北東の風


最近は自転車に乗っていないな。マンションの駐輪場には屋根があるが、ひと月も、あるいはもっと置きっぱなしにしているし、土曜日には自転車にも風に乗って吹き込んだ雪を被っただろうから、すっかり汚れてしまっているに違いない。
今日の火曜日、建国記念日の休日は、晴れのち曇りの予報。予定としては、母の様子を見に行くことだけで、では、久し振りに自転車に乗って、片道は五キロか六キロくらいだろうか、途中で渡る相模川の、東岸河川敷の、壊れた車が積んであったり、クルーザーが置かれていたり、打ち捨てられた舟が冬枯れの葦だか茅だかそんな植物が薄茶になってあるブッシュに埋もれていたり、そのあたりは勿論未舗装で、だから水溜まりがあったり、日の射さない道端に雪が残っていたり、太くトラックやショベルカーなんかの轍がくっきりと刻まれ、雪解け水が勢いよく流れる相模川の川っ縁に掘っ立て小屋とも呼べないような、柱に釘でトタンの屋根だけが打ち付けられただけの待ち合い場があり、たぶんジェットスキーを楽しむ人が順番待ちするときや一休みするときにその下で陽射しを避けたり雨を避けたりするのか、粗大ごみに捨てられたような椅子やソファーがその屋根の下、直接地面に置かれていたり、そういう土臭いというか殺伐というか、素っ気ないというか、飾り気のない、荒れ地とは違うだろうが、いかにも河川敷の風景があるあたりに寄り道して、写真を撮ったりしながら、行こうという案を思いつき、実行した。
 数日前、BSのどこかのチャンネルで、映画「大脱走」をやっていて後半の一時間だけを見た。小学生の頃には毎日のように9時から11時または、10時半までのゴールデンタイムの映画番組が各局順番で放送されていた。×曜ロードショーとか×曜映画劇場とか、×が月火水木・・・のどれだったかまでは覚えていないけれど。映画の最初と最後に、映画評論家が出てきて解説したり感想を言ったりしていた。淀川さんも荻昌弘さんも小森のおばちゃまも皆もう故人だろう。このテレビの映画番組は、基本は日本語吹き替えだった。アラン・ドロンの吹き替えは野沢那智で、アラン・ドロンの本当の声は聞いたことがなくていつも野沢那智の声で日本語を話していた。ゴールデンタイムの映画番組が特番ではなく毎週ちゃんと放送されていたのはいつ頃までだったのか?あるいは、今もある?小学生の五年か六年のころ、クラスには洋画にめざめた子供が出始めて、昨日の「大脱走」見た?、と話が始まるのだった。数日前に見た「大脱走」は、私が小中学生だった当時のままの?吹き替え版だったから、たとえば、TSUTAYAで借りてきたDVDで映画を観るのと違っていて、吹き替えテレビ版らしくオリジナルから少しお茶の間向きに変容した映画になっていて、それはそれで懐かしい。懐かしさを味わうなら、コマーシャル中に慌ててトイレに行くのもその一つだ。そのあとに登場する家庭用VHSデッキには、今のHDDやDVDデッキにもその機能はあるのかな、CM自動カットなんて機能があった。映画を録画するのになかなか良い機能だった。1980年頃、VHSの120分テープは一本2000円くらいしていた。その価格はどんどん下がって、テープからディスクに取って変わられるころはその十分の一か二十分の一になってたような。せっせと録画していた頃には数百本のテープが家の中にはびこっていた。いつの頃からか、テレビの洋画も吹き替えから字幕に変わったかもしれないな。いや、ゴールデンタイムのお茶の間向けが吹き替えで残って、深夜やBSの映画ファン向けの番組が字幕?そのあたりは覚えていないなあ。第一、最近のたまにやるゴールデンタイムの映画が、字幕なのか吹き替えなのかも知らないし。
 と、話がずーっと脱線して、何がこの文章の主たることなのかわからなくなってしまったが、その「大脱走」でジェームス・コバーン扮する脱走兵が自転車を飄々と漕いで逃げていく場面がある。背筋をスッと伸ばして。もしかしたらその場面を見たことが、日曜の今日に自転車に乗っていこうと思わせた一因かもしれないと思うのだ。
 いま、冬期オリンピック中だが、札幌大会でいわゆる日の丸飛行隊の、笠谷、今野、青地選手たちがメダルを独占した翌日の学校の教室や廊下で、私は中学一年生だったと思うけど、男子生徒たちはみんなスキージャンプの真似をしたものだ。休み時間に。真っ直ぐ立ったところからどこまで前傾出来るか、がポイント。あとはテレマーク姿勢の真似。
 なんだかなぁ、テレビの映画でジェームス・コバーンの自転車を漕ぐ姿を観たから自転車に乗りたくなるなんて、この中学生のスキージャンプの形態模写と同レベルだな。
 スキージャンプといえば、あの頃はノーマルヒルは70m級、ラージヒルは90m級と言っていて、スキー板は今みたいにV字に開かずにピッタリとくっつけて飛んでいた。
 また話が飛ぶけど日曜日の午後二時前に東京オリンピックのときの男子サッカー日本対アルゼンチンの、懐かしの映像が放送されていた。釜本が左サイドからセンタリングして、確か川淵が決めたり。その時の実況放送のアナウンサーの話を聞いていると、クロスバーとかコーナーキックなどサッカーの用語は今と同じ単語だった。あたりまえか。いまは、なにか反則で笛が吹かれるとアナウンサーや解説者は、ファールとだけ言うことが多いが、その放送では律儀に、中学の体育の教科書で習ったような、キッキングとかトリッピングとかホールディングとかプッシングとか(これらはいま調べたのだが)、ファールの種類をアナウンサーが見極めて言っているのでこれはちょっと驚いた。いや、もしかしたら当時のアナウンサーがみんなそうだったのではなく、たまたまこの試合を解説したアナウンサーがそうだっただけなのかもしれないが。さらに、びっくりしたのは、ボールではなく、球(たま)と言っていることだった。ずっと球だったのか、ときにはボールとも言っていたのかまでは、注意して見て(聞いて)いなかったけれど。いや、こう書くとちょっと自信がなくなるな。もしかして今も「ぶれだま」とか言うから、そうであるなら「球をつなぐ」とか「球をスペースに出す」とか「球を思い切って蹴る」とか言っていたっけか?例えばサッカーの中継アナウンサーが「球をいまゴールキーパーが大きく蹴り上げました。球は、あ、日本が奪いました。そしてE選手からサイドを一気に駆け上がってきたU選手に球をつなぎます。ドリブルで球を運ぶ。スライディングタックルが来ましたが。いま、上手にそれを避けると、二度三度とフェイントをかけた。そしてセンタリング。球はゴールキーパーの頭の上を越えて、遠いサイドに構えるN選手につながり、いま球をそのまま蹴りこみます」といったようには言ってないよね?もちろんこれだって、当時はみんなそうだったのではなく、ただ、このアナウンサーの癖かもしれない。
 えっとこれは脱線の脱線でした。
 それで、自転車に乗って、首から40mmのパンケーキレンズを付けたカメラをぶらさげ、ニット帽を目深に被り、マフラーをぐるぐる巻き、ダウンジャンパーを着て、指先だけがちょっとだけ出るカメラマン用の手袋をして、財布や本やらは背中にしょったデイバックに入れて、走り出した。や、その前に、案の定汚れていたフレームをウェスで拭いて、ついでにチェーンにオイルをさしたのだった。
 走り出したら覚悟していたように寒かったけれど、漕いでいるとすぐに身体があたたまり、寒さは平気になった。晴れていて、相模川河川敷では、予定通り写真を撮った。そうでした、河川敷には野球場があるものなのだった。
 しかし帰り(14時半ころ平塚から茅ヶ崎へ)は参りました。北風、正確には北東から強い風が吹いてきていた。それでずーっと向かい風になっている。ジェームス・コバーンのように背筋を伸ばして飄々と、かつ安定したスピードで自転車を漕ぎ続けることなどとてもできなくなった。少しでも向かい風をよけるために前傾姿勢になって、のろのろと。少しの上り坂も重くて重くて、降りて押してしまったり。
 太ももが痛い。