昔の駄文(ジョージ編)

みんです。

なんだか長いこと何も書かずにおりましたが、むかし書いたジョージ・ハリスンに関する駄文を見つけたので、それを載せることにします。

なべちやんが日記に書いているのとはまた違うような意味で、私もあまり悲嘆にくれるという感じではありません。いや悲しいんですけどね、どうも世間の様子とも違うようで、ちょっと違和感があったりします。それよりもむしろ、ただもうむやみやたらと大きな喪失感があります。

私はジョージ・ハリスンをソングライターとしてかなり素晴らしいと思っていますが、たぶんそれは世間の多くの人が言うように"Something"とか"While My Guitar Gently Weeps"の作者としてではなく、もうちょっと違うところを見ていたと思います。
Gone Troppo
以下の文章は、そんな私なりに感じたジョージ曲の面白さについて書かれたものです(1996年 ニフティビートルズ会議室に投稿)。ジョージのアルバム"Gone Troppo"の話題が出ていた時に、1曲目の"Wake Up My Love"と絡めて。今読み返すと妙に顔文字が多くてまさに(^^;;;)こんな感じだし、内容的にも分かりにくい部分もあるし書き直さないと意図がが伝わり難いなあ、という気持ちもありますが、まあ基本的なノリは伝わるかな?と思い、あえてそのまま載せることにしました。

ジョージはここで書いたような事以外にも私のツボを捉えまくりな人だったのですが(と言うか、そうなるべくビートルズ - 特にジョンとジョージ的な世界 - に接しながら育ってしまったからとも思えるけど)、それはまた別の機会に書けたらと思います。

ジョージ・ハリスンという素晴らしい才能が失われたのは残念な事だけれども、やはりこの様な日は遅かれ早かれやって来るに決まっていたし(彼だけでなく)、それはもう起こってしまった仕様がないこととして、それよりも、過小評価ゆえに人の耳に届かないままになってしまっている佳曲たちが、これから愛される日がくれば良いなあと強く願っています。

「WAKE UP MY LOVE」について。あるいはソングライターとしてのジョージ

例えばひとつの「歌」の持つ魅力と云う物はいろいろ有ると思うのですが、いろいろな飾り(ミックスや演奏、またアレンジ、コード進行なども含むサウンドなど)を取り除いてゆくとメロディーと言葉のみが残って、結局、この二つの要素の出来がその曲の本来的なパワーを決めているように思うのです。

つまり、コアであるメロディー・歌詞が強力なので、作品を成立させる時のアレンジやスタイルへの依存度が高くなくても良く、また、ある程度の嗜好の枠を越えて聴く者に魅力を発揮出来る。このような音楽の属性が有ったとして、今それを仮に「王道」と呼びたいと思います。

で、ジョンとポールなんですが、ベクトルこそ違いますが、これは立派に「王道」な曲を作って来たと思うのですね。もちろん全部とはいいませんが。(^^;)でもジョージ君は全体としてはもうちょっと弱いかなあ、と...(^^;;;)

誤解の無いように断っておきますが、これは最終的な作品の善し悪しを決定するものではありません。作品の根っこの部分にどれぐらいのパワーがあるか?と云う様なイミです。先にも書いたとおり、他にも作品に魅力を与える要素はいろいろあります。

そんな訳で、私としてはジョージの曲にも、むしろジョンやポールの曲よりも好きな部分が有るのです。では、「王道」からはずれた(?)ジョージの作品に魅力を与えているものとは?

コアの部分からみれば、クセのあるメロディーがあります。「王道」作品のように多くの人達に広く受け入れられる様な説得力に欠けるのですが、好きになったらやめられないといったような。でもこれはオマケ。(^^;)

何と言ってもサウンドです。でもこれは歌よりもサウンド志向とか、そう云う事では無いんですね。と云うよりも、作品の魅力を伝える事を考える時に、コアの部分のさらなる強化を検討する代わりにサウンドで補おうとしてしまうということなのです。どうも曲を作る時の力点がジョンやポールとは違うみたいですね。

その結果、ジョージの書くメロディーの多くが、サウンドへの依存度が非常に高いものになっていると私は思っています。そのサウンドでなければこのメロディーが成立しない、または、その二つが泣き別れになったとたんにクズ同然(^^;)になってしまう、みたいな意味です。クセのあるジョージのメロディーもこんな習性(?)の産物だとニラんでおります。

そう、これは習性なのです。ジョージだって好き好んでそんな自立心に欠けるメロディー(^^;)を書こうとしている訳では無いでしょうし、何より、ちゃんとした(?)「王道」作品だって時々(^^;;;)有るのだから、才能が無いので仕方なくそうしているとも思えないし。

想像するに、おそらくメロディーを作っているうちに、その部分のアレンジのアイディアなどを思い付き、「つい」そちらを優先して膨らませてしまうのでしょう。その時点で、独立したメロディーだけで素晴らしいものが出来る確率は極めて低くなってしまうように思います。さらなるメロディーの追求がこの後に行われるとはあまり思えませんから。

もっとも、メロディーを良くしよう、なんて努力がどの程度有効であるのかはかなりギモン(^^;)では有りますが、ジョージの場合、本質的に「王道」的な物を作る力は有している、と云うニュアンスで処理して下さい。(^^;;;)

まあ、とにかくそんな感じの、サウンドのアイディア優先でどんな曲が出来るかというと、例えば、アレンジのギミックが映えるようなメロディーが付いていたりするわけです。こうなると、サウンドが変わってしまった場合、全くつまらない物になってしまう可能性大です。「王道」的見地から強引に言えば、コアの部分をなおざりにして瑣末な事に力を注いでいるも同然?(^^;)

本人としてはもちろん良かれと思ってやっているのですが、もともとジョージ自身がこのような音楽への志向性を持っているのでしょうね。だから、これは本人としては極めて自然な成り行きで、ほとんど自覚も無い(?)と思うのですが、そこがまた習性たる所ですね。

これはどんなソング・ライターにもある程度ある事だと思いますが、ジョージの場合はその度合がかなり高いと思います。そして、これこそ多くのジョージ作品のダメな(^^;)所であり、また醍醐味だと思うのです。

さて、ここまで来て、やっと「WAKE UP MY LOVE」の登場(^^;)です。

私の感想としては、この曲はやたらに気持ちイイです。私にとっての強力な快感要素があるんですね。でもKさんやZさんのように背伸びしてるとは思いませんでしたよ。またジョージのクセが出たかなー、みたいな感じでした。(^^;)

歌詩は、おやっ?普通のラブソングかな?と思いましたが、やっぱり出て来た「Christ」や「Oh Lord!」。(^^;)
...まあ、インドなジョージを愛するみんとしては、シバやクリシュナのフレーズも欲しかったですね。(^^;;) やっぱり西洋のマーケットではウケが悪いんでしょうか?(^^;;;;)

さて、アレンジ上の狙いとしては2つのポイントがありますね。

まず2つの性格の違うリフの組み合わせ。曲の最初の部分はピアノ+シンセのキーボード・リフ、リズムはピアノ左手のスタッカート気味の8分音符の連打が曲想を決定しています。そこにギター・ベースのユニゾンで対旋律的な(リズム的にも)リフが絡んで来ます。ドラムも入って来ますが、リズムの基調はあくまでもピアノの8分音符で、ドラム全体ではビートを刻まずにヘンな所にアクセントを入れて変化を付けています。

次は、それまで8分音符刻みで来た曲調を「I WANT YOUR LOVE」の所で、それまでとは対称的に急に流れ出すサウンドにしている事です。仕掛けとしては、前半とうって変わってビートを刻むドラム、4ビートになるベース、「流れ感」を増すスライド・ギターのフレーズ、全体にかぶってくるシンセなどですね。

この2点は実に素晴らしい効果をあげています。後半のサウンドが流れ出すところなんて、何度聴いてもゾクゾクしますね、私は。(^^) なんだかジョージの得意げな顔が目に浮かぶようです。

で・も(^^;)、残念ながら曲としてはやはりB級扱いもやむなしかなあ。展開にも乏しいし、メロディーもそれ自体は弱いし。もしギター一本で歌ったら結構へなちょこなんじゃないかな、どうも瑣末な(?)所に力を入れすぎてるなあ、そのまえにもっと曲をどうにかしろー!と。(^^;)

それでも、妙に好きなんですよ。その瑣末な(?)ところに、ついニヤリとさせられてしまうのですね。これぞジョージの醍醐味ってなもんです。(^^)

ところで私は昔ジョージの事を、B4の中で一番シンパシーを感じる「ソングライター」と書いた事があるのですが、実はこの辺が関係してます。(^^;;;;)