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続々・ノボリゾウ日録 by 岬たく

 

2016-09-25 トーマス・ルフ展@東京国立近代美術館

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2016-09-24 歩道橋

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 午前はマンションの理事会に出席する。午後は自動車の六か月点検に行ってくる。整備の待ち時間に自動車屋さん近くの古いお蕎麦屋でおかめ蕎麦を食べる。椎茸(どんこ)、ほうれん草、玉子焼き、麩、蒲鉾、筍。雨降り続く。

 帰宅後、ここのところずっと続けている車窓写真からのこんな風な画像の「作りこみ」作業をする。しながら、ジャズのCDを聴く。最初はブラッド・メルドーのアート・オブ・トリオの、全作をまとめたボックスから適当に抜いたものを。ついでCDを並べてしまってある棚から適当に取り出してきた、レッド・ガーランドの和訳すると「空が灰色のとき」といったタイトルのを。

2016-09-22 フィオナ・タンの富士山の新作を見に行く

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 秋分の日。天気はずっとぱっとしない、今日も雨です。

 車を運転して、箱根のポーラ美術館に行き「ルソー、フジタ、アジェのパリ」を見る。私はアジェの写真をどう見ると、いろんなところで書かれたり言われたりしているような素晴らしさが見えてくるのか、近代写真の父と呼ばれるほどの感銘がどこから得られるのか、これが情けないことになかなかよく判らないのです。最近の調査でフジタもアジェから写真を買っていたことが分かったらしい。解説文を控えてこなかったからすっかり忘れてしまったけれど、フジタはアジェの写真を、絵のための資料としてアジェは写真を売りに来たが彼の写真に写されたパリは・・・、と言っていたそうだ。って、肝心の・・・をよく覚えていないなあ、図録も買わなかったし。例えば、日常を写しているがそれゆえ見るものに様々なことを想起させる、なんてことだったかなあ。まったく違うかもしれません。アジェの写真はたくさん展示されている。最初の三枚(四枚かな?)はアジェ自身がプリントしたビンテージプリントだった。都写美の所蔵品だそうだ。今回はアジェの良さがわかりかけた気がした。扉が半分開いた感じ。好きな異性に積極的に近づけないが、長いことずっと遠くから見続けているような愛おしさの表現、パリという街にアジェは写真でそういう風に接していたのかな。それとも画家たちはこういうところを絵に描きたいだろうと常に考えながら歩いていたのか。いや、こういうところを背景にしたいだろう、かもしれない。あくまで背景を撮る気持ち。それが新しさにつながった?また見に行こうかな。

 そのあと、クレマチスの丘、伊豆フォトミュージアムへ。フィオナ・タンの「アセント」と題された、一般公募で集めた富士山の写真を使った映像作品(77分)を見てきた。チケット売り場で77分と聞き、途中で退出しちゃうだろうな、飽きるだろうな、と思ったのだが、まったく飽きない。最後まで面白く鑑賞。写真にかぶせて英語を話す女性と、日本語を話す男性の、会話形式だったり独白のようだったり、音声が入ってくる。内容は日本の伝統のことから、山に関する古い映画のことから、この二人の関係(思い出)を示唆することから、実際に富士に上っている様子まで。

 ちょうど磯崎憲一郎著「往古来今」を読んでいる。ここに収められた小説は、なるべく事前の物語の構築や設計をやめて、赴くままに、普段我々が例えば電車に乗っているときに景色を見ながら頭のなかでつらつら考えながら、なにかのきっかけでその主題が自分では違和感なく、もし誰かに頭の中を開陳してしまうとまったくもっと呆れられてしまいそうな、そういうジャズでいえば即興演奏のような、「その場限り」であることに集中していくような、そういうところが面白いわけだが「アセント」は緻密に構成された即興演奏の演出の結果のようだ。磯崎憲一郎の小説も、考えようによっては緻密に構成された即興演奏だろう。

 たまたま読み始めた短編小説がつまらなくて、ほかのも読み始めて、またつまらなくて、またほかのも読み始めて・・・「往古来今」だけが次の一編も読んでみたくなるのだった。そうならずに一つか二つ読んで、ああ、この感じのこの路線なのね、と「見えてしまい」次のは「もういいや」となってしまうのは、残念なことです。

 写真は箱根の何とかいう峠の駐車スペースから見下ろした駿河湾。

2016-09-19 まで開催中。TABF2016

私も同人として参加させてもらっているニセアカシア発行所は今年もトーキョーアートブックフェアTABF2016に参加しています。19日まで。

http://tokyoartbookfair.com/

2016年9月18日(日)12:00〜20:00

2016年9月19日(月・祝日)11:00〜19:00

入場無料

東京都港区北青山1-7-15 京都造形芸術大学東北芸術工科大学 外苑キャンパス


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このポスターが貼ってある一階C室のC10ブースです。

このポスターはニセアカシア4号を作ったときの宣伝と言うか・・・まぁ、うん、宣伝しかないか・・・それ用のものです。ニセアカシア4に載せた私の作品は、私はファウンドフォトの収集家の役割で、使った写真はすべて2001年に亡くなった私の父が1950年代後半から60年代の前半に撮ったものでした。フイルムについた傷やカビごとスキャナーで読んだまま修整せず、まぁ、修整のしようがない、そのまま載せています。

ニセアカシアは、写真と文章の本、と言うコンセプトで、それをいいことに?、文章を書くのも下手の横好きなので、私は6号までずっと写真はもちろん文章を載せてきました。

上記の4号では、父の撮った写真に関することを真面目に書きました。

どの号も思い入れがあります。一例としてニセアカシア3では、私の娘が小さかった頃の写真を含む、モノクロ作品を、短い詩のような、呟きのような文章とともに載せました。タイトルは、なににしたんだっけな?「今日は、家に帰った方がいい」だっけ?そんな感じです。この頃に辻堂の湘南モールと言うショッピングモールにあるフレッシュネスバーガーで、コーヒーかなにかを飲むときに、かき混ぜる用の木製のスティックを、そのスティックがたくさん入れてある(楊枝容れのような?)ところから一つ持ってきた。いつもはブラックコーヒーばかりを飲むのに、この日はなぜかカプチーノを頼んだような気がします。そのスティックに英語で、今日の占いと言った感じの一言が書かれていました。それが、今日は家で過ごしなさい、と言う内容だった。このエピソードを元に作った作品です。そのこともあってか、ちょっと70年代ころに流行っていたウエストコーストっぽい、乾いていてアメリカンな感じの文章にしたのが3号でした。

岬たくの個人作品として「見えない虹をさがすこと」と言う写真集も、今回も出していると思います。これはNDフィルターを何枚も重ねて昼間にスローシャッターで撮った写真を集めています。ここには、ある風の強い夜にピアソラを聴きながら書いた即興的な詩が載っています。実のところこの「見えない虹をさがすこと」はあまり売れていない。制作後五年か六年経ってる気がしますが、十冊どころか五冊売れたか?って感じです。そんな不人気本ですが、何年か前のトーキョーアートブックフェアで、この即興的に書いた詩をえらく気に入って下さった方が買っていったときがあったのを、嬉しかったので、よく覚えています。

今回もこういったたくさんの作品を集めてますのでお立ち寄りくださいませ。

なお、このブログでも制作途中であることをちらっと書いていたニセアカシア7号は制作が間に合いませんでした。

2016-09-16 王子駅通過

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 上野東京ラインもしくは湘南新宿ラインに乗って関東平野を南下していくと、王子駅のホームは徐々に上へ上がっていく。正しくは、上野東京ラインもしくは湘南新宿ラインの線路が、ちょうど王子駅のところで下り坂になっている。王子駅には停まらないから、窓から見ていると、王子駅のホームの上の人がどんどん後ろに飛んでいきながら、徐々に上がっていく。この数秒か十数秒のあいだの車窓の景色の変化が面白い。

 二十代のころ、田園都市線沿線にあった会社の寮に住んでいたころ、渋谷から帰ってくるときに、二子玉川駅手前で地下から地上に電車が出ていくところに来ると、大気圏から宇宙に抜け出したロケットみたいだなと思ったことがあった。車中にいると、地下を走っているときに比べて、地上に出ると走行音が静かになる。それがそう思わせたのだと思う。

 王子駅を通過するときには、大気圏とか宇宙とか、そんなことは思わないけれど、車窓からいくつもの駅のプラットホームを見ているなかでは、変化があって面白い。

 王子駅のあのホームから電車に乗ると、知らない場所へ連れていかれそうな感じかもしれない。ウルトラQの小田急ロマンスカーがどこかへ行ってしまう話を思い出しました。