おひさまを呑んだ蛇

いつの頃か忘れたけれど、今とは遠く離れた頃。
光を知らない少女と、大きな蛇のお話。

女の子は今日もお母さんの言いつけ通り、裏山でランプに使う油を採っていました。
あたりは真っ暗。風が優しく吹いています。
ふと、女の子は何かに気づきました。

「こんばんは、それともこんにちはかしら?ねえ、そこにいるんでしょ?生き物の匂いがするもの。」

「…やあ、こんにちは。ヒトがいたんだね、気づかなかった。」

「そこで何をしているの?」
女の子は訊ねます。

「何って…。君の方こそこんな真っ暗な中で何をしているんだい?」
男の子は言いました。

「私は、油採り。私の仕事なの。油がないと、ランプが消えちゃうわ。そうすると何も見えなくなってしまって、みんな困ってしまうでしょう?この頃はようやく雨も止んでいることだしね。」

「そうだね。でも、君はランプをつけていないじゃないか。どうして?困らないの?」
男の子は不思議そうに尋ねました。

「…私ね、ランプがあったってしょうがないの。…目が見えないの。」
女の子は悲しそうな顔で微笑みました。

「…そうか、それで君は…。」
男の子も言葉を詰まらせます。

「でもね、そんなに悲しいことじゃないのよ。だってほら、いまは誰だって何も見えてないでしょう?昔は【おひさま】があって何でもよく見えたって、お父さんはよく話してくれるけど。」

「…。」

「私が生まれるほんの1日前に、【おひさま】は消えてしまったんだって。とーっても大きな蛇が呑み込んじゃったって、お母さん言ってたわ。」

「うん、知ってるよ…。」
男の子はどこか思い詰めた様子です。

「それで私は【おひさま】を知らないから、目が見えなくなってしまったんだって。でも悲しくなんかないわ。顔が見えなくたってお父さんもお母さんも優しいし、スープだって美味しいもの。
…あ、でもね、ひとつだけ見てみたいものがあるの。教会に大きな絵がかかってるでしょう?とっても素敵な絵だってみんな言ってるわ。わたしにはもう見ることはできないけど、もしも見られたらどんなに幸せかしら。」
女の子は想いを馳せる様に、虚ろな目で空を見上げます。

嬉しそうな女の子を見て、男の子は何かを考える様にしばらく黙りこんでいました。そしてしばらくして、その重い口を開きました。
「…そうか、うん。それじゃあ見せてあげよう。絵も、街も、お父さんとお母さんの顔も。」
男の子は呟きます。

「…え?」
戸惑う女の子を尻目に、男の子は続けます。

「むかしむかし、嫌われ者の神様がいました。雨の神様です。みんなに好かれたいのに上手くいきません。好かれるのはおひさまばかり。いつだって嫌われてしまいます。そこで雨の神様は考えました。
『おひさまがなくなれば、きっとみんなぼくを好きになってくれるぞ。』」

「…それで、雨の神様はどうしたの?」
女の子はおそるおそる尋ねます。

「そうして雨の神様は、おひさまを丸呑みにしてしまいました。」

「…!」

「それで雨の神様はみんなに好かれるはずでした。でも違いました。おひさまを失くした人々は光を失い、ランプの灯る家へと籠る様になってしまいました。雨など降ればなおさらです。みんなは雨がもっときらいになっていました。」
「雨の神様は悲しくて悲しくて、毎日毎日泣き続けます。おかげで雨は降り止みません。」

女の子はなぜか悲しくなってきて、目に涙を浮かべました。
男の子は続けます。
「自分の間違いに気づいた雨の神様は、神様を辞めて人間のフリをして過ごし始めました。そうしてある穏やかな風の日に、ひとりの女の子と出会います。」

女の子はもう涙をこらえることができません。

「女の子は目が見えませんでした。優しい子です。かわいそうな子です。教会の絵が見たいのに、それを見ることができません。」
「神様はとうとう、おひさまを返すことを決めました。」
そう言うと男の子は、大きな口から光のかたまりをひきずりだし始めました。
その目には涙を浮かべ、とても苦しそうです。

女の子の視界はみるみる白んでいきます。
初めての光に、女の子は感嘆の声を漏らしました。
「これが…、これが世界なのね!見える、見えるわ!」

そして大きな鳴き声がひとつ響きました。

女の子の目がはっきり見える様になった頃、そこに見えたのはどこまでも続く様な緑の草原と、青い空だけでした。
男の子の姿はどこにも見当たりません。

「…空に帰ったのね…。」
女の子はひとり呟きました。

「ありがとう、雨の神様。私はあなたを嫌いだなんて思わないよ。
だってあなたは、わたしの友達だもの。」

女の子が見上げた空には大きな雲が広がっていました。
それはまるで、おひさまを呑み込んだあの蛇の様でした。

おしまい。