かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

○○市立市民図書館の返却カウンターは一種のリコメンデーションだったか?


田井郁久雄さん*1の『図書館の基本を求めて』*2を読んでいるのですが。
気になったところをメモしたり自分なりに突っ込み入れたりしながら読んでたら気になるところばっかりで一向に進まない(苦笑)
スルー力を鍛える大人の○○トレーニング」とかな気がしてきた・・・だんだん鍛えられてきた気がする、効果は抜群だ。


まあそれはさておき。
同書の「選書の実際-何が問題か-」という章のp.18に、「利用される本を選ぶ」というフレーズがあるのだけれど。
そこを読んでて脈絡なく自分の公共図書館利用経験を思い出し、文脈が全く違うけど「あ、そういや自分も『利用される本を選』んでいたな」ということに思い当った。


「思いだす」必要があるほど最近は公共図書館に行ってない*3のだけれど、小・中学生の頃はかなりのヘビーユーザで、毎回貸出冊数の限界近くまで借りて来ては本を読んでたりしたわけですが。
当時、住んでた市の図書館は、返却処理が終わったばかりの本が返却カウンターの背後のブックトラックにしばらく積まれていて、ある程度たまったときか時間の空いた時に排架する、という方式をとっていたらしく。
誰かが借りていて、返されたばかりの資料が、自分が資料を返却するときになんとなく目につく・・・ということになり。
その結果・・・自分は返却カウンター裏のブックトラックに積まれている本を(さすがに勝手に入ってはまずい、くらいのことは考えて)カウンターの職員さんに頼んで借り出すという、今思えば職員さんが面倒くさそうなことをよくやっていたな、と(苦笑)
少なくとも数日以内に、最低1回は借りられた本なわけだから、まったく情報がない状態で書架におさまっている本よりは利用価値がある可能性がある・・・なんてのは今だから考えることであって、当時は単に人が借りてた本ってなんか面白そうに見えた、というだけの話なんだけど。
上記の「近いうちに誰かは借りた」というフィルターがかかっていることを考えると、あれは一種のリコメンデーションだったのではないか、と言う気もしてくる・・・図書館側にはそんな意図はさらさらなかったんだろうと思うが・・・
ブックトラック上では同時に返却された本は(児童書/一般書の区別はされてたかもしれないが)だいたいは近い位置に並んでいることになるので、ごくごく限定的ではあるが「この本を借りた人はこんな本も借りています」も実現。
おお、なんか考えれば考えるほどあれはごく原始的な手法で行われたリコメンデーションであったような気がしてきたぞ・・・深夜(早朝)ゆえの勘違いであるような気もひしひしとするが・・・


もちろんシステムでリコメンデーションを導入してくれた方がありがたいんだけどね*4
人が返したばかりの本を、あるべき書架に戻される前に借りるってのはなんか居心地の悪いもんだったしね。
だからって1回戻されるのを待つ、ってのも図書館員にとっても自分にとっても二度手間なわけだけど。


しかし・・・小学生の時分から自力のブラウジングではなくリコメンデーション的なものに頼ろうとしてたとは、根っから面倒くさがりなんだな自分・・・*5

*1:先日の記事で取り上げたhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/nal/kai/v59/tai-5a.htmlの著者の方です

*2:図書館の基本を求めて―「風」「三角点」2001~2003より

*3:最後に行ったのは・・・大学1年の夏とか? 大学に入ってからの来館回数で言うと、ぶっちゃけ国立国会図書館に行った回数より住んでる街の市立図書館に行った回数の方が少ない。まあ、研究で使う本は大学図書館で間に合うし、私用で読む本を買えるだけの財力はついたから必然っちゃあ必然なのだが。図書館が開館してる時間に行動してないってのもある。大学図書館ですらめったに開館中に行くことないくらいなんだし

*4:もっとも、当時はまだ図書館内にすらタッチパネル式の検索端末が1〜2台しかないような時代なので、OPAC自体なかったが

*5:まあ、そのくせ教科書とかで紹介されるような本とかは素直に読んだりしないわけだが。読書感想文に漫画やラノベ平気で出してたし。