星の舞台からみてる

SF といえば、科学なのだけれども、コンピュータサイエンス・・な近未来SFは、職業柄その詰めの甘さに「興ざめ」してしまう記述に出会うことが多いです。サマーウォーズがSFたり得ないのは、その薄っぺらすぎる世界描写の他にありません。

そうでない、現実のような肉厚を持つ世界観を擁するものを「ハードSF」と呼ぶなら、これは正しくスーパーハードな SF です。

星の舞台からみてる (ハヤカワ文庫 JA キ 7-1) (ハヤカワ文庫JA)

星の舞台からみてる (ハヤカワ文庫 JA キ 7-1) (ハヤカワ文庫JA)

あとがきより、筆者の木本さんは

「もし、インターネットが月まで届いたとして、僕らはやっぱり、ifconfigしたりpingしたり、RIPが流れてこねー、とかやるのかなぁ」

みたいな方。

物語は、野上正三郎というエンジニア──というより(本来の意味での)ハッカーね、の死から始まります。野上正三郎は、RMS くらいの伝説度かな?顧客の死亡時にそのWeb上の友人知人に告知し、サービスの解約処理を代行する会社の社員、香南に届く、死んだはずの彼から届くメール。そうして野上正三郎を追いかけていくうちに、事態はどんどん深く深く沈んでいく...。

この小説で描かれる近未来のコンピュータ世界は魅力的で現実感に溢れ、そうしてだからこそそのささいな問題や未来の展望も、まるで自分がその時代に生きているかのように身近に感じます。

個人、というものの保証は、証明書によってなされる。証明書は認証局(CA)が発行する。CAはその子供のCAを持つことが出来、信頼関係を委譲できる。根っこになるCAは、ルートCAと呼ばれ、先進国は政府のルートCAを持っていたし、そうでない国は国連のルートCAの下にぶら下がっていた。(中略)
過去には、OSやアプリケーションが配布しているものを信用するとうい手段がとられていた。現在の日本では、個人の証明書は戸籍と同時に作成されて、ルートCAの情報も同時に渡される。渡される相手はエージェントだ。エージェントは生まれたばかりの人間と一緒に初期実体化(インスタンシェード)され、人間が知的活動を送れるまで休眠状態に入る。
「信用とは、つまり戸籍と同じだよ。国から保証された証明書を持っていることと、その証明書と生体認証情報が結びつけられていること。これが個人を信用することだ」

エージェントと呼ばれるプログラムの描かれ方は、彼らが知能と感情を持っているようであるのに、それを近未来の現実のものと感じさせます。虚構味や夢見がちな空想ではない、ちょっと未来に本当にありうる現実と読者を納得させる著者の知識と力量は、まさに SFの醍醐味です。

そして、Stallman が言う 自由な世界、自由なソフトウェアやハッカーと、世界の現実の対立がそこに描かれる度、わたしの心はガンガン感情を移入させていくのです。

この小説に掛かれる WoT ・・Web of Trust/信頼のネットワークというものは素敵です。わたしはこれが現実のものにならないかと、夢を見ることを禁じ得ません。

というわけで、最高におもしろいSFです!はっきりいってこのblogに来てるような人は絶対読まなきゃだめですよ。読まないあなたは、DoSパーンチッ!*1されちゃっても文句はいえなんだから!

*1:サービス不能(Denial of Service)パンチとは、大量のSYNパケットを送りつけて、その応答を無視することで、相手の通信機能を停止させるパンチのことである。セキュアな通信路であっても、暗号通信関係(SA)を確立する状態遷移の初期段階で無反応になってしまえば、タイムアウトまでの間は相手のリソースを削り取ることができる