歩いても歩いても ほか


 東北新幹線車窓から撮ったどこかの空き地の写真に、いろんな処理をしてみました。

 さて、本日は午前にレンタルDVDで映画「歩いても歩いても」を見た。YOUは「誰も知らない」でも感じたけれど、重さや暗さをするりするりとやり過ごすという役柄で、実にぴったりのウィットを持っていると思う。

 さて昨日見た野村仁展のことがまだ頭をだいぶん支配している。電話ボックスという作画意図に縛られない街角のスポットに限定してそこから見える風景を写真に残したシリーズは、私が車窓から駅に止まるたびにそこに現れた風景を撮ろうとした気持ちに似ていると思ったので共感が湧いたのだが、しかし野村の写真がこれまたすごく味があってとても不思議だ。もちろんそういう偶然性に作画を委ねているのだから、そこにはただのブロック塀とかしか写っていないもの(要するに普通では「つまらない写真」となりがちの写真)もあるのだが、一方でその写真を見る方は、白黒であることや像のにじみ具合、などから、一般的に古い写真の持つ特徴を感じていてそれが(野村は期待していない)時間経過を鑑賞者に感じさせ、はからずも多くの古い写真を見るとき同様に、鑑賞者はそこにプライベートな記憶を刺激させられる何かを感じているのではないか、などと思ったりしていた。
 しかし、そこでふむふむそういうことか、と終わればよいのに、いや待てよそうは言ってもブロック塀の写真を私はときどき撮っていて・・・とまたぞろ考えが振り出しに戻るのであります。。。