さようなら〜2002年供用停止種牡馬外伝その46「マンジュデンカブトの場合」

 JRHR日本軽種馬登録協会から2002年供用停止種牡馬一覧が公表されたのを受けて、MilkyHorse.comではニュースコンテンツ「文芸欄」の企画として、まよ氏@MilkyHorse.comの執筆による供用停止種牡馬の馬生を簡単に振り返る外伝を連載します。

 マンジュデンカブト(JPN)→2002年1月1日、用途変更

 1986年生。父は11年連続リーディングサイアー、13年連続リーディングブルードメアサイアー(継続中)など、数々の金字塔を打ち立てた名種牡馬ノーザンテースト

 母はMatchem→Hurry On→Sheshoon系のスティンティノを父に持つマンジュデンミキコ。スティンティノは、リュパン賞(仏GI)、クリテリウム・ド・サンクルー(仏GI)勝ち馬で、種牡馬としては朝日杯3歳S2着のスズフタバなどを出している。祖母のチトセホープオークス馬で、1961年の最優秀3歳牝馬。近親にクリスタルC(GIII)勝ち馬のキリノトウコウなどがいる。

 旧4歳の1月にデビュー。新馬戦は2戦してともに1番人気に推されたものの、4着、2着と勝ち切れなかったが、4戦目で未勝利を脱出。1勝クラスでもやや苦戦続きだったが、暮れの阪神開催で2勝目を挙げた。

 明けて旧5歳になってからも、やはり900万下でいま一つの成績を繰り返していたが、夏の北海道開催でひと皮剥ける。500万下への降級2戦目となった渡島特別で後の菊花賞メジロマックイーンをアタマ差退けて3勝目を挙げると、続く恵山特別では、不良馬場という有利な条件があったとはいえ、函館のダート1700mを1分43秒9で走破して連勝。これは従来の記録を何と2.7秒も縮める大コースレコードだった。

 完全に本格化した旧6歳時は、春の京都開催で準オープンを勝つと、続く雅ステークスでもミスタートウジンをハナ差抑え込んで連勝。その後も、東海ステークス2着を挟んで、神無月ステークス、アンドロメダステークスを再び連勝。いよいよ重賞制覇のチャンスかと思われたが、ウインターS(GIII)では前年の覇者ナリタハヤブサのレコード駆けの前に1/2馬身差で涙を飲んだ。

 明けて旧7歳。平安ステークスを叩いて臨んだフェブラリーH(GIII)では、斤量60kgを背負った仇敵ナリタハヤブサを退けたものの、10番人気のラシアンゴールドの大駆けに遭い、またしても1/2馬身差及ばず2着。その後も、麻耶ステークス、タイムス杯を制したほか、ブリーダーズゴールドCでもヘイセイシルバーラシアンゴールドとの叩き合いをものにするなど、オープンクラスで活躍を続けた。

 しかし、ブリーダーズゴールドカップをピークに徐々に衰えが見え始め、さらには斤量との戦いも加わって成績が下降。ついに旧8歳時には障害入りする。障害未勝利戦を2戦目で勝ち上がった後、再び平地競走に復帰したものの、旧9歳時の4戦は全て着外。6年近くに及んだ競走生活は、ここで終止符を打つことになった。

 現役引退後は種牡馬入りを果たしたものの、交配相手には恵まれなかった。しかし、これまでに中央競馬に登録された産駒は、父と同じオーナーのマンジュデンビンゴ、マンジュデンツルギ、マンジュデンコウベの3頭全てが勝ち上がっている。特に、最後の産駒となったマンジュデンコウベは、今年の3歳の春に早くも2勝目を挙げ、オープン特別でも入着(端午Sで5着、昇竜Sで4着)するなど、素質の片鱗を見せている。今後も、父同様の成長力を見せてくれることを期待したい。(文責:ま)