憲法がおしえてくれたこと

「もし高校陸上部の女子高生が日本国憲法を読んだら」的な本ですが、もしドラと違って書いているのは 著者が専門家であるということ。

憲法と高校陸上部の接点がわからないとか、「その女子高生の日々が輝きだした理由」なんんてサブタイトルが宗教っぽいとか、いろいろ怪しげな本ではあります。けれども中身は非常にまともな「憲法とは何か」の入門本。どうにか手にとってもらおうというあがきというか、そういうものがにじみ出ています。


実際、読み始めてみると、もしドラと違って、女子高生に萌ゆる層がターゲットでなく、中高生がターゲットの本でした。けれど、子供だましなんて事は全くなく、むしろ大人こそ読んで欲しい内容です。

憲法を片手に女子高生の現実におきる様々なイベントを扱っているのですが、扱いやすい(誰もが異論のない/親や先生の意見と矛盾しない/キレイ事をいっても現実と乖離しない)問題だけでない、きわどいところにも容赦なく踏み込んでいて、例えば、

「山川がヌード雑誌を読んでいます」

中学の頃から風紀違反にはことのほかうるさいゆきは、鬼の首を取ったように担任の眞島正に報告した。結果、幸太の漫画雑誌は没収されたしまった。

「エッチな雑誌を学校に持ってくることはよくないと思うけど……、でも何もそこまでしなくて良いのに」
そうつぶやくうたこに、ゆきはきっとなって言い返した。
「規則できまっているんだから」
「規則?」
「高校生にはいやらしい本を見せるなっていう県の条例があるの。知らないの?その規則を破った山川が絶対に間違いなく100パーセント悪い」
ゆきの母親は中学校のPTAの会長をしていた。「大切な子供たちを現代社会にまん延する有害なものから守りたい、子どもたちみんなに健全に育って欲しい」という思いから、有害図書規制をはじめ、深夜の外出禁止、青少年への淫行・わいせつ行為の禁止などからなる「青少年保護育成条例」をさらに強化すべく、今でも日々、署名活動に励んでいる。さらには機会あるごとに県議会議員への働きかけも行っているのだ。そんな母の姿を見てきたゆきにとって幸太の行為はまさに悪であり、先生たちの行為は当然のことなのである。

おー。勇者だ。

こういう流れだと「ゆき」は敵として描かれがちなのですが、この本の素晴らしいところは、「ゆき」も「幸太」も主人公 うたこ の親しい友人として書かれているところです。

また、上記で扱っている「表現の自由」については、このあと別の事件がおきて、プライバシーよりも表現の自由が優先されるのかとか、現実におきうる矛盾や問題も避けずに論じます。これも素晴らしいですね。


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うたこ の高校生活は波瀾万丈で、いろんなイベントが起きます。

髪を金髪にしたらいけないの?とか、同性愛とか、原発問題とか(なんと福島から避難してきた子が陸上部に入部するのだ)、父親がリストラとか、生活保護を受けている子が新しい陸上シューズを買ってバッシングを受けたりとか。えん罪、国旗・国歌問題などなど、もう、考えられる限りの危ういイベントで目白押しです。

理念を説いて無難に通り過ぎるのではなく、なんでもかんでも踏み込んでいき、そして憲法の理念と現実にどうなのかと、難しいことは難しいと言い、しかし大切なモノは大切という、ざっくばらんで現実的・論理的な憲法論は、この本を手に取ったときの印象と異なり、これは凄い本かもしれないと思いました。通り一辺倒な「憲法は大事、人権は大事」じゃない本ですね。

つまり、

そのルールが本当に必要なのかを、自分の頭で考えること。それが青少年を対象にしたルールなのであれば、当事者である私たちが真剣に考えることは同然だし、それが大事なのだ。

というのがテーマであるからなのですね。

現実に存在する問題を相手に、論理的に問題の切り分けを行い、「憲法」をゲージにしてそれを推し量るという作業は、いろいろな問題について絡まり合ったまま論じたり、考えたりするよりも何十倍も頭がすっきりします。非常に整理整頓が上手というか、そんな内容に、うならされます。・・・そんな実感は本当に新鮮でした。


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さて、この本を読み終えて思ったことが、二つあります。ひとつは、日本って9条どころじゃなくって、徹底的に憲法をまもってないなぁなあという実感です(^^;

第三十八条
何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることは出来ない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない

「そうだね。日本だってそうだったんだ。そう昔の話じゃない。数十年前のことだ。戦中は政府を批判したとか転覆をたくらんだとかいう罪を着せられてたくさんの人が拘束され、殺された。そういう過去の反省から、憲法では国や公権力が人の身体的自由を奪うことについて、何条にもわたって厳しい条件を課している。それが”人身の自由”の考え方なんだよ

しくしく、、片山さん(T△T

もう一つは、「憲法はより弱い人の味方」だということ。これは徹頭徹尾一貫しています。だからこそ、「人々の自由も、弱い人のためには制限されるべきときもある」ということ。「公共の福祉」とはそういうことであり、決して「多くの人が眉をひそめる/嫌いだと思うことをやる場合は その自由が制限される」ではないということ。


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この本を読む前と後で考え方が変わったのは、原発や沖縄の基地について。

現実を見ればどこかに置かなければ行けない物です。たとえ いずれ無くす方向にするにしても、少なくとも今は必要なものです。

原発という技術に肯定的なわたしは、原発の被害について、ついつい日本にとってのたかが半径30km と考えがちです。最悪の事故であの規模で、もっとちゃんと原子力を扱えれば今後はもっと起きがたい事態になる。それならば、原子力は割に合うと勘定しがちです。

でもその30km は 人にとっては世界の全てで、かけがえのない30km であることは失念しがちでした。

憲法は、地方は国のためにあるのではないといいます。メンバーはチームのためにあるわけではない、国民は国家のためにあるのでは無い。それは地方と国の間にも成り立つ関係です。一貫してますね。個人の尊重・幸福を追求する権利の、いわば延長線上です。

そう考えると原発問題はそれはダムに沈んだ街と同じ話で、「万が一」にも失えない物をみんなの為に差し出せ、というシンプルな話なんだなぁと。

「(うさんくさい)クリーンエネルギー」とか「放射脳」とか「トイレの無いマンション問題」とかとか 「原子力(という技術)は悪か?」論に目がくらめば、わたしは原子力を擁護してしまうけれども、シンプルに地方が国のためにあるか、国が地方のためにあるかという話と捉えれば、それはもう技術の話じゃない。

もし、地方がそれを望まないのであれば、多数であり強者である国が押し切ったり決めるのは正しいことなのかと考えると、再稼働反対という動きを 否定しきれなくなってしまいました。


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最後に時事ネタ、憲法96条先行改正の問題。わたしは9条を変えるのは良いとおもってますが、弱者である個人の人権を、強者である国家や多数派にかかる「めいわく」で制限できるようにしてしまう自民党案や、96条の先行改正には反対です。

「いや、じつは憲法には、らんちゃんのような少数者の権利を実現する仕組み、いわゆる違憲審査のことも書いてあるんだよ。それがこの第八十一条と第九十八条なんだ。もしも少数者の権利w不当に侵害する法律があったらそれは憲法違反だ、無効だと、裁判所が判断する。多数決による横暴は許さない。多数決の民主主義に歯止めをかける。それが立憲主義なんだ
立憲主義?」

その時代の多数派が賛成したとしても、やってはいけないことを定めるのが憲法ですし、弱い人の味方である憲法が、多数派という強者であれば容易く改正できてしまうようにするのは、間違っていると考えています。


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話題が身も蓋も無いものばかり、つまりごまかしが無いのが本書の売りです。本書の装丁読者どおり、中高生に是非 読んで欲しいと思いますし、大人が読んでも学ぶことの多い本です。

できれば、中高生にこれを題材に読書感想文を書いて欲しいな、と思いました。つまりそれだけ学校という場には、それだけ憲法に背くことが蔓延していて、単なる読書感想文が波乱を呼ぶだろうなということです。