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2017-02-21 弓をやりまくる日々。 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

ここ数日毎日弓やってるんだけどfast learnerだと自分でも思いますよねっつーかやっぱ理論がある程度頭に入ってるっていう状態でやるってのはいいよねっつーかそりゃ上達もするよねってことになるんだけどさ、相変わらず取りかけが安定しないっていうかまぁ昨日また3時間ぐらいやってだいぶレベルアップしてんで今日は2時間ぐらいなんだけどようやく「ポロン」っつって弓が落ちちゃうみたいなことにはならなくなって射れば絶対飛ぶっていう感じにはなってきたんだけどさ、相変わらず怖いよね。ほっぺにつけるのが(笑)弦で頬打ちそうで怖くてさ、まぁでもだいぶ慣れてはきたけどんでもあれだよね、取りかけの感じでうまくいくかどうかってすぐ分かるよね。引いてるときにちゃんと引けてなかったり変な取りかけになってるからかなり力を入れなきゃ引っ張れないとかそういう場合はもう撃たないで戻してるね。で、うまくいくときっつーかちゃんと取りかけができてるときってのはなんつーのかな、ストレッチャーを伸ばしてるような感じでグーッっと自然に引けるんだよね。そこまで力がいらなくて「これだな!」って思うんだけどっていうかあとやっぱ勢いが凄いよね。当たり前か(笑)


ただshooting rangeでやらないとダメでまぁ相当みっちり練習してから行くべ!とは思ってるしあとまぁとりあえずやってみたいみたいな初心者って場所借りれないらしいんだよね。弓道体験コーナーじゃないからってことで経験者のみってことになってるんだよね。まぁそうなるとshooting rangeデビューも近いな!って思いつつなんか違うよなーと思ってさ、ようはやっぱ15キロじゃないんだよね。一応選べる上限の20じゃないとダメだ!って思うようになってっていうか逆に変な話、グラスカーボンの20ぐらいだと勢いで押せるみたいなところがあるんだよね。ようは真っ直ぐ飛ぶわけだ。でも弱い弓は届かないからちょっと上目を狙って弓が落下するぐらいのときに刺さるみたいな感じになるんだけどさ、絶対そうなってるだろなって思うのね。


ようは巻き藁レベルの距離ならそりゃいいけどさ、んで勢いもあってなんかすごくうまくいってるように見えるけど多分相当減退すると思うんだよね。どこまで真っ直ぐ飛ぶのか?っていうと多分あんま届いてないと思うんだよね。まぁ10メートルぐらい離れて打っても毎回ちゃんと真ん中に入るからちゃんと飛んではいるとは思うんだけど勢いのことを考えると「あー分からん」って感じになっちゃってさ、んじゃあとっとと弓道場で打ってくれば?って話なんだけど弓の運搬って相当面倒だし行くのが面倒でさ(笑)なんかその巻き藁の距離っつーかまぁそれを近的と言っていいのか分からないけど巻き藁で完璧!っつーレベルにしてから行きたいんだよね。行ってから「あーダメだ。なんとかしなきゃ」ってなるとその分無駄だしあとまぁ別にかっこ悪いのはいいんだけど他の人と並ぶわけですよね。そんな中でみっともない射なんてできない!なんて思わないのよ。ただまぁある程度仕上げてこないとそれこそ「経験者」にならんだろうってことで巻き藁レベルなら上級ぐらいになってからshooting range童貞を卒業する感じだよね。一時間ぐらい「うわームズいな遠距離」って思ってんでも持ってる経験と知識で調整が分かるようになって1時間過ぎたあたりぐらいから当たるようになってきてだんだん安定してくるってのが目に見えるんだよね。


んでもそれには20キロの弓が必要だ!ってなんか思っててさ、だから買っちゃおうと思ってるんだよねって居合の時と同じパターンだね(笑)刀買ってすぐにもう一本だ!っつって買うっていうまぁ居合の場合、重すぎるのと長すぎてダメだったから短い軽いやつを買ったっていう話でダウングレードなんだけど今回の弓はアップグレードですよね。でもまぁ色々と読むと20キロ以上の弓を引くと若いときはまだいいけど歳取ってくると引けなくなってきてプルプル震えだすらしくてだから20ぐらいが限度というか歳取っても引き続けることができるちょうどいい強さらしいんだよね。


ただまぁあれよね、かといっても今の15キロが無駄になるか?っていうとそんなことなくてなんかちょっと手痛めたとかもうちょっと軽くしたいなーってときは15のやつ引けばいいわけだし使い分ければいいんだよね。ただ最善は20を引くってことだよね。だからイメージ的になんつーのかな、弱い弓を長く引き続けるよりも強い弓をちゃんと引いて腕がすぐダメになってちょうど1時間半ぐらいするともう無理になってきますねって感じでフェードアウトみたいなのをイメージしてるんだよね。15だと疲れなさ過ぎてっつってもだいぶ腕来てるとは思うけどんでもまぁちゃんとした引き方っつってもまぁそりゃまだ全然初心者だけど力でやらなくなると本当に負担が少ないんだよね。


ただまぁでもなんだろう、そこでね、まぁすげーテクニカルなことだけど離れはやり易いんだけど引くのがちょっと力いるっていう取りかけとがっつり抱え込むようにして弓矢を持って引くというよりかはさっき書いたようにストレッチャーを開くような感覚で引くことができるとまぁ楽でっつってもかなりガッツリ抱え込んでるから離れが難しくなるんだけどでも引きやすいのとあとブレないんだよね。だって俺ぐらいの非力な全く筋トレしてないで本ばっか読んでるみたいなやつが15キロの弓を余裕で引けるんだったら20キロいけるでしょうっつーのはさ、単純にやってれば筋力つくじゃん?で、筋力アップしたときの自分ってのを想定するとベストなのがやっぱ20なんだよね。矢の勢いもブレも少ないしっつーかあとまぁグラスカーボンの力業というかさ(笑)評価はされないにしてもすんげー的中率を誇るってことにはなるだろうなって思ってるのね。


そういう意味でなんだろうな、すんげー当てて行きたいのね。フォームの美しさとかも必要とされるっつってもどんだけフォームが汚かったり変な持ち方してても的中率が高かったらさすがにそりゃやっぱ凄いじゃんね。俺が目指すのはそこなんだよね。あと上に行ってぺなーっとして落ちて刺さるみたいなのが凄く嫌で真っ直ぐ「ストン!」って刺さるのが良くてさ、ようはそれをやりたい!ってことだよね。あとなんかちょっとあっけないというかここ数日のダイエットのためのインテンシヴトレーニングですぐ引けるようになっちゃったってのもまぁそりゃ中るかどうかってのは別だし全然初心者のレベルだから話にならないんだけど俺的に「うわーまだダメだ・・・」って考えてたり苦労するのが好きであとまぁ全く運動とかしてないわけでちょっと体を痛めつけるぐらいのもんでいいと思ってるわけ。


ただまぁ弓を買ったときに20キロ引いて全然引けなかったっつってもあの時って引き方が分からなかったからね。腕で引いてて「固い!!固すぎる!」って感じだったけど今は骨法で引くっていう技術を習得しつつあるから15キロ引いててもそのね、さっき書いた取りかけがちゃんとできてる場合七分ぐらいの力で引けるっつーのかな?だからプルプルもしないしブレないでちゃんと飛ぶんだよね。だったら今の力で9割ぐらいの力の入れかたでギリギリプルプルしないぐらいのレベルで引けたほうがいいってことになるわけよね。まぁでも弱い弓で当てられるほうが技術的には上なんだけどね。


んでもそれって20引いててじゃあ15で当てられるのか?っつって勢いだけに任せてるのかどうか?ってのが15で試せるからどの道二つあっていいのよね。ただまぁなんだろう、あれなのよね、やっててちゃんとした引き方っていうのが分かって全然力いらないからだったら強い弓引いたほうがいいし矢の勢いもそっちのほうがいいでしょうっていう単純な利点なんだよね。あとまぁ自分でも驚いてるわけよ。ちゃんと引くことすらも無理だった15で余裕で引けるようになってる!っていうその弓道骨法っつー技術だよね。その技術に感動してるのよね。決して筋力がアップしたわけでもないし力の入れ方のコツがわかったとかでもないんだよね。なんかそれって技術が上がったってのとも違うんだよな。然るべきやり方を身につけたっていうか完全じゃないけど身につけ始めているっていう感じで本当に認識的な感じなんだよね。


なんかまぁそれって勘違いしがちなんだよね。「俺凄くない?」ってことになるっつーかそう感じるんだけど実際に凄いのは武術としての弓術っつー培われてきた技術なんだよね。それをもってすれば筋力がない俺でも15キロの弓を簡単にとまではいかないけどそこまで力まずに引けるようになってなおかつちゃんと飛ぶようになるっていうそれはもうやっぱその技が凄いんだよね。俺の技ではなく培われてきた技そのものが凄いということね。そこがやっぱ技のロマンだよね。筋力ではない技術ってのがあってでもそれは見ただけだったり読んだだけじゃ分からなくて理解してなおかつ身体にフィードバックされて初めて認識されてそれが技として利用可能になるっていう感じだよね。だからそこに自分はいらないんだよね。もうその技そのものになるという感じだよね。出来た出来ないじゃなくてその技通りになっているかなっていないか?っていう問題だけだよね。


だからなんだろうね、こないだも書いたけどまぁすげー集中して気の流れとかも意識しながら耳栓してガチの数学書読むぐらいの抽象性でやってるんだよね。抽象すればするほどデータクラスタみたいなのがバラけないで統合されるんだよね。それによって全く無駄な動きをせずにただ射るだけということができるようになる。例えば弓を持たないで弓矢だけで弓を引く動作をするって簡単だと思うんだよね。まぁそれでもちゃんとした型になってるか?ってのは客観的な観点が必要だけどまぁでもそこでじゃあなんで弓を介在させると一気に難しくなるのか?っていうとそこで「引かなきゃいけない」とか「中てなきゃいけない」っていう雑念が生まれるからなんだよね。あとはまぁ実際の弓を使う時に感じる弓の重さとか引きたいと思っても弓を持たない時みたいに簡単にはいかないっていう物理的な抵抗があるよね。


でもそれもようは弓と一体になってそれこそ弓を持たない状態でやるときのような型のように射るってことだよね。弓と体なりマインドってのが一致するとそういう風にできるようになるんだよね。といってもそこで毎回そりゃエラーはあるんだよねっていうのが俺の場合は特にさっきも散々書いたけど取りかけなんだけどね、でもそれさえできればあとはもう幾何学ですよね。自分自身が水平な弓矢をリリースするメカニズムそのものになるっていう感じね。失敗する場合は身体へのフィードバックが上手くいってないかあとは概念エラーを起こしててそもそも間違ったことをしてるっていう可能性があるよね。逆に完全に型通りに水平に保ってリリースできればちゃんと飛ばない理由がないんだよね。逆に。ピッチングマシン自体に意志はないからそれ自体がただメカニズムに従ってボールをリリースするわけじゃん?それと同じ原理だよね。


そこに上達も何もなくていかに最善の型という名の弓矢をリリースするという動作をできるか?っていうことなんだよね。それは動作をやるんじゃなくて技自身になるんだよね。そうなると数学と一緒で数学公理系が必然的な論理的帰結を生み出すように弓の動作ってのは身体を使う幾何学なんだよね。それをいかに公理的にできるか?っていうことにかかってるんだよね。機械的というとロマンが無いけど禅的というとロマンがあるでしょう。無になるというのはまさにそれだよね。


なんかまだ書くことあったけど今日はいいや。んじゃまた。