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木耳

2017-5-29-Monday

[]『宇宙戦隊 キュウレンジャー』Space.16「スティンガー、兄との再会」

あ、やっぱり出動するのにキューレット回す必要ないんですね・・・。ガルさん出動できてよかったね・・・。

まぁおそらくスティンガーの気持ちも考えてあえて“いつも通り”を心掛けてのことでしょうが、目の前にバラバラになった仲間の身体があるというのに「よっしゃラッキー」のノリで会話されるとなんだかなぁ・・・という気にはなる。言ってしまえばチャンプはロボなんで、修理すれば直る、元に戻ると信じて疑ってないからこその前向き空気だと理解はすれども、それでもこいつら宇宙人なんだなーって、こいつらに人間(チキュウ人)の情緒的なものを求めるのは価値観の押し付けになるんだろうね(スティンガー除く)。

兄貴との思い出の曲だかを突然スティンガーが歌ってたけど、そんなものがあるならば、そしてこれだけ歌が上手いならばスティンガーにはもっと早くから孤独にこの曲を口ずさませてればよかったのに。

[]『レ・ミゼラブル』@帝国劇場

プレビュー2公演と本初日と昨日と4公演を観終えて、ようやく落ち着いたかなということろです。ちなみにわたしが。相葉っちのことはわからん。プレビュー初日はさすがに力ばっきばきのガッチガチに入ってるのが目に見えてわかったもののそれ以降は力強さを出すべく胸を張り声を張る役作りとしての固さはあれど相葉っち比としてそこそこ安定しているかなという印象ではあります。

前回の2015年公演はレ・ミゼラブルデビューするつもりでチケットも取っていたものの事情が重なり観劇が叶わず、今回は万難を排し満を持して初めてのレ・ミゼラブルと相成ったわけですが、いやあ、やっぱすごいなレミゼ!。事あるごとに感想に書いてますが、わたしミュージカルってそんなに好んで観ないんですよ(苦手とか嫌いとかではないんだけど、同じ演目をミュージカルとストレートプレイで上演するとしてどっちが見たいと聞かれたら断然ストレートプレイと答えます)。でもそういう次元じゃない。レ・ミゼラブルの作品力はそういう次元じゃなかった。いつまで歌っとんねん・・・とか思う瞬間が全くない。舞台から意識が逸れる瞬間が一切なくって、とにかくもうその熱量と物語の力に魂ごと持っていかれる感じで、30年間上演され続ける作品とはこういうものかと圧倒されまくりです。

つーかほんとにずーーーーっと歌ってんのな。歌だけで作られてんのな。そうとは聞いてましたがわたしこういう作品形態?演出スタイル?の舞台って初めてみたので結構な衝撃でした。

そしてほとんどの曲に馴染みがあるんですよ。映画は見たしコンサート等で曲単位で聴くことはあったけど、150分ぐらいの上演時間の中で歌われるほとんどの曲を知ってる。なんなら歌える。これだけでもレ・ミゼラブルという作品が、レ・ミゼラブルという物語を描き彩る曲たちが、どれほどの浸透力を持っているかということを実感させられる。

物語の中で聴く生『Stars』まじヤバい。『Stars』好きすぎて誰が歌ってもぶっ倒れそうだけど吉原光夫さんの『Stars』には震え泣く。歌うことにより台詞を言うことでは伝わりきらない情感に押し流されそうになるというか、ミュージカルというジャンル、表現方法の最高峰がこれなんですねと、ミュージカルというものに対する印象、もっといってしまえば概念そのものまで揺さぶられるのほどの衝撃と感動に打ち震えます。

自分の好きな役者がこういう現場に身を置き日々揉まれていることの有難さよ・・・!それを日々見守れることの幸せよ・・・・・・っ!!。

海宝マリウス・田村マリウス・内藤マリウスそれぞれと相葉アンジョルラスの組み合わせを観ましたが、今のところマリウスの違いによるそこまで印象の変化はないかな。マリウス単体ではそれぞれの個性を感じるので(第一印象では、例えば「ついにマリウスが恋におちた」とからかわれるシーンで海宝マリウスの「ついに」はあの堅物マリウスが「ついに」ってな感じで、田村マリウスはあの純情マリウスが「ついに」で、内藤マリウスはあの坊ちゃんマリウスが「ついに」ってな感じ)、それぞれのマリウスとアンジョルラスとの関係性も違って見えていいと思うんだけど、相葉っちはまだ“自分のアンジョルラス”を確立させることに精一杯なのか、相手が変わることによる違いがさして見えないかなと(マリウス役者の経験値・技量を理由とする違いはあるけど)。役作りとしてはというか、アンジョルラスという役として舞台に立つ土台であり骨組みとしてはそれでいいのかもしれませんが、でもせっかく三人いるんだから違いを見たいとわたしは思うわけで、これから回を重ねることで相葉っちのアンジョルラスがそれぞれのマリウスによってどう変わっていくのか期待を込めて楽しみにしたい。

[]三崎 亜紀『チェーン・ピープル』

チェーン・ピープル

チェーン・ピープル

タイトル作の「チェーンピープル」とは「チェーン店」の人バージョンのことでした。

今回は現実にあるものやあったことを改変したり見方を変えたりとアレンジすることで生まれるパラレルストーリーのような感じで、日常のなかに不条理で不可思議な設定をひとつ置くことでとてつもなく不思議で奇妙な物語を生み出すという三崎さんお得意のスタイルとはちょっと違うものの、相変わらずなんでそんな話を思いつくんだよ・・・・・・。

一人のルポライターが「六人」の人物にスポットを当て、その人に対する人々の記憶や記録を調べることでその人が生きた軌跡を描くという形の連作短編集で、タイトル作を例に挙げると“チェーンピープル”という突飛な設定がありながらも描かれているのはざっくりと言うなれば“個性”とはなんぞや?ということであるので、三崎作品比として読みやすさ、理解が及ぶ度は高い。

なかでも私が魂をむんずと掴まれたのは1篇目の「正義の味方」です。もう・・・なんと言っていいのかわからず、なんだかわからない涙がこみ上げました。特撮好きはこれだけでも読んで・・・・・・。