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続々・ノボリゾウ日録 by 岬たく

 

2016-07-18 浜降祭の朝

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 数年振りに茅ヶ崎浜降祭りを見物に、早朝の茅ヶ崎海岸へ。5時半に家を出て、徒歩で海岸まで、およそ30分。途中御霊神社や住吉神社の名を掲げた神輿に追い付き追い抜く。深夜の2時過ぎに例年通り、私の家のすぐ横のバス通りを本社宮の神輿が盛んな囃子声や太鼓の音とともに通過して行ったのを半分眠ったままブラインドの隙間からちょっとのぞいた。この祭りは茅ヶ崎界隈の四十くらいの神社から深夜に出発した神輿が、早朝に茅ヶ崎海岸に集まり整列し、神事を執り行い帰っていく。寒川神社が全神社のさらに元締めなのかな?詳しいことはよく知りません。砂浜に着いた神輿はみそぎのために海に入り(担ぎ手の腹から胸くらいの深さまで)そののち列に並ぶのだが、今年は私が見ていた限り一騎も海に入らなかった。途中場内放送で、サメが見つかったため海に入らないように、と流れていたから、それが理由で自粛していたのかもしれない。それでちょっとクライマックスに欠ける感じだった。(と思って、いまニュースを見たら、ちゃんと海に入っている神輿が写っていたから、私が会場に着いたのが「遅くて」最後のいくつかの神輿が海に入らなかったために観られなかったというだけなのだった。いや、私が帰ったあとに神事終了後に入ったのかもしれないな。)

 神輿は国道134を渡って、漁港の坂を下り、いつもは漁港の駐車場になっている広場で最後の気勢をあげてから整列する。広場の周りや神輿の回りは大勢の法被を着たその神輿の町内の参加者や交代する担ぎ手や、カメラマンや見物客が取り囲んでいるわけだが、こんなふうに広場からちょっと離れた砂浜や波打ち際にも大勢の人がいて、彼らはなんとなくぼんやりと佇んでいる。神輿見物にも飽きたし、まだそれほど気温も上がっていない早朝の砂浜でなんとなく海を見たり遠くの神輿を遠望したりしながら立っている。座っている人もいるけど。この周辺ゾーンのぼんやりした人たちを半逆光〜逆光で見ている(撮る)のがいいですね。なぜいいかって、私もぼんやりしているからでしょうか。そっちに属したい。しかし、属したくても写真を撮る方に忙しくて結局属せない。カメラマン趣味って、リラックス下手な人種のつまらない本性のカモフラージュなのかなあ。属せないまま、それでも神輿の回りの祭の場面ではなく、こんな光景ばかりを撮っている。

 写真で左を見ている人は神輿の方を右を見ている人は海を見ているのです。

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 浜降祭に行くといつも買うのがお好み焼きで毎年同じ屋台で買っているのかどうかわからないのだが、だいいち毎年同じ店が出ているのかもどういう仕組みで出店が決まっているのかも知らないしわからないが、なんとなくいつもこれを買っている気がする。美味しいです。二つ買って家まで持って帰って食べる。

2016-07-14 蒸し暑い日々

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2016-07-10 少し歯が痛い日曜日

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自室では椅子の上にまで雑誌が積まれていて、座れない。唯一座れるのはベッドの上だ。しかし背凭れがない。ベッドの片側の壁や足元側の本棚に凭れることは出来るが、壁や本棚は、当然のこと固い。これでは自室での読書などできない。ベッドに寝転がると言う手もあるが、本を持って仰向けになっていると肩や腕が疲れるし、うつ伏せで読んでいると腰が痛くなる。第一、寝転がるとすぐに眠くなるので読書が進まない。

そこで先日、ニトリに行った際に、安価な座椅子を買ってきた。この座椅子をベッドの上に置いてしまう。勿論、寝るときは床に下ろす。ふむふむ、なかなかに居心地が良くなった。と、そこは満足なのだが、では読書に熱中出来たか、読み終わったページ数が増えたか?と問われると、その効果は現れない。結局、座椅子に座ったまま眠くなるのだった。

10日の日曜日。いつになく遅くに起きる。座椅子に凭れて、京都旅行の最中に買ったレリスの夢日記のような本を読み進むが、旅行中の京都では不思議な浮遊感が魅力的だったのに、自室で読んでも引き込まれない。それで同じページを行きつ戻りつしている。

近所の家から日曜大工だろうか金槌で叩く音が聞こえるが、騒音に配慮しているのか、ガンガン叩いていない。控えめな感じがする。その控えめな音の大きさが、いかにも日曜日って言う感じで、好感すら覚える。こんなのはこっちの気分によるところがほとんどで、何かイライラした気分のときだと、非常識だと気色ばむかもしれない。

昼過ぎてから妻と外出。昼食後に別行動として、コンパクトデジカメを持ってふらふら路地を、適当に曲がりながら、それでも概ね海岸の方へと歩いていく。茅ヶ崎市民球場で中学校野球部の、これからはじまる試合に向けてのウォーミングアップたるキャッチボールを眺める。海に着くと、はっきりと伊豆大島の島影が水平線上に見える。冬の空気の澄んだ日よりもさらにはっきりとしている。島影は青みを帯びている。青いのは伊豆大島だけではなく、丹沢から箱根、箱根から伊豆半島、と続く山の稜線も青かった。

茅ヶ崎海水浴場はまだ夏休み前なのにずいぶん人が出ている。海水浴場では写真は撮らない。

行きすぎて漁港の防波堤から、遊泳禁止の曲線を描く砂浜を遠望する(下の写真)。手前にテトラポットがあって、そこを画面の外に追い出そうとするとこんな風に空がちょっと広くなりすぎる。しゃぁない。

砂浜から歩いて帰る途中の喫茶店は、ほかに誰も客がいなかった。その隣のパン屋で、もうほとんどのパンは売り切れだったが残っていた茄子の乗ったパンを買う。

少しだけ歯が痛い。

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2016-07-09 傘を忘れた日

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昨年社会人になったばかりの、二十代のK山君は、大阪府で育ち、北海道で学生時代を過ごし、栃木県に勤めている。同行したいとおっしゃるのでふた月に一度くらいのペースで行っている都内写真展巡りにお誘いした。

六本木のフジフイルムスクエアで合流し、これはたまたま招待券をもらってあったので、写真展ではないが21-21で土木展を見る。昼食後に新宿に移動して、途中、路地好きらしいK山君のために思い出横丁や昼間で誰もいないゴールデン街を案内しつつ、ニコンサロン、コニカミノルタプラザ、蒼穹社、PlaceM、と回ってから、最後はPlaceMで、瀬戸さんと森山さんのトークショーを聞いてきた。

「街を歩いてストリートスナップをしているカメラマンは総じて皆さんお元気ですね」

「既に(カメラを持って街を)徘徊してるからね」

なんてやり取りも。和気藹々。

トークショーの前の時点で私はこの日、約200枚撮っていたが、そんなに撮っている風には見えなかったK山君は350枚だった。一緒に歩いていて、そんなに撮っているようには見えなかったから、その目立たないところが凄い。

PlaceMの傘立てに傘を忘れてきてしまった。来るときには持っていた傘を持たないまま、PlaceMから新宿駅まで歩いて、湘南新宿ラインに乗って茅ヶ崎に帰ったのだか、茅ヶ崎に着いた頃になってやっと傘のことを思い出したのだった。

写真は新宿ニコンサロンの入っている階から東京の街を遠望。モノクロにして少しトーンカーヴをいじってはいます。北なのか西なのか、反対か、どっちを見ているのかわからない。

2016-07-03 鴨川沿いの道

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さて、腹を下してしまった土曜日、止瀉薬の大量投与が奏功して、あるいはそれでごまかしているだけ、と言う見方も出来るか、午後の2時くらいになって一応は腹下しが止まった。そこで、午前から過ごしていた京都駅周辺、と言うのもトイレの確保が用意だからその辺りにとどまっていたのだが、そこから奈良線に一駅乗って東福寺へ。芬陀院の雪舟の石庭を見に行った。見に行く、と言うよりその場に属しに行くのだろう。南側の雪舟作の鶴亀の庭、だけでなく、東側には重森三玲作庭の小さめの庭もある。ほかの石庭を眺められる寺院と比べて、この芬陀院はずーっと庭を眺めながら物思いにふけることが一層できる。・・・気がする。あまりに気持ちがよいからだろう、座布団を並べて昼寝をしているお爺さんもいた。見ていると皆さんずっといて、なかなか帰らない。鶴亀の庭の向こうは竹林が、この日は暑いが風があったから、葉擦れの音を立て、風に耐えられなくなった竹の葉が石庭の上にひらひら落ちてくる。

竹って葉を散らすものなのか?そうだとするとどの季節に?そんなことも知らないものだ。子供の頃に住んでいた平屋の二軒長屋にあった小さな納屋(風呂を沸かす薪やら、生ゴミを棄てる穴を掘るスコップやら、もう使わなくなった自転車、などがしまわれていた)の横にほんの3メーター四方くらいの竹の自生しているスペースがあったが、だからと言って竹落葉の季節など覚えなかった。この小さな竹林は私が12才の頃に一斉に花を咲かせてから枯れてしまった。なんか、エイリアンのような形の、まぁネバネバはしてないけど、花だった。

そこでネット検索で「竹の落葉」と入れてみたら、竹落葉と言う初夏の季語があることを、いま、知った。たけおちば、と言うそうだ。

鴬が鳴いている。なかなか上手く鳴くようだ。数羽の小鳥の集団が右から左へ、姿を見せないままチッチと言う鳴き声だけを残して通り過ぎる。しばらくして今度は左から右へ。ちらっと見えた鳥の方にカメラを向けて、ズームしてからシャッターを適当に押す。再生し拡大したら、シジュウカラが写っていた。しかしこんなことするなんて無粋ではないのか。

それから、デイバックから本を取り出す。昨日、寺町×丸太町上がる、京都市役所隣の雑居ビル二階にある、中古レコード・CDと古本の店で二冊買ったうちの一冊、夜なき夜、昼なき昼/ミシェル・レリス、を読む。数行から数ページの夢の記録と、その夢を見るのに関係していたと思われる現実の出来事と、夢と直接は関係ないが現実に起きたエピソードが、6:3:1くらいで続く。何年にも亘って夢日記のように。それをそれこそ夢うつつのように、意味を把握しなかったり、ちゃんと理解したり、そんな斑模様のまま、理解してなくても読み返さずにページをめくる。この本は、そんな風でもかまわない。