好きを貫くときに気をつけたいこと〜二つの好きについて〜



もう大分昔なんですけど、「好きを貫け」とかいう話があったじゃないですか。
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
んで、最近、ふと、この「好き」を考えるときは、それがどこから来ているのかってのを考えた方がいいのかもしれんなー、と思いまして。
どうして、そういう風に思ったのかってえと、実はそもそものきっかけは、マジック:ザ・ギャザリングの体験ゲームなんですよね。
http://mtg.takaratomy.co.jp/#
http://mtg.takaratomy.co.jp/beginner/trialversion/index.html
以前にも書いたように思いますけど、僕は中高生のころ、マジックを結構やってたんですよ。つうても別に大会とかに出たことはなくて、学校の中で適当にやってただけなんですけどね。
それで、懐かしくて、つい、こいつをダウンロードしたんですよ。
これが結構出来が良くて。とりあえず、クソ重たい以外はかなりいい感じなんすよね。
で、僕は中高生の当時から、青デッキが好きだったんですよ。
まあ、マジックわかんない人は、テクニカルでトリッキーな戦法が好きだったって思っててください。
で、そういうのとは別に、緑でお気に入りのデッキがあったんですよ。
これまた、わかんない人は、正面からパワーで押し潰すタイプの戦法だと思っててください。
それで、その体験ゲームでも、青と緑を中心にプレイしてたんですけど、なんか妙なんですよね。
何故か、緑でやってる方が楽しいんですよ。
青が駄目なわけじゃないんですけど、どーも緑の方がいい気がしてならない。
これはどういうわけなんだろうって思ったときに、ハッと気付いたんですよ。
要するに、俺は、青に「憧れて」たんじゃないだろうか、って。
もっと言えば、技巧的で華麗な、蝶のように舞い蜂のように刺す、そんな戦法に憧れてたんじゃないか、と。
憧れってのも、色々あるかと思うんですけど、「自分にはないものに憧れる」ってえのが、一つあるかと思います。
要するに、俺は、自分にない、そういう技巧的なものに憧れて、青が「好き」だったんじゃないか。
そして、逆に、緑がやってて楽しいのは、自分に合っているからなんじゃないか。
どーも、そんな気がするんですよね。
まあ、別に、憧れて「好き」になるのが悪いわけじゃあないんですが、その「好き」を貫くことは結構難しいじゃないかと思います。
自分にないものに憧れてそうなった場合、それにこだわるってことは、自分に向いてないものにこだわることになりかねないわけですから。


ほら、北斗の拳ラオウとトキの戦いで、ラオウが言ってたじゃないですか。
「病いを得ず、柔の拳ならば、俺に勝ったかも知れぬものを…」
って。
あれって、どうしてトキが剛の拳を使ったかって、剛の拳を使うラオウに憧れてたからですよね。
だけど、トキが向いてるのは、柔の拳だったわけで。
だから、ラオウも「病いを得ず、柔の拳ならば」って言ったんじゃないかと思います。
つまり、それは、例え、病気になっていなくても、トキに向いていない剛の拳では、自分は倒せないって意味なんですよ。多分。
こんな風に、自分にないものに憧れて、それを目指していくと、いろいろと無理が生じる可能性があるような気がします。
なので、「好きを貫く」に限らず、「好き」を考えるときは、憧れてるから好きなのか、自分に合ってるから好きなのかってえのをちょっと考えた方が良いんではないかと。


まあ、気をつけたところで、どうにもなりはしないこともあるかとは思いますが。
「『向いてない』って言われて素直にやめるような人間だったら」 - たまごまごごはん
こういう話も、よく分かるし。
そこらへん、さっさと割り切れるなら誰も苦労してねえよって気もしますしね。
だけども、こういうことを一つ書いておくのも意味のないことではないと思うので、書いてみました、まる。

BGM:「FAX Me」菅野よう子