東京通過


 車窓写真も撮った枚数からするともうマンネリ化しても甚だしいほどの異常な枚数になるのだろうが、それでも撮ってしまうのは、ほとんどのというか、全部の駒が満足な写真に至らない感じがぬぐえずに「卒業できない」感があるのだろうか。幻の魚を釣ることを夢見て何十年も通い続ける釣り師、というようなのがきっと釣り趣味の人の話題には少なからずあるような気がする。しかしそこには伝説なのかもしれないにせよ釣りたい対象となっている具体的な目標があるのかもしれず。車窓写真の目標はよく判らないが、とにかくまだそれ相応の駒が写らない気がする。