聖愛幼稚園からのお知らせ 

2017-08-24 「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」

チャプレン 司祭 八 木 正 言

井の中の蛙、大海を知らず」という言葉があります。小さな世界に閉じこもり広い外の世界を知らない、ということです。ところが最近ある本で、これを「井の中の蛙、天を見る」と読み替えているのを見つけました。見事な換骨奪胎=読み替えです。天は大海よりも広く、大きいものです。だから、たとえ小さな井戸にあっても、その眼差しは天に向けられていることが大事である、そんな真実を表現しているのだと思います。滋賀の老舗和菓子屋のお菓子に「一壺天」というのがあり、その説明書きに“心にとらわれがなければ、小さな壺も天のように広くなる”とあったのを思い出しました。

21世紀に生きる人間は、科学の発達=交通手段の発達によって「大海」に飛び出すことは容易になりました。しかしそれと引き替えに、天を見つめ、自らの小ささを思う謙虚な視点を失ってしまったのではないでしょうか。

どんな社会、どのような場にいても、所詮人間の住むところは狭苦しい井戸でしかありません。大海に飛び出したとしても、やがて時間の経過と共に、その大海さえ井戸であると感じるようになるのが人間なのだとも思います。

一つの果てしないもの、それを見つめて生きることこそ、今ある場所を無限に多様で豊かな世界として生きる秘訣なのだと思うのです。

 私たちも、愛と勇気をもって、そして何より天に眼差しを向けつつ生きる者でありたいと思います。地上の富に心を奪われていると、本当の「安心」はいつまで経っても訪れないのではとさえ思います。私たちの富のあるところに、私たちの心もある…心に留めていたい一言です。

2017-07-01 センス・オブ・ワンダー

園長 古川陽子

 お店の出入口の上にツバメが巣を作ろうとしていました。お客さんの出入りがあるのですがら撤去されてしまうのではと思いきや、そこには『ツバメが巣を作っています。落とし物にお気を付け下さい』の貼り紙が。どうやら人間が譲るという珍しいパターンのようです。どうして?…と思い調べてみると、ツバメが巣を作る家は「子宝に恵まれる」とか、「金運が上がる」といった言い伝えがあるとか。確かに風水的にパワーのある場所に巣を作るようなのですが、実はカラスなどの外敵から守るためにわざと人通りの多い場所に巣を作るというのが真相のようです。

 ところ変わって聖愛幼稚園。ある子が、「蜘蛛の巣に水をかけたい」というので、それでは蜘蛛さんがびっくりしてしまうんじゃない?と言うと「大丈夫。今は居ないみたいだから。」という返事。霧吹きに水を入れてわたすと、「見ててー!」と目をキラキラさせて蜘蛛の巣にシュッシュッ。みるみるうちに巣がダイヤモンドのように輝き、きれいな模様が浮かび上がりました。「うわぁ〜!きれい!」の声に、「見せて!」「私もやりたい!」「もっと蜘蛛の巣探してくる!」と子どもたちは大興奮。

 私たち大人の世界では、蜘蛛の巣は不潔で気味が悪く、家にあったらすぐに取り去ろうとします。一方でツバメの巣は大切に見守るもののそこには“幸運を運んできてね”という私欲が見え隠れ。一心不乱に(蜘蛛のいない)蜘蛛の巣探しをしている子どもたちの姿を見ながら、自分はいつから自然の頂点に人間がいるような錯覚に陥り、蜘蛛の巣の美しさも忘れてしまったのだろうと恥ずかしく思いました。

 子どもの頃にあるセンス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見張る感性)をいつまでも無くさずに持ち続けて欲しいと、それを邪魔する大人であってはならないと強く思います。自然に触れる機会の増えるこの季節。子どもたちの感性が大いに刺激される毎日でありますように。

2017-06-01 伝えることのむずかしさ

主任 栗城円

 保護者の皆様には、いつも温かく見守っていただきまして、ありがとうございます。

先日の親子遠足では、たくさんのお家の方にご参加いただきました。悪天候の中、予定を変更するところがありましたが、快く受け入れていただき感謝しております。また、よい思い出となりました、とのお声かけをたくさんいただき、本当に嬉しく思います。

 さて、新学期が始まって、約二ヶ月が過ぎました。子どもたちは園生活にすっかり慣れて、日々元気いっぱい過ごしています。たくさん遊んでお片付けの時間、片付けず、遊び続ける子たちが。「はやく、片付けて!」と言いますがなかなか進みません。もちろん、黙々と片付けている子もいます。そこで、「わぁー、お部屋がきれいになってきている!お片付けしてくれてうれしいな」と声をかけると、遊び続けていた子たちも、徐々に片付け始めました。「みんなで片付けると楽しいね。ありがとう!」みんなで最後まで片付けることができました。出来ている子、よいことに目を向ける。先日参加した研修で教えていただきました。どうしても、できていないことに対して、まゆげをつりあげて、やりなさい!と強く言ってしまいます。そうすると、子どもにとっては、言われたから、怒られたから、嫌々やることになってしまいます。子どもが感じて、自発的に行ったことにより、達成感もでてきます。もちろん、いけないことをしっかり叱ることも大切です。改めて伝えることの大切さ、難しさを感じています。悪いことばかりを口にするのではなく、よいこと、言われてうれしくなることを、いい表情で伝えていけるようにしていきたいなと思っています。

2017-05-01 「家」

チャプレン 司祭 八 木 正 言

 家という言葉にみなさんはどんなイメージを抱かれるでしょうか?

おそらく多くの人が、恐れを抱く必要のない場所、飾らなくてもいい場所、心配や緊張、あるいは圧迫感から解放される場所…そんな休息や癒しの場所をイメージされるのではないでしょうか。実際、私たちは家で、笑ったり、泣いたり、眠ったり、食べたり、飲んだり、音楽に耳を傾けたり、友人を招いたりという、人生を豊かにするあらゆる経験をすることができます。

ところがこの世界には、家を持たない人が何百万人もいます。いわゆるホームレスと呼ばれる人々です。また刑務所、難民キャンプ、養護施設などで暮らす自分の家を持たない人もいれば、表面的に目立ちはしないものの、同じ家に住みながら「境界線」を引いてしまっていて、建物としての家屋はあっても、家を持たないと言える状況の人たちもいるのが残念ながら現実です。

だから、今日の社会における様々な「痛み」を伴う現実を、最も端的に「家がない」と表現できるのかも知れません。逆に家を持っているというときの最もはっきりした特徴は、安らぎであり、親しみであるとも。

聖書でイエスが語られる「わたしの父の家には住む所がたくさんある」「もしなくても、用意する」と言われたのはだから、大いなる慰めの言葉だと思うのです。イエスはすべての人に帰属する場所があると言われ、心にかけてもらえ、愛されていると感じられる場所を保証する、いやしなければならない、そう誓ってくださるのです。

 この真実に希望をもつことができます。そしてすべての人がこの希望をもって生きていけるようにと祈り求めたいと思います。聖愛幼稚園がすべてのお友だちにとっての「家」となることを願いつつ。