2013年3月20日 立川談春師匠の紺屋高尾

昨年2012年5月13日に初めて談春師匠に会いに行ってから約10ヶ月後となる本日、群馬県高崎市まで遥々独演会に行って来た。結論から言うと、私にとって特別な「紺屋高尾」に出会う事ができて、なんという私得!全くもって出来すぎな展開に自分自身でも驚きつつ、嬉しさで震えた。

音源や動画で談志師匠や圓生師匠が演る「紺屋高尾」は何度も繰り返し聴いたし、恐らく色々なお噺の中でも一番聴いている演目かもしれないが、生で見るのは2012年1月7日の初落語の志の輔師匠以来だったはず。何よりも日にちが3月20日だし、3月15日から近いので、「紺屋高尾」を演る確率はそもそも高いのでは?って思ったし、狙ってないわけでも無かったけど、ガッカリする事になるのも嫌だから、期待しすぎるなよ、自分。って自制したりしてた。桜も早々と咲き出してて、春のお噺なんていくらでも有るわけで。うん。いつもどおり一期一会を楽しもう。って思いつつも、それでもどこかで、もし万が一今日「紺屋高尾」やったら…すごいよなぁ。と、心のどこかで持っていた。

実は今回は、大事な人の初めての落語体験をオーガナイズというミッションがあった。自分の初体験がとても素晴らしかったので、他人の初体験もできるだけ素晴らしい形であって欲しい。そもそも「好みかどうか」って事は大前提としてあるけど、最初の出会いの形によって、その人がその後どう落語と付き合うか決まると思うし、できるだけベストな条件を整えられるのであれば整えたい。エゴっちゃエゴでもあるんだけど、やっぱり私は落語に会えて幸せだから、それで誰かも同じく幸せに思えたら嬉しいのだ。今回、談春師匠な時点でそれはほぼ担保されていたけど(私のロジックでは)、プレッシャーもすごくあった。人によってベストな体験が「落とし噺」なのか「人情噺」なのか、(もしくはそもそも「無い」のか)、この人はどの師匠が好きそうだとか、どんな噺が好きそうだとか、分からないなりにも知っている落語とその人の情報を頼りに色々な落語体験を組み立てては白紙にして、いや違う。と、また機会を先送りにしたり、好き勝手に色々悩む。

だから今回は、それが期待通りの演目でドハマりしたという自己満足の気持ちよさと喜びが大きいと思うんだけど、何よりも、この人には私の大好きな「紺屋高尾」を聴いて欲しかったし、しかもそれを話してくれたのが他でもない談春師匠で、まるでその人の為の独演会だったのではないかと大いなる勘違いをしそうなほどだった。自分でも驚いたし、本当に本当に嬉しくて、今回の談春師匠の独演会が、その人にとって特別な落語との出会いであって欲しい。「傾城にも真あり」私にとっても、もう一つの忘れられない特別な落語会になった。