すかいらーくからクイーンへ

以前地元のすかいらーくへ行って、にんにくとトマトのスパゲッティ・ライトミールセット(オニオングラタンスープ&ドリンクバー)を頼んだところ、スパゲッティとスープが一緒に出てきて一挙に脱力。だって、どっちかを食べているうちにどっちかが冷めるじゃんかよー。

ファミレスでモノを頼むと原則的にはこういうサーブが行われます。と云う事は、マニュアルでそうするように定められていると考えて良さそうですねえ。でもそれはどうよ、どうせマニュアル用意するならちゃんとしてくれよ頼むぜ、などと思いつつ、昔はマニュアル対応する事自体が悪だと思われていた時代があったよなあと、ふと思い出し。

猫も杓子もISO9000などの認定を取りたがる時代から見れば隔世の感がありますが、なぜかあった。今となってみれば、マニュアルという「体制側の管理システム」に対してどのように違和感を感じたか、それよりも人間性を大切にしようとかなんとか言ってただろう事に思いを巡らせる事が出来るし、ソレにとらわれる滑稽さも分かるけれど。


冷める前にと、大慌てでオニオングラタンスープ(冷めた場合、こちらのほうが被害甚大と判断したので先に着手)を食べつつ、そんな事を考えていたら、ふとシンセサイザーの事に思い至りました。

これも隔世の感がありますが、昔はシンセを使うこと自体を見下す考え方があった。そういう人は必ず最後にこう言うのだ。
「だって、結局シンセサイザーを使ってるんでしょ」


今となっては、だからナンだ?ってなモンですが、当時はこれで勝ったような気分になっていた人たちが居た(笑)。

まあ、実際に弾かなくてもどんな演奏でも出来るとか、どんな音でも出る万能機械、みたいなイメージがあって、もちろん実体は全然違うんですが、知らないというのは恐ろしいモノで、そんなの使うのはズルじゃんかって気分ばかりが蔓延して居たように記憶しておりますが。
それにしても。

さっきのマニュアルにしてもシンセにしても、どちらかというと気分的の扱いからは出ていないし、いわばヒステリックな反応に過ぎないんですが、時代がソレを許容してしまうという事があるんですね。


で、当時アルバムに誇らしげに"No Synthesizers"のクレジットを掲げていたのがクイーン。世界に捧ぐ華麗なるレースオペラ座の夜シアー・ハート・アタック/IIIクイーンII戦慄の王女


もっともクイーンの場合は、あの豪華な音世界を全部生楽器で演奏しているんだよーん、という自負の表れであったと思いますが、「どうせシンセだろ?」と言われがちだったであろうサウンドに対する、そのような時代からの批判への牽制としての意味もあったろう、と思うです。

いずれにしても、それがウリになり得る、と云う状況があったと。

でもそのクイーンもついにシンセを使う時がやって来ました。それはなんとシンセドラムで、しかもこれ、せっかく今まで使わずにやってきたのに、こんな使い方でいいのか?!と思うぐらい必然性を感じなかったんですけど。そう思ったファンは私だけではありますまい(笑)。