『仮面ライダードライブ』第47話「友よ、君はだれに未来を託すのか」

チェイスと剛の物語が終わり、あとはハート様と進ノ介の殴り合いを見るだけだと、どれほど熱い拳のぶつけ合いが、男と男の戦いが見られるのだろうかと期待と興奮でパツンパツン状態でその瞬間を迎えましたが、もはやハート様にそれだけの力は残されてなかった。
「こいつは俺と戦って消えたかったんだ。死を悟っていたからこそ」という進ノ介にはテメーそれがわかってんならハート様の拳を受け止めてやれよと、殴ってやれよと、そう(画面に向かって)言わずにはいられなかったけど、シグマとの戦いでコアを破壊され、そして超高層階から落下する進ノ介を助けたことで、ハート様はもう姿を保つことすら限界だったのだろう。
わたしとしては、そうであればなおさらハート様に全力拳をぶち込んでやるべきだろうと、だってそれがハート様の『望み』なんだからと、そう思ってしまうのだけど、まぁ・・・・・・一発喰らったら即消えてしまうほどの限界だったんだろうなと、進ノ介はそれがわかってたから戦ってやらなかったのだと(戦おうとすらしてやらなかったのだと)、そういうことでいいや。
(だって「半分死んでる」んだもんね・・・。ハート様が目の前にいるっていうのにそうハッキリ言っちゃう進ノ介って最後の最後まで・・・・・・)
(さらに言えば、落下した進ノ介を物理的に助けたのがハート様であるならば、彼岸に行きかけた進ノ介の魂に戻れと告げるのはチェイスであって欲しかったです・・・・・・)
最後まで不敵だけど爽やかに笑いながら誇り高く散って欲しかったんで、あきらかにホースで撒かれた水でびしょ濡れなうえに(なんでこんな無理めの演出だったのだろうか。シグマを倒したことでグローバルフリーズは防ぐことができたわけだからその時点で雨が止んだってなんらおかしくないだろうに)メソメソ泣いて「覚えていてくれよー」と進ノ介に縋るハート様には一瞬まがおになりかけたけど、でも友達がどんどんと減ってついにひとりぼっちになってしまったハート様がさいごのさいごで新しい友達を得ることができて、それもロイミュードではなく敵であったはずの人間が友達となって「忘れるもんか」と言ってくれたことは救い。
だから涙でぐしょぐしょになりながらも最期の瞬間のハート様は最高に美しかった。
1年間通して戦い続けた『敵』の王としてはありえないほど、綺麗に幕を下ろした。
それは心からよかったなーって思う。
わたしだってハート様のことを忘れないし、ブレンさんと072のことも忘れないよ!!。
剛も笑顔で前に進めたようだし、気持ちいい最終回でなによりです。1年間ありがとうドライブ。

『ど根性ガエル』最終話

あーなるほど。何かを得るには何かを捨てなきゃってな言葉があるように、ヒロシが大人になるために捨てなきゃならないもの=ピョン吉というつもりで見てたけど(そう思わせる作りだったと思うけど)、捨てなくてもいいんだよと。何も捨てずとも大人になることはできる、生きる過程で捨てられるものもあれば捨てられないものもあって、捨てられないものは無理して捨てなくてもいいのだと。捨てなくったって生きていけるんだと。そういう話だったのか。
「喪失」は人それぞれなわけで、それを描くために、その象徴として「平面ガエルのピョン吉」という超級のファンタジーな存在が必要だったと、だから「ど根性ガエル」でなければならなかったと、そういうことか。
ていうか無理して大人になる必要なんて別にないってか、何をもってして「大人」なのかと。
毎回ピョン吉が死ぬしぬってなことを描き続けてきたわけだけど、結局元通りで、そういう意味では1話からなんにも変わってなくって、でもそれはヒロシが望んだことで、1話から、いやそれ以前からずっと続いてる「日常」を今日もお気楽に生きるだけだと、それでいいんだと。誰だって生まれてきてよかったし、生きてていいんだし、行きつく先は死なんだけど、それまでは、そのなかでなにかを失う必要なんてないし、どんな人間だってそうやって生きてていいんだと。
ざっくりとまとめるならば、「ど根性ガエル」を題材にして「日常」を生きることを描いたってことか。
ヒロシにとってのピョン吉にあたるものは人それぞれで、何も失わずとも子供のまんまでも生きていけるしそれで自分が大人だと思えば大人だし、自分の物語は自分で書き続ける限り終わらないのだと。ピョン吉は寿命がーとか死んだらどうなるーとか言うことで自らの物語を終わりにしようとしてたから(そしてそれをヒロシも受け入れちゃったから)剥がれちゃったのだと。それをわかりやすく描いたのが偽ヒロシということで。
間違ってるかもしれないけど、それを面白いと思えたかどうかは別の話として最終的にわたし的落としどころが見つかったので、そういう意味ではスッキリ終わったと言っていいかな。

『デザイナーベイビー』

題材があんまり好みではないし、主役のひともなぁ・・・・・・(ただでさえあんまり見たくないのに妊婦役って・・・トラウマ抉られるわぁ・・・・・・)ってんでスルー予定でしたが、柿澤勇人さんが出ると知り慌てて録画予約を入れました。
そしたらなっかなか出てこなくってさー、神保さんとか手塚とおるとか、篤郎とかいっけいさんとか、キャストを全く確認してなかったから予期せぬおっさんパラダイスでそれなりに楽しめはするものの内容以前にやっぱり腹デカイ主人公が受け入れられなすぎてお目当て見る前に心がくじけそうになりましたが、ようやくラストにちょろっと登場したカッキーにピギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!。
ひとめ見て『こいつゲス』ってわかるんですけど!!!!!!。悪いカッキー大好物のわたし大勝利なんじゃないのコレ!?。
観終って速攻公式確認したらカッキーは柴俊夫の息子だそうで、ハイハイこれ父親に恨み憎しみ抱えるデキの悪い息子ですねと!。父親の情報を得るために秘書である臼田さんを抱いてますねと!。よっしゃわかった!録画モードあげればいいんですね!!!。
とまぁカッキー的には期待できそうなんだけど、話としてはどうなのだろうか。
この病院には何がしかの秘密があって、それは子供の出生に関わることで、主人公(たち)がそれを探る一方で、赤ちゃんを誘拐された安達祐美にも秘密というか目的があって、それはおそらく息子の病気のために娘を使うことで、そっちにも主人公が関わることになるってな感じでしょうが、こんだけお腹が大きい主人公が捜査活動するってのがなぁ・・・。基本は情報収集要員だとしても病院側に主人公が警察の人間であることは知られてるわけじゃん?。誘拐捜査の過程で神保さんあたりが病院になにかあるとにらみ、どうにか内部情報を引きだせないかと思案してるところへ主人公が書類かなんか届けに来て「妊婦がいるじゃないか!」とかさ、それだってまぁ妊婦を捜査に駆り出すなよってな話ではあるもののそれならまだ“妊婦として”病院に潜入するってのも受け入れられそうな気がするけど、素性バレてんのに妊婦だからというだけで何をどうできるというのかとは思うかなー、今のところ。

『薄桜鬼SSL〜sweet school life〜 』

わたしの中で薄桜鬼の2.5次元化は舞台版(注:ミュージカルではなく)以外必要ない(注:認めないのではなく必要がない)のでちゃんなかの復帰作であること以外なんの意味も価値もない、ただちゃんなかを見るためだけの番組のつもりで見ました。
そしたら大人チームがこの界隈的に豪華すぎて朝からちょっとしたパニック。
ちゃんなかが土方さんなのは知ってたけど、近藤さんが和樹で山南さんが馬場ちゃんで伊東さんが玉ちゃんとか聞いてねえええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!
だってだって夜の職員室で一人書類仕事をしてるちゃんなかにお茶淹れて持ってきてくれる和樹とかちょっと意味がわからないじゃないですか!!。
ちゃんなかがまたこうやってドラマに出てるってのもちょっと前までは考えられないことだし、帝劇の主演を務める和樹がこの手のドラマに出るってのももうありえないことだと思ってたもん。
和樹はこれちゃんなかの復帰作だから出てくれたってな事情があったりしますかね?。だとしたらわたしちょっと感動しちゃうんだけど。
繰り返すけど薄桜鬼の実写化とかまったくもって求めてないし、SSLなんて尚更なのでドラマ自体に期待とかぜんぜんないんだけど、先生パートはちょっと楽しみになってしまった自分がいやだわ・・・。

黒川 博行『勁草』

勁草 (文芸書)

勁草 (文芸書)

今回は振り込め詐欺の話。絵画や骨董の世界や後妻業とは違い身近というかお馴染みというか、そんな感じのテーマなので「へー、そんな世界もあるんだー」という面白味はないのだけれど、そのぶんとことんまで転がり落ちる黒川節を堪能できました。
警察パートで最後に捻ったオチがくるかなーと思ってたので、ちょっとそこは残念というか、こんなもんかーってな感じがしたけど、でも現実もきっと「こんなもの」なのだろう。