惜しいと思える差


 写真は先週の日曜日にフイルムで撮った中から。上の写真は鳥浜の駅近くのグラウンドで、日曜日の試合だか練習だかが終わって、とんぼでグラウンド整備をしていたところを歩道橋から一枚撮ったのだが、例によってカメラには25mmが付いていて、でも外付けファインダーがないから画角は35mm枠からカメラを左右上下に振っての推測で決めるといういい加減さ。でも、面白いなあ、とコンデジでノーファインダー撮影をするときにも思うのだが、ちゃんと写る範囲をファインダーで確認して撮った写真と比べて、なかなかに面白い写真が写っている確率が、意外なまでに高い。もちろんこれは、私が、例えば上の写真の画面下に中途半端かもしれない風に写っている二人の頭のあるこんな写真を気に入るという、好みの尺度があるからで、一般的には、というか、予定調和的ルールに従えば、この写真はやはり失敗写真と分類されるのだろうが・・・。
 フイルムで撮って、DP店でフイルム現像だけしてもらい、家のフラットベッドスキャナーのお手軽なフイルムスキャン機能で読んでいるのだが、そうした作業の結果としてPCモニターに画像が表示されたその瞬間に、おぉ、なかなかにいいんじゃないの!と嬉しくなっている今日この頃。それはデジカメに比べて、解像度(1200dpiで読んでいる)もラチチュードも色再現も劣化してしまうその工程のせいなのか。いや、それともオールドレンズの写りがそのまま影響しているのか、いずれにせよ、所謂数値的な科学的な高画質とは違うところでの、(流行のトイカメラ風なのかもしれない)その感じに、惹かれている。
 よく「気に入った写真が撮れないときにはワイドを使ってスナップすればなんだかいい写真が撮れた気分になれる(けど、実際はそうではなくてレンズのマジックだから要注意)」と、昔の写真部では言われていたが、それと同様で、こんなのはなんか雰囲気的なものに惑わされているだけかもしれない、とも思うのだった。
 と警鐘を鳴らしつつも、一年数ヶ月振りの「フイルムの季節」は今のところ楽しい。 



 日本0-1オランダ。
 惜しいと思える内容だったが、決定的チャンスの差から言えば、どれをそれとカウントするかは専門家でないから判らないけれど、自信がないものの挙げるとすれば、例えば「岡崎の少し上にはずれた一回」対「川嶋の好セーヴの二回と実際に点が入った一回の計三回」の1-3くらいで、その程度の実力差があるチームが、勝てる確率って、どういう式を立てれば妥当か、考えるのも難しいが、直感的に、引き分けが五回に一回、勝てるのが十五回に一回くらいはあるとして良いのかな?
 と考えると結果は妥当だけれど、少なくとも「惜しい」とか「勝てるチャンスもあった」とか「引き分けは運次第では十分ありえた」とかは思える内容で、楽しめた。
 十五回に一回とか書くと、もっと伯仲していた!もう一度やれば勝てる!と思う人ももちろんいるだろうし、私ももしかしたらそうかな?とも思わない訳ではないが。。。
 中学や高校のときに授業で、当てられるといやだなあと思っているときに当ってしまい、しどろもどろになり先生に怒られた、という経験って多くの人にあるのではないのかな?クラスって大抵35人から40人くらいはいたから、そのときの当る確率は教師が誰を当てるかが完全に無作為的抽出であったのだとすると、三十五分の一とか四十分の一だったわけで、それでも当てられたこっちは、しょっちゅう「運悪く」当っていたという記憶になっている。
 そう考えると、五分の一とか十五分の一というのは、結構な高い確率であり、特に応援しているこっちから見ると本当に「惜しかった!」と思える。岡田監督はオシムと違って、カリスマ性というのか、なにか、選手もマスコミもその気にさせる上手さみたいなところはない訳だが、98年のワールドカップでも全敗したものの、アルゼンチンやクロアチアに「惜しい」と思わせる試合を仕掛けたし、そのあたりはいかにも理詰めで確率を取って行くような、策士であるようにも感じる。もちろん三試合を通じてなんとか二位通過を果たしたいというのがそもそもの狙いなのだから、今日の敗戦はよしとして(何かを測るためのデータとして生かして)デンマークとの試合に向けて準備をして欲しいと思います。