移動する事で疲労する体力もあると思う。

疲れていたんだと思う。それくらい昼寝をした。11時前だったのは覚えているのに、気付いたら16時だった。4ヶ月半の息子は普段昼間は寝たがらなくて、朝起床した後ベッドに連れて行くと泣き出すくらい嫌がる。それを敢えて、ガチ泣きをさせるくらい置いてやったら、2回ほど大泣きして、それから諦観したのか僕の胸の上で寝た。彼がとっても暖かいので、気付いたら二人でぐーすかと寝てしまった。
本当に疲れていたんだと思う。昨日まではドイツに3日間いて、しかも人といたのだからずっと気を遣うし、また昨日の昼食後からはマールブルグからフランクフルト中央駅まで電車、そこからSバーンで空港まで。空港で仕事を一通りして、それから18時半のフライト。LCCで優先権買ったのに買う人も多かった上に、飛行機までのバスの中で優先的なものがなかったのでずっと臨戦態勢でいたし、空港からもタクシーが言い値よりも高く取りやがってイラついてたし、帰ったら友人も家にいたし(それは嬉しい事だけど)、送り迎えした後コンタクトレンズも取らずにすぐ寝てしまったせいで1時半に起きて2時間くらい眠れなかったし。金曜日の今日、休みを取って正解だったと思う。
今日は夜空手に行って、汗を流した後、買い物。帰り掛けに師範が名東区出身だと知る。

本当に悔しい

いや、まだ日本シリーズが終わっていないんだけど、やっぱり日本シリーズのビジターで一勝も出来てないのってすごく悔しいわけですよ。そんで次3連勝しないと日本一になれないわけですよ。そんでもしその間に負けたりすると、野球がないシーズンでもついクセで野球関連のページを見る度に何故か日本シリーズの最後の試合結果だけ、ずーーーーーーーーっと「直近の試合結果」に表示されてるわけですよ。それって本当にやるせないんですが、34年の間に何度も優勝されてればそりゃそういう感覚分からんですよね。

自分というものを理解している毎日である

もうすぐ1ヶ月になりますが子どもが生まれました。自分の過去記事を読んでからここに辿り着くと感慨深いものがあるでしょう。また落ち着いて書けたら。
今は母が来て、たった1週間だけど、どうやって過ごすか色々考えています。

本当に自分の中で許せない事だったんです。

Facebookでも書いたんですが、イタリアのSDAというイタリア郵便局の子会社の配送会社とAmazonの荷物で揉めました。本棚を頼んだんですが、こちらがAmazonでお願いした日程よりも先に届けてきて、当然我々はおらず。
配送人が気を利かせたのか、次の配送の時に持って来るよ、と電話してくれたので安心していたら、いつになっても来ない。電話しても、まだ配送するタイミングが来ないんだよ、と言い張る。最後結構キレ気味で電話したら俺の責任範疇にない、だと。だったらお前の仕事は何なんだ。
しょうがないのでコールセンターに電話してお願いすると明日配送しますといわれて待っていても来ない。それの繰り返しの挙句、最後に当たったババァには、そんな事言われてももう返却するわよ、と勝手にキャンセルされる。いやいや、あなたの仕事は何なんですか、配送会社でしょ?と聞くと、我々はAmazonとは1回しか配送しない契約なの、あなたが在庫センターに取りに来なかったのが悪い、分かりました、だったら何で最初の配送の時にお電話する事もなかったんですか、こちらが指定した日に来ないなら無責任なお仕事ですね、知らないわよ、私は関係ないもの。ハァ?ハァ?ハァ?なんなんだババア、お前の仕事は何だ。配送させるのが仕事じゃないのか。
というかイタリア人に限らず、ババアというものは仕事をする上で一番融通が利かせられない生き物で、これがイタリア人且つイタリア国営に近い会社という最悪なコンボで発動したのが今回の顛末。あいつら「私の話を聞きなさい」と言って、最後まで聞いてから反論始めた途端、また「私の話を聞きなさい」とかほざいて同じ事を繰り返す。挙句ガチャ切り。
人生の中で知らない人を呪ったことはないが、このババァだけはどうにも許せない。呪ってやりたい。今すぐにでもクビになれ。明日にでも心臓発作起こして死ね。のたうちまわって何十時間でも苦しんで死ね。そんでマジで末代まで呪われろ、お前の子孫なんか人類のクソの役にも立たないんだから全匹死滅してしまえ。友人、親戚5親等くらいまでほんと死ねばいい。っていうかイタリア人自体、もっと教育されれば良い。クソな社会だって自分たちで思ってるんだったら、ほんとさっさと潰れたほうがいい。ウチの妻が言うように、イタリアは犬の方が人間より賢い。本当に犬以下の人間だらけ、さっさと去勢されて根絶やしにされるべきだ。

というかこのSDAという会社、ホームページに英語でのコールセンターご希望は下記Skypeまでとかほざいてる割に、電話して大体繋がるのが簡単な英語すらもロクに会話もできない、若いオペレーターばかり出てくる。英語が出来る奴と会話できたとしても、言葉と行動が同じになったためしがない。イタリア語でも英語でも、何でお前らここまでバカなのか。早くこのSDA、潰れろ!

あぁ、思い出しても腹が立つ。

ちなみに途方に暮れてAmazonにメールしたら、2時間後に電話かかって来て、お客様の言う通りで、我々もイタリアでのクーリエ案件は毎日4−5件あり困ってます、今回Primeの期間を1ヶ月延長しましたし、再配送も最後まで見届けますので、申し訳ない、ときた。イタリア人よ、これがお前らがバカにするアメリカの会社の対応ですよ。
正直、結構なホームシックです。恋しいわけじゃない、イタリアが嫌いなのです。この国の教育制度を見ていても、何一つ将来に希望が持てない。日本にいたって将来の希望が持てないけれど、ここは若い人間を見ても頭悪い奴らだらけで、さらにその親まで頭悪そうで、そんなのだらけなのだ。
本当は本社のあるウィーンに住みたい。使えないイタリア語よりもドイツ語を覚えたい。

確かに気付いたら虫歯があったなんてあるが、あんなに歯医者に通う妻が不思議で仕方ない。ちなみにイタリアは歯医者は保険適用外、マジで高額ですよ、イヤんなるくらい。

金曜日は予定日前最後の検診なので、休みを取っており、木曜夜仕方ないので仲直りをした。自分が悪いと思ったことは謝って、でも聞いてほしい事は毎回じゃなくて良いからたまには聞いてほしいと伝えて。結局妻は自分が悪いだなんて認めたくない、こういったところは子どもなのだ、許容してあげないと。僕だって自分の子どもっぽいところは許容してもらっているのだ。
金曜日は検診。案外さっさと終わった。次の検診は予定日の6月6日で今までのF棟1階(日本の2階)ではなく2階らしい。陣痛が起きる気配が全くないのだが、妻は本当に出産するのだろうか。金曜は昼ごはん何を食べたっけか。そうだ、TENOHA MILANOに行って、妻はとんかつ、僕は豆腐サラダを食べたのだが、豆腐サラダが美味しいのに量が少なかったので、近くのSpontiniでピッツァ2切れ持ち帰って食べた。Spontiniは日本にも出来たようだが、ミラノで多いこういう鍋焼きみたいな分厚いピッツァは結構美味い。
夜は空手、いつも一人か二人の練習なんだがその日は数人いた。紫帯のイタリア人が超ファイター気質で、ピアノピアーノ(ゆっくり、とか、弱く、とかの意味)でやろうとか言うくせにマジで思いっきりやってくる。こっちもスピードつけてやるとまた、ピアノピアーノ。おんどれ、マジでどついたろか。なおかつ弱めにやってあげたら今度は、ケリはもっとこうだ、とか余計なお節介で見せてくる。ほんとイタリア人らしい自分勝手な優しさだよなぁ。聞いてあげる僕の優しさに気づいてほしいね。

土曜日は日本人学校の体育館で本の市があったので、昼ごはんを食べてから向かう。その日一日使うくせに本の市自体はたった2時間しかやらない。大量の本を買う。中古だからトータル27ユーロで安いもんだ。野球関係の本を買った、落合とノムさん、好きやねん。
昼はドミノピッツァを食べた、かねてから気になっていたので。いやいや、最高やあそこ。イタリアのピッツァで物足りないのは、ジャンキーな味付けが一切ないこと。日本で宅配ピッツァ頼むと僕はよく照り焼きチキンだの、色んな具材とソースがかかっているやつをオーダーしたもんだが、当然本場のイタリアではピッツァに合う具材だけの選択しかないので、たまに無性にあのジャンキーな味付け食べたくなるのだ。アメリカ系のドミノピッツァもミラノでは増えつつあって、ずっと気になっていたのだが、メニューを見ると、ピッツァのパスタ(下の生地)は2種類選べて通常のパスタと若干鍋焼き系のパスタ、その上にアメリカ系の味付けもあればイタリア系の味付けもあるという、イタリア進出のツボを抑えている最高の展開。当然その相乗効果たるや素晴らしいもので、マジでアメリカ系の味付けのままイタリアのピッツァが食えるのだ。こいつは素晴らしい。エジプト系などの上手くないピッツェリアに行くよりもここで食べた方がイタリアのピッツァも美味いよマジで。
しかしあれだね。ここまでジャンキーな味付けだと、ピッツァの耳・クラスターは確かに退屈な味になるよね。イタリアのピッツァのいいところは、マジで美味いところはクラスターまでも美味い。香ばしいパンを食べているよう。あれを含めて料理として完成させている、ピッツェリスタたちのテクはマジで一度味わった方がいいレベルだが、それもジャンキーな味付けがないからこそなのかもしれない。このイタリアのドミノピッツァ、僕は耳が殆どない鍋焼きタイプをオススメする。

今日日曜日は再度空手。基本の試験が有り、ちゃんと順序だててやれたがはたして。ようやく白帯から脱する、まぁ別に帯の色にそこまでこだわりがない。妻が出産前なのに歯が痛いと泣き始める。彼女はあんなに歯を磨くのに、歯で悩んでいる。子どもには絶対に口移しはさせてはならないだろう。

どっと疲れたのに、家でもどっと疲れてる。誰かに癒されたい。

今日はパルマの展示会場のSPS IPS Driveに行った。産業用機械の展示会。今まで詳しく知らなかったので今回色々勉強できた。そう広い会場でもないのだが(そもそも本番のドイツのが何倍もでかいし)、じっくり見て考えていたので、結構歩いた。本当は昼過ぎに出て、同僚のチリチリパーマ野郎にオフィスのサンドナートまで送ってもらうつもりでいたのだが、上記のようにじっくり見たので結局一人で電車で帰る。100キロくらいを11ユーロなんだけど、2回乗り換えの上、鈍行だから2時間近くかかったよ、オフィスに帰るだけで。

我々の夫婦喧嘩にピリオドが打てるわけじゃないのは分かってる。分かってほしい事を分かってくれない。それがケンカや争いの発端になるわけだけど、でも大事なのはお互いがお互いそう思ってるという事を念頭に置く事だ。だから譲歩しようかな、と思う事が多いけれど、でもそう簡単じゃないのが僕らの悲しいところ。

たった今夫婦喧嘩をした。我々のケンカは大体が軽いやつで、お互いにちょっとツンとした状態から大概が僕から「謝ってやってもいい」みたいなニュアンスで妥協してやって仲直りするので、九割九分僕が折れる。っていうか僕は短気な分、しばらくすると冷めてきて、何でこんなくだらない事で争ってるんやろう、笑ってる方が楽しいのに、と考え始めるので、上手く場を和ませるように譲歩してあげる。我ながら上手いと思うのだが、勝手に短気起こしてもいるので、それくらいしないと申し訳ない気もする。
僕と違って逆に、妻は本当に頑固で、今まで一度たりとも自発的に謝ってきたことがない。なので僕が折れないと何一つ良い方に進展しない。なので重いやつというのは、僕が心底許せないことでお互いがっぷり四つで組み合った時だ。こんな時、最終的に僕は怒鳴ってガッツリ妻を泣かせる。っていうかシカトしていると勝手に泣いて入ってくる、あの人泣き虫だから。
今回のはわざわざ書くくらい当然重いやつ。きっかけは出産予定日2週間前なのに遊びに行こうとした事で、後々考えても僕が確かに悪いのだが、妻の言い方は相手を思いやった言い方をしない事がたまにあり、彼女の返事に僕がカチンときて、ずっと腹の中で燻っていた物を引き合いに出して怒ってしまった。僕は短気ですぐ収まれど、結局解決しなかった事はすごく腹の中で燻っているのだ。
その燻っているものは友人との付き合い方。僕の友人夫婦が、スイス国境辺りから散髪でウチの近くに来る時に、僕にお茶しないか声を掛けてくれるのだが、初めてご飯を一緒にした時に妻が一方的に奥さんの方の友人を嫌いになったようで、それからいくらお願いしても会おうともしてくれない。分からない、妻はどうやら嫌なことをされたというが、その奥さんはそんな嫌味を言う人でもないし、僕は本当に付き合い易い方だと思って付き合っている。それにその奥さんだけと会うわけじゃない、笑顔が素敵な旦那さんも一緒。しかもベビー用品を譲ってくれて、わざわざウチまで持ってきてくれて。なので礼儀として僕はこちらも夫婦で会うべきだと思い、何度もお願いしたのだが、頑と会わない、の一点張り。その時、かなり険悪なムードになったのだ。
その時は僕も上手い言い訳をして、僕一人で会ったのだが、なにぶん僕はその友人夫婦にとって仲人みたいな奴で、これからも、イタリアにいる限りずっと付き合いをして行くのだ。また、向こうには2歳の息子さんがいて、ちょうどイタリアでの子育てが色々聞けるので、付き合いを失くすのはできない。だからといって、毎回嘘を塗りたくった言い訳は言いたくないし、またそれで無駄に心配されたくない。

やはりこういうところは考え方や感覚の相違なんだと思う。諦めているとか、腹を立てているとかではなくて、どうにもお互いのこうあるべき、という常識、捉え方が違うんだろう。僕は嫌いな人とでも礼儀としての付き合いは全然できるタイプで、寧ろ夫としては妻の友人と上手くやる事を考えて、何言われても平気でいられると思う。鈍感だし。それに、結構形式を重要視するところも幾分かある。
妻はそういうところが真逆なのだろう。彼女は集団行動が好きじゃないタイプで、自分の好きな人としか付き合いたくないし、礼儀なんて関係ない。形式ばる必要もない。こう書くと、僕がいい風に思えるかもしれないけれど、それは僕がこの文章を書いてるからで、彼女が同じような文章を書くのなら、きっと僕は好意的に書かれないだろう。結局捉え方次第なのだ。

だからといって、我々の夫婦喧嘩にピリオドが打てるわけじゃないのは分かってる。分かってほしい事を分かってくれない。それがケンカや争いの発端になるわけだけど、でも大事なのはお互いがお互いそう思ってるという事を念頭に置く事だ。だから譲歩しようかな、と思う事が多いけれど、でもそう簡単じゃないのが僕らの悲しいところ。
でも僕が譲歩しない事が少ないって分かってるんだから、ここは本当に我慢して、譲歩してくれないかな、って真剣に思う。