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続々・ノボリゾウ日録 by 岬たく

 

2016-05-28 80年代の東急の車両

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 1979年から1989年まで東急田園都市線の沿線に住んでいた。会社の寮の最寄駅が市が尾駅だった。そのあと引っ越して、最寄駅が市が尾の隣の藤が丘駅になった。通勤でも休日に都内に出るときにも、田園都市線を使っていたし、目的地によっては東横線や大井町線や池上線や目蒲線も使っていたから、東急(東京急行電鉄)にはしょっちゅう乗っていたことになる。

 最近、2016年の5月、東急多摩川線に山吹色と濃い藍色に塗り分けられたむかしの塗装の車両が走っているのを見て、80年代に東急の電車をなんとなくときどき撮っていた、あるいは緑色の電車がぼちぼちなくなりそうに減ってきたころに俄か鉄ちゃんになって撮りに行った、そういう中に、その色の電車を撮った写真があったことを思い出した。

 それがひとつ下の写真です。これが当時普通に走っていたわけではなかったのではないか。この80年代時点に、同じように旧塗装復活記念車両のような扱いだったのではないか。まあなんとなくそう思うだけですが。

 下の下の写真は今は渋谷駅前(ハチ公前)に飾られているのと同じ種類の5000系。アマガエルとか言われていた。この写真は写真の一番奥の車両のパンタグラフが切れている。きっと鉄ちゃん的には許せない写真なのだろうな。

 第一、駅に停車中の電車の車両を撮ると言う行為は、撮り鉄からすると「そんなのはダメ」なのだそうだ。だからまさにNGになるわけだが、駅で撮った一番下の写真は旧6000系。「東急6000系電車 (初代)」という名前でWikiにもページがある。

 この6000系はちょっといい感じで好きでしたね。どこが?と聞かれても判らないけれど、いまでは当たり前のステンレス車両の、たぶん出始めの頃の車両で、なんだか(電車に人格があるとすると)その新しさを誇って、颯爽と走っていた、そういう感じがレトロ感の中にも残っていたのかもしれない。

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2016-05-22 2016年の湘南 80年代後半の湘南

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22日の日曜日。9時からのEテレ日曜美術館で「大地が育てた写真 ブラジル移民 大原治雄」を見てから、どっかへ出掛ける家族の女性陣を自家用車で駅まで送り、その帰り道がスーパーフレスポの駐車場からはじまる大渋滞でイライラさせられ、途中から、こんな道の選択はほめられたものではないなぁと思いつつも、バス通りから住宅街の路地に折れてくねくねと走り帰宅した。

借りているマクロレンズをカメラにセットして、先週に引き続いて昔撮った、一枚一枚マウントされたポジ(スライド)の写真を接写する作業に入る。LEDライトによる単4電池6本駆動の薄いライトボックスの輝度ってだんだん低下するんだね。

そう言えば夜に自転車に乗るときに使っている単3電池二本で光るLEDライトも、電池を入れ換えたばかりのときが一番明るく光ることを思い出した。

なんとなくの感触として新しい光源もデジタル的に一かゼロかで、光るのなら同じように光り、何かの条件が未達になるとストンと消えてしまう、そんな気がしていた。そんなデジタル時代の新常識のようなことが、そうでないところまで及んで間違った理解をしてしまっている。テレビ番組を録画したDVD-Rも何年も減ると、ストンと映らなくなる、のかと思ったらそうではなくてきれいに圧縮記録された画像信号を再生できていたデータの一部が破綻して、画面のある領域なのか、動画を作るたくさんの連続した静止画のうちのいくつかの静止画なのか、見ていてもなにがどうなるのかはっきりわからないが、ブロック状のノイズが出たり、一瞬ぐちゃぐちゃの映像でフリーズしたようになるものの、感覚としては機械が「頑張って」再生努力を続けて(リカバリーアルゴリズムの努力?)なんとか踏ん張ってくれることもある。先発投手が打ち込まれたあとにそのままやられてしまって降板するか、なんとかまた持ち直すか、のような違いがある。ちょっと違うかな。更に言えば、同じディスクで、さっきはとうとう諦めて再生継続不能だったのを一旦取り出して、昔ながらのおまじないのように息を吹きかけて眼鏡用クロスでディスクの表面を拭いてみると、さっきと違って、さっきは再生できていたところで詰まったり、反対に今度は難なく再生出来たりもする。

なんだ、十分にアナログ的だ。

アルゴリズムはある閾値をもって一かゼロか、右か左か、イエスかノーか、振り分けながら動くのだろうがそこに掛かる信号の方が、平均的には経時変化を起こし、即ち信号が徐々に劣化しつつも、しかし平均ではなく一回一回の値にはバラツキ要因を抱えていれば、最終的にはうまくいったり駄目だったりで、それがアナログ的に見える。なのでいちいち検証すると上に書いたような新常識が当てはまることは実際には少ないのかもしれない。

LEDライトはどうやら電流値を受けて明るさが決まるから、乾電池が昔ながらの「へたってくる」となればだんだん暗くなるのは、当たり前のことで、ずっと同じ明るさを保ったまま、あるときにストンと消えると勝手に思っていた私の勘違いが甚だしいってことだ。

先週、この古いスライド写真の接写をはじめたとき、ある感度と絞り値を決めたときの適正に写るシャッター速度はだいたい1/160秒だった。それが今日は1/80秒くらいから始まり、一時間半後には1/50秒ってとこになっていた。

露出状態がカメラの肩にある液晶に表示される。それで気が付く。あるいは同じシャッター速度で撮った写真をチェックするとだんだんと露出アンダーの駒が増えてくるから気が付いた。

何て言うLEDライトの特性のことは実はどうでもよくって、接写作業を一時間半程で切り上げ、今度はバスに乗って茅ヶ崎駅へ出る。午後1時半に合流した家族のTと二人で「熊や」に昼食を食べに行った。私は海丼を食べる。一年くらい前から、それまで1050円だったか1100円だったかの海丼は値上げされて1300円だったっけ?高くなった。しかしこれは私の感想で合っているかわからないが、内容も値上げとともに充実した気がする。海丼は海鮮丼の仲間なのだが、普通の海鮮丼より刺身が分厚い変わりに小さく切られている。鮪と、それも赤身と中とろが混ざってるかも、それに平目とか鱸の白身の魚も、ウニと蟹と、イクラもぱらぱらあったかな。ほかにもいくつかの種類が入っていると思う。思い出せないだけで。それらに既に味が付けてある。タレをかけ回してあるのかな。そこに細く縦に刻んだ細長いネギが全面的にどかんと載っている。木のスプーンが付いていきて、即ち、かき混ぜて食べることが推奨されている。

こう書いているとこれは海鮮丼よりあられ丼の部類かもしれないと思う。が、あられ丼では刻まれた刺身が小指の先程の細かさだとすると、熊やの海丼は親指の先くらいはある。書いていて思い出した。他にかずのこも入っている。烏賊もあったかな。

これに野菜のたくさんはいったスープ、小鉢が二品、漬物、フルーツが付いてくる。素晴らしい!

もう二十数年前、私の子供が幼稚園に通っていた頃、幼稚園から配られる保護者向け通信に、先生が自己紹介とともにおすすめの店を紹介しているコーナーがあった。そこにこの「熊や」が載っていた。紹介していたのは背の高い、眉毛が太めの凛々しい女の先生だったと思う。以来、年に数回から十数回、食べに行く。大抵は海丼で、日によっては黒板に書かれた本日の定食や丼やスペシャル定食を食べる。海丼はそうでもないが、ほとんどのメニューはすごい量だから気を付けた方がいい。食べログだと今日現在、熊や本店の点数は3.51。まあ、手厳しい感想を書く人もいらっしゃる。最近は値段も上がったので余計にコストパフォーマンスが問われる。しかし、私にとっては、海鮮系のランチにおいて、この刺身の鮮度でこのボリュームであることから比較するに、これを越えた満足度を得たことがないのである。海丼、イチオシ。

Tと別れて一人で電車に乗り、茅ヶ崎から七分か八分で藤沢。江ノ島鎌倉電鉄、通称江の電に乗り換えて、七里ヶ浜に行ってみた。七里ヶ浜の駐車場から浜で遊ぶ人達をたくさんスナップした。

例えば上の二枚の写真が今日撮った写真。一インチセンサーサイズの、ズーム比が4倍くらいのコンデジで撮っている。一番上が銀塩換算焦点距離24mm次が35mm。露出は多分だけど三分の一段くらいオーバーに設定してある。

下の二枚は今日接写したスライドからで、1980年代前半か中頃に同じく湘南地方にある、平塚市営プールと茅ヶ崎漁港の突堤で撮っている。ともに200mm、もしかしたら300mmの望遠レンズで撮っていて、この頃は露出をISO感度をずらして三分の一段くらいアンダーにしていた。例えばISO64のコダクロームを使っているときに、カメラの感度設定を80にしていた。

望遠+露出アンダーから、広角+露出オーバーに嗜好が変わっている。写真の中身も、当然それにしたがって、狙いが明確で主被写体がはっきりした写真から、その反対へと傾向が変化をしている。

これが歳を重ねたアマチュアカメラマンが、若い頃は肉ばかり食べていた人も歳を取ると魚に嗜好が移るように、一般的に辿る写真の嗜好の変化なのか。あるいは、決定的瞬間からニューカラーへと言うような写真の流行の変遷に知らず知らずに影響を受け続けた結果なのか、自分でもわからないのである。

ただ最近はときどき昔のような望遠スナップにも興味が戻ってきた、ような気もする。

ぱっと見、キャッチーなのは昔のような写真だろう。

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2016-05-21 爽やかな土曜日

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21日の土曜日。朝、宇都宮の単身アパートを出発して、湘南新宿ラインで新宿へ、地下鉄大江戸線に乗り換えて10時過ぎに六本木。ヒルズの森美術館で開催中の六本木クロッシング2016の招待券をもらったので行ってみる。日本を中心とした若手の現代美術家による三年に一度、恒例の展覧会らしい。同時開催で長蛇の列になっているセーラームーン展の列の脇をすり抜けて入る。

一時間程度と予定して、そのあとにオペラシティで開催しているライアン・マッギンレー展、ギャラリー916の川内倫子展、と回り、夕方の6時からは平塚市のBMWスタジアムでJ1の湘南仙台戦を観戦する、と言うのが事前の計画だったのだが、結果としては六本木クロッシングか見応えがあり、作品の多くがビデオ作品または所定の時間で仕掛けの動きが完結する作品で、8分、15分、20分とそれぞれ最初からちゃんと観ていくと時間がかかることもあって、とても一時間なんかでは見終わらない。見終わったあと屋上の展望デッキ東京の街を眺めた時間も入れると三時間以上森美術館で時間を過ごした。ライアン・マッギンレーと川内倫子は、そんなわけで持ち越し。

そのかわりにIMAの展覧会情報でチェックしておいた、末広町のGallery OUT of PLACE TOKIOで開催中のポルトガルの写真家 José Pedro Cortes の写真展を観てきた。

クロッシングで楽しみにしていたのは、さわひらき、と、ミヤギフトシ、の二人で、二人の作品は期待にたがわず良くできていた。さわひらき作品は、何年か前に東京都写真美術館ワタリウムで、何かの企画展を見に行ったときに、室内を音もなくスッーっと旅客機が飛んで行く、床やベッドから離陸したり、浴室の上を横切ったりする、さわさんのモノクロのビデオ作品を目にしていた。子供の頃に「オモチャのチャチャチャ」って曲をよく聴いたり歌ったりした。あるいは自分の子供が幼かった頃にも耳にする機会があったのかもしれない。真夜中に博物館の展示物が動き出す映画、私は観たことがないが、ナイトミュージアムって作品だっけか、そんな発想って大昔からあるんだろうな。使いふるされた道具が命を得て動き回っているような百鬼夜行絵巻なんかも。即ちオモチャにせよ道具って使っているうちに愛着が湧いてくるからそこに命があるように描きたくなる。道具に愛着を覚えたり信頼を寄せたりする。ナイトミュージアムはそれとはちょっと違うのかな?

さわひらき氏の室内を音もなく飛行する旅客機の動画作品も同じような発想、夜になるとオモチャや道具が動き出すと言う発想から生まれたのか、全く違うのか?ただ、オモチャのチャチャチャにせよ百鬼夜行絵巻にせよ、どんひゃらと楽しげで騒々しいような感じもなくはないのに対して、さわ氏の作品は静謐であるところが面白い。真夜中に、音もせず、不意に流れる流星を、寝転がってじっと待っている感じが近いかな。

私は上記の旅客機が室内を飛ぶ作品しか知らなかった。そのさわ氏の出展作タイトルは「カメラの中の男」。動画作品が映されている部屋には、壁に、白い線で絵が描き込めれた小さな古い写真をおさめた額が三つ、スクリーンに向かって右手前に、フィンのある暖房器具のように見えるオブジェが一つ、そんなのがあるが、動画が流れるスクリーンに目を奪われることで、そう言う部屋全体のレイアウトが何を意味してる?示唆してる?現してる?のかはそのときには考えもしなかった。動画は例によってモノクロ作品、かと思いきや途中でカラーの場面も少しだけ挟まれている。古そうな板張りの部屋。実写で映る男の手や床や、床の木の隙間やオモチャの木製階段のような小物や、机。それを舞台に、展示された写真の上の白いイラスト同様に、動画のフイルム?の上に白や黒の線で書き込まれた、水滴や実写でも出てくるのと同じ木製の階段のようなものやあやふやな男の影が動く。実写のささやかな世界と描き込まれたささやかな世界が梯子で行き来できる「感じ」で交錯しているのか。展示された部屋がカメラの本体になり、そこから覗き見ているのが動画作品に当たるのか?実写で表現された実世界に、書き込まれたイラストがカメラの中の男の想像や妄想を示すのか?

前述した室内を音もなく飛ぶ飛行機の作品と比べると、謎めいている。怪しい感じもする。少しだけ。

他の作品にも同じようなことを感じたが、その作品自体が誰でもにすぐわかるような個別の物語や、具体的なストーリーが希薄。それなのに確実に感覚、と言うのか、感情を揺すぶられている。感情の既視感を覚える。この感じってなんだっけ?と言ったような。そう言うところに、私は現代美術の面白さを感じているのか。でも、こんな風に書きながら、当たり前のことを書いてる気がしてきた。現代美術に限らずすべての創作は、混沌からの取捨選択のようなことなのかもしれない。

ミヤギフトシ作品にはもっとずっと物語があるが、物語はさておき、昔一度だけ会った年上の男エスへの仄かな恋情を匂わせる同性愛者らしい男の記憶の独白の場面で流れる都会の片隅の風景を短い動画で繋いだ映像がすばらしい。それは絶景の風景、どこか秘境に行かないと出会えない風景とは違って、我々が属している日常の風景で、それなのにそこをこう見ていけばこんなにもセンチメンタルなんだと思わせる。センチメンタルと書いたのは、それらの被写体が記憶の入り口になっているからか。映像に被せて語られる話は、ちょいと小難しく、聞き取りづらく、私はその話は一回だけ見たのではちんぷんかんぷん、その話にこめられた思いを受けて反応を膨らませることは知識不足で、出来ないけれど、やはり感情の既視感だなと思った。

ミヤギフトシ作品に添えられていた解説は、ここで読むことが出来ます。

http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2016/artists_works/index.html



サッカーのこと)

昨年は一回だけ、今年のシーズンは三回、湘南ベルマーレのホームの平塚BMWスタジアムにJリーグのリーグ戦を観戦に行っているが、これがなかなか勝たない。昨年の一試合こそ引き分けだったが今年は三回とも敗戦だ。

予算の少ないチームの宿命として既に完成され評価の確立した「計算の立つ」選手を獲得するのは困難だ。自然、育成形のチームになり、それが実った年には、それも同時に何人もの選手が急成長したときには一瞬強くなるが、そうして育った選手は結局のところ年俸競争に負けて放出せざるを得なくなる。そこでまた他チームの控え選手やら、ルーキーを獲得して、他チームを上回ることを目指して、ある意味、振り出しに戻って、一からやり直して、チームを作っていくことになる。

詳しいことは知らないが、こう言う育成形チームが育てた選手が他チームに移籍するときに、今のJリーグの決まりだと、移籍金がチームに落ちることもあまりないと聞く。

こう言うチームがなんとかJ1リーグに居続けるには、弱いなりに勝ち点を稼げる守備的な戦術をとって、数少ないカウンター攻撃のチャンスを活かすというやり方があるだろう。そのために適した大型の外国人フォワード獲得に資金を集中する、そんなやり方もあるかもしれない。だけど、こう言う戦術は、まぁ多分、あんまり面白くはない。勝てば何でもいいって考え方もあるのだろうが。

それから、チームのコンセプトやスタイルをぶれずに浸透させて、なるべく早急に「超一流や一流とまでは言えない」選手を効率的に動かしてチームとしての強さを纏う必要もあるだろう。そして、そのなかで上述のようにいつかは資金力のあるチームに引き抜かれるかもしれないが、それでも育ってもらわなければならない。

そのためには、そう言うチームに適した手腕を持つ監督が望まれる。

敗戦が続くとタラレバが語られて、戦犯捜しも始まって、いろんな条件から獲得不能の選手を欲しいと思い、今いる戦力に限るとそれしか選択肢のない選手選択が悪いと勘違いをして「やめろ」とか「出すな」と主張する輩も出てくる。

更に、仮に上記のような監督が獲得出来ていても、成果が上がれば監督だって引き抜かれる。

こう言う状態から少しづつ抜け出すにはサポーターの数を増して、入場者収入を増やしたり、グッズ販売を伸ばしたり、そう言うサポーターからの収入を増やすことも重要になるが、神奈川県には川崎にも横浜にもJ1リーグに所属出来ているチームがあり、サポーターを増やすには、鶏と卵の関係のようにチームが強いことが、それからゲームが面白いことが望まれてくる。平塚BMW競技場は収容人員も小規模で満員が続いても、他チームと比べると入場収入の急増は望めないだろう。

即ちギリギリの状態のなかで、なんとか良い方向を探す、と言うことを理解した上で応援をしないと、やってられないのである。言い換えると、こう言う状態から少しでも好転をするように応援をするのが醍醐味なのである。

1994年、Jリーグに上がってきたベルマーレは今で言う第一ステージでは12チーム中11位だった。ところが第二ステージには優勝争いを演じて二位になった。あの頃はゼネコンのフジタがバックにあったから資金的には問題がなかったのかもしれないが、それにしても、上に書いたような分析結果を覆すように、どこかの歯車が急に噛み合い、分析などふっ飛ばして奇跡のように思える結果が起きることがある。今年のレスターのように。

もしかしたら今度こそそうなるかもしれない。だからベルマーレを応援することは、面白い。ごくまれに、他チームでは味わえないような夢を見ているような気分になれる、、、可能性がある。

守備的なシステムからカウンターを狙うのではなく、走って前からプレスをかけて全員攻撃をする湘南スタイルと呼ばれる戦術も魅力的。ちょっとだけ好転すればサポーターの数もジワジワ増えるかもしれない。

今の残留より、理想の追求が、長い目で見たときに安定的な強豪に繋がることを目指しているのが、まぁ魅力な訳です。

それにしてもやっぱり勝ってくれー!

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2016-05-15 薔薇と海と

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平塚市の郊外にある神奈川県立、なのかな?花菜ガーテンの春の薔薇が見頃になっていると人づてに聞いた。ちょうど100mmのマクロレンズを借りていたので、じゃぁ行ってみるか、と、日曜日の朝の6時くらいかな、目が覚めて外を見て、快晴を確認してから決めた。ホームページを見ると開園時刻は9時とあったから、それを見越してだいたい9時に着くように車で出発した。ナビの言う通りに、国道1号線で茅ヶ崎市から平塚市へと、その境界になっている相模川を渡り、平塚八幡宮で斜め右へ曲がり、横浜ゴムの工場を右手に追分交差点へと進む。道沿いの街路樹は銀杏で、新緑がとても美しい。横浜ゴム正門を過ぎた辺りから追分交差点までのあいだは私の小学校中学校時代の通学路だった。だからと言って、なにか特別に感慨があるわけでもないが。ただ、この銀杏の木が私が小学校中学校時代にあったのかどうか?その頃は違う種類の街路樹だったものがいつか植え替えられたのか、そもそも当時街路樹があったのか、そう言うことはなにも覚えてないな、とは思った。

追分交差点にあった鈴木書店は既にだいぶ前からなくなっているようだ。その書店で中学生の頃に、例えば「老人と海」の文庫本を買ったのだ。立ち読みしていると、はたきを持ったおばちゃんが登場すると言う、当時の典型的な書店だった、、、と、思う。

道に面して入口が二ヶ所あって、その中間に屋外を背にして店番が据わっていると言う、街の個人経営書店の規準のような造りだった。

子供の頃に住んでいた家は、追分交差点を右折した方にあったが、今日は直進する。カーラジオは音楽データを入れたUSBをさすとか、CDを入れるかをしなければ、FM横浜が流れる設定になっている。納車したときからそうだった。自動車販売店とラジオ局のあいだに契約でもあるのか、ただその自動車販売店がそうしているのか。それとも担当販売員とか整備士の好み?まさか、お客さんの嗜好を推察して販売員が設定しているのか?前のSUV車にはハードディスクがあって、一度かけたCDデータはそこに全部記録されたから、十年以上乗っていたあいだに二百枚とかのCDデータが入っていた。半分は家族の女性陣が入れたアイドルの歌だった。エンジンをかけると前に乗っていたときに選ばれていたデータのつづきが再生された。アイドルのまま放っておいたこともあるし、自分が入れた他のデータに変更することもあった。いずれにしてもFMをかけることはほぼなかった。前の前の車、1990年代後半から10年ほど乗っていた八人乗りワゴンは、カセットテープを使っていた。もうカセットの時代じゃなかったかもしれないな。オプション設定したのだったかな。この前の前のワゴン車の頃にはたまにFMを聞いていた。前のSUV車ではハードディスクに一杯データが入っていたこともあってラジオなど聞かなかった。家でラジオを聞くこともないから、前の車の十年ほどはラジオを聞かない十年だった。結果として。

今朝は渡辺香津美のドガタナと言うCDを持ってきたのでそれを流していてFMは聞かなかった。昨日の土曜日にちょっとした用事が三つほど重なり、ちょこまかと車を運転したそのときはFM横浜を聞いた。前の前のワゴン車のころにも小山薫堂と柳井真希がパーソナリティー(私が高校生のころはDJと言ってたが)をしている土曜の朝の番組はあった。それがまだ続いている。二十年近く続いているってことか。多分、小山薫堂も柳井真希も二十年のあいだに、年を経て、外観は変化したに違いない。だけど声はあまり変わっていない。同じ番組で、変わらない声で、同じようなだらだらした内容で、ラジオ番組が始まると、あいだに十年くらいこの番組をほとんど聞いてなかった(たまに床屋で流れていた)ことの欠如していた時間などなかったようにしっくりと来る。それに驚いた。時間の軸のあいだを切り出して捨てて、過去と今をぎゅっと引っ張ってくっ付けたみたいだった。

渡辺香津美のドカタナをかけながら花菜ガーデンへとさらに車を走らせる。1981年のアルバムが90年代後半にCDになったときに買ったのだろう。車を運転しながら聞くのに適した曲ってあるのか?明るくて、軽快なテンポで、長調で、聞きやすくて、爽やか、とか?私はそう言うこだわりがない。暗い短調のバラッドで、難解でわかりにくい、でも構わない。同乗者にブーイングされることもある。こんなの聞きながらよく運転できるね、よく眠くならないね。これはいい方で、このまえチック・コリアとリターン・トゥ・フォーエバーの「リターン・トゥ・フォーエバー」即ちカモメのアルバムをかけたとき、一曲目のちょっと謎めいた妖艶と言うか奇っ怪と言うか、あの曲が流れ始めると頭痛がしそうだと。まぁ、そうだろう。ラストのラ・フィエスタの色とりどりの光が飛び回るような美しい終焉に至るまでの助走のような始まりで、私は助走だと知っているからワクワクするけど、はじめて、それも車のなかで聞かされたら、たしかにブーイングかもしれない。

追分交差点を越して右側は私の母校の高等学校。さらに数百メートル進んだ左側は高校時代の同級生写真部仲間だったS君の家。いま、S君は別の、もっと海に近いところに住んでいて、もうお子さんも巣だって、お孫さんもいる。ここはS君か高校生の頃に住んでいた家のあたりで、即ちご実家だが、今どうなっているのかは知らない。

16才のときに、S君の家に写真部の何人かで集まり、夜を待って、S君の部屋の窓に暗室カーテンを引いて、写真の引き伸ばしを、一人 30分とか、時間を決めてやったことが二度か三度あった。待っているあいだにその頃高校で異様に流行していたトランプ遊び、ナポレオンだったかな、それに少し似ている別のゲームだった気もするが、をしたり、S君の持っていた楽器をいじったり、LPレコードを聞いたりしていた。S君はプログレッシブロックのレコードをたくさん持っていた。エマーソン・レイク&パーマーやイエス。部屋から屋根に出ることが出来た。屋根に座って友達となにかを語っている。なんかねえ、青春映画の定番場面みたいだった。

S君に一通りの暗室作業を教わった。現像液が酸化しないよう泡を巻き込まずに撹拌する方法。液体が張られたままのバットを液を溢さずに持つ方法。印画紙を現像液に斜めから波を立てずにさっと浸す方法。

そのあと数ヵ月のあいだにK君も私も自分の引き伸ばし機を親にねだって買ってもらっていた。

やがて車は金目川沿いの、秦野街道との交差点に至る。交差点を右折して秦野街道を北上する。

花菜ガーデンへ右折する信号の手前から、右折したあとも駐車場まで、ずっと車の列が出来ている。そこでナビの地図を見ながらひとつ先の信号まで行き、そこを右折してから、何度か曲がって、花菜ガーデンの駐車場にさっきの列とは反対から行ってみる。すると列はなく、すいっと駐車場に入ることが出来た。

マクロレンズで花を撮ることなんてほとんどやらない。どう撮りたいか?と言う思いやこだわりがない。ただどうせならマクロレンズじゃないと撮れないところまで倍率を高めようと、技術的なことを背景に、ひたすら接近して行く。花弁の端っこの作る線を山の稜線のように見立ててみる。

昼頃に帰宅してから、午後は、今度はバスと電車で鎌倉へ行った。


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2016-05-14 緑のドアのガレージ

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 100mmのマクロレンズをフルサイズの一眼レフカメラに装着し、スライドを見るためのLEDライトボックスの上に、昔撮ったフイルムを乗っけて写真を撮ると、下手なフイルムスキャナーよりちゃんとフイルムをデジタル化できるんじゃあないのかな?と思い、やってみた。マウントされた昔のポジは結構よく再現出来る。モノクロフイルムも問題ない気がする。カラーネガのみ、撮りこんだデータをフォトショップで反転処理したときに正しい色にならなかった。カメラの色温度調整などを変更すればもっと良くなるのだろう。第一RAWを使わずにJPEGでやっているところがいけないに違いない。

 上の写真はそんな中の一枚で、1980年代の後半に東急東横線の都立大学駅から少し歩いたところをぶらぶらしていて、偶然見つけたガレージ・・・だったと思うのだけれど、もうずいぶん前のことだからなあ、勘違いかもしれませんが。もしかしたら90年代の前半かもしれないな。

 この写真のほかに1989年に神田あたりのレトロビルを撮った写真などを接写してみた。