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民衆史研究会 公式blog このページをアンテナに追加 RSSフィード

お知らせ

民衆史研究会は年2回の機関誌・会報発行、及び年1回の総会・大会シンポジウム開催を行なっており、本ページではそれらの情報をお知らせしていきます。


<更新記録>

[]『民衆史研究会会報』80号、2015年12月

  • 小川宏和「第四十三回古代史サマーセミナー参加記」
  • 二〇一五年度民衆史研究会総会議案

[]『民衆史研究』90号、2016年3月

  • 特集 中世における被差別民と社会
    • 民衆史研究会委員会「特集にあたって」
    • 細川涼一「中世非人に関する二、三の論点」
    • 吉野秋二「非人身分成立論再考」
  • 書評
    • 海津一朗「高木徳郎著『歴史の旅 熊野古道を歩く』」
    • 大塚英二「早田旅人著『報徳仕法と近世社会』」
    • 椿田有希子「深谷克己著『死者のはたらきと江戸時代 遺訓・家訓・辞世』」
    • 落合弘樹「大日方純夫著『維新政府の密偵たちー御庭番と警察のあいだー』」
    • 廣木尚「山田智・黒川みどり編『内藤湖南とアジア認識 日本近代思想史からみる』」

[]民衆史研究会2015年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2015年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

帝国日本と植民地の人びと―戦争・教化と自己認識―


報告

      「〈国語〉と軍隊‒‒台湾の〈皇民文学〉を中心に」

      「ボーダーランドとしての植民地

                —女性の主体を中心に」

      「戦時期朝鮮における植民地教育と「皇国女性化」政策

       〜女子挺身隊と女子青年特別錬成所を中心に〜」


開催趣旨

1945年8月14日、昭和天皇はポツダム宣言を受諾し、その翌日ラジオを通して戦争終結の詔書が放送された。当時「帝国臣民」であった台湾・朝鮮の人びともそれを聞いた。このシーンは戦後の台湾映画で以下のように描かれている。

「玉音放送」を聞きながら、子供は泣き声で父親に、父さん負けちゃったよと言った。それを聞いた父親は子供に対して大きな声でバカヤロウ!勝ったんだよ!と叱った。

数秒しかない映画の一場面であるが、非常に重要な問題を示唆している。それは台湾と韓国の旧「帝国臣民」にとって、戦争とは何であったのかという問いである。それを明らかにするために、今年度、民衆史研究会は「帝国日本と植民地の人びと 戦争・教化と自己認識」と題し、植民地の「民衆」に焦点を当てる。

植民地の「民衆」を検討する際に、まず押さえておかなければならないのは、今までの植民地研究の流れである。この研究分野では長い間「植民地収奪論」が主流であり、帝国日本は植民地を悪辣かつ無慈悲に支配していたと見なされていた。そして、植民地支配に対する被植民側の対応は、抵抗するかないしは無批判に追従するかの二項対立的な分け方で認識されてきた。

2000年代に入って、韓国近代史研究者尹海東は植民地における全ての事象をこの二分法に当てはめて考えるのは「認識の暴力に過ぎない」と批判した。「帝国」の「収奪」に対して生じた反応には、抵抗か協力の二項対立という単純な図式では説明し得ない部分が多いとして、「恒常的に動揺しつつ抵抗と協力の両面的な姿を帯びていたグレーゾーン」という概念を提出した。

この概念を引き継いで、2003年に開かれた日本台湾学会研究大会分科会では「抵抗でなく、協力でなく−日本植民地統治期に対する歴史認識」というテーマが取り上げられた。その後、当時座長をつとめた三尾裕子はこのテーマをさらに発展させて、2004年と2005年に二年連続関連のワークショップを開催し、「抵抗でもなく服従でもなく」という視線だけではなく、「植民地近代」(colonial modernity)の問題も念頭に置き、植民地統治の制度や政治的関係性に止まらず、植民地時期そして植民地統治後の社会を生きた台湾の人びとの視点から、台湾の植民統治の経験を読み解く試みをしたが、「階層性」の問題や、外部要素(植民地政権とその権力の源)と内部要素(エスニック・グループ、性別、階級、地域)の間の差異の問題は、その後も残っている。

朝鮮史研究においても、近代の構造的な拘束性を強調する尹の提言に対し、趙景達が民衆の自律性を強調する立場から批判を展開するなど、活発な議論が行われた。尹は、抵抗と協力が交差する地点である「グレーゾーン」に着目することで、抵抗もまた、植民地権力の政治領域である「植民地的公共性」の拡大に寄与し、植民地秩序を維持・強化してしまう側面を把握できるとしたが、趙景達は、民衆は生活主義に根ざした固有の文化伝統や思考方式によって抵抗したのであり、そこに植民地権力のヘゲモニーは容易に浸透し得なかったとしたのである。このように「植民地近代」をめぐる議論は、研究者間の「近代」観のずれや、宗主国・知識人・民衆の関係性についての認識の差異を浮き彫りにした。

こうした研究の流れを念頭に置きながら、本大会では「戦時期」と「教化」の二つのキーワードから植民地の「民衆」を見つめ直し、特にその意識に迫りたい。周知の通り、日中全面戦争の開始によって、政府による人的・物的資源の統制が一層強化された。その際、植民地の人びとも帝国にとって重要な人的資源であるため、動員のために彼らを「帝国臣民化」する必要があると認識されていた。それ故に、今まである程度「温存」が許されていた植民地の人びとの生活・文化・習慣などに対しても、「日本化」の強制が行われた。こうした「日本化」受容の強制は往々にして、学校教育にとどまらず、訓練所・青年団・女子青年団などの社会教育を通して行われた。植民地の人びとは統治者側の思惑どおり、素直に「帝国の教化」を受け入れたのか。或いは、強いられた教化を受けながら、日本の植民地統治そのものについて、またはこの戦争は誰の戦争なのかなどの問題について、改めて考えさせられたのか。その中に「グレーゾーン」はあったのか。「戦時期」の「教化」を通して、植民地「民衆」の自己・帝国に対する「再認識」の過程を見つめることによって、戦時期の植民地民衆にとって、戦争と日本の植民地支配とは何であったのかという問いを検討する。

                                



[]『民衆史研究会会報』79号、2015年5月

  • 顧晟「留学体験記」
  • 二〇一四年度民衆史研究会総会議の記録