陀さまのように思えてなりません。と言いますのは、阿弥陀さまは行住坐臥に常に私たちの側におられるからです。従って、上記のような家族の話し合いの場であれ、多人数の、あるいは二人だけの場であれ、阿弥陀さまが、「いつも静かにそれを聞く人」として、私たちの側にいて下さるのです。     

 それだけで心が安らぎます。(The mere thought of the Buddha’s presence beside

us makes me peaceful.)