初雪 関東平野


雪が降る、と言う予報にもかかわらず、降らないだろうとたかを括るのは、予報が外れたことが何度もあったからで、予報が当たったことの方が多くても、外れたことの方がずっと覚えているから、そうなる。予想外の方が、驚くのは当たり前か。予想外が、喜怒哀楽のどの感情を揺さぶるのかはそれぞれの出来事次第だが、驚いたことの方が覚えている。そんなわけで雪なんか降らないとたかをくくるのか。
天気予報が、雪にはならないでしょう、と言っていたら、もしかしたら雪になるんじゃないか、なんて思ったのかな。映画「の・ようなもの」、80年代に制作された故・森田監督のメジャーデビュー作のなかで、団地のイベント企画を若手の落語家たちと自治会が考える。団地内のケーブルテレビで宣伝をし、当たった人はスーパーの割引がもらえる明日の天気予想クイズを企画し、青空寄席に集客すると言う仕掛けと決まり、これがうまく行くと言う話の展開がある。このあと団地に住む落研の女子高生と若手落語家の恋話に発展していく。
その天気予想は、可能性の低い天気になって、それを当てた場合はスーパーの割引率が高い。右往左往する人達の場面が挿入されているなかに、白衣を着た若い男、ちょっと病的で人付き合いが少なそうな男が、屋上に望遠鏡を据えて空を見たあとに、明日は雪だ、と呟く場面があった。書き忘れたがこの団地イベントは春だったか秋だったか、少なくとも雪など降らない季節のことなのだ。
雪の予想が外れてしょんぼりする男に、なぜか彼には似合わない感じの 美人の恋人が、内心は怒っているのを装う風にヨーヨーかなんかを弄りながら、外れたのはしょうがない、大事なのはプロセスよね、と呟く。
あの映画はこんな、ちょっと面白い人たちのやらかすエピソードを小気味良く繋ぎながら成り立っている。その小さな場面のいちいちに軽みがあって、しらけない。いろんな分野の、後に大御所になった人たちの、デビュー作品だけが持っている瑞々しさがそこに息づいていた。
昨年か一昨年か、このデビュー作の30年後と言う設定で、森田芳光監督へのオマージュとして「の・ようなもの のようなもの」(・の有無とかは違ってるかも)がデビュー作の出演者に加え、後年の森田作品に出演していた松山ケンイチ北川景子を迎えて作られた。そのDVDを借りてきて見た。これはリスペクトの結果の映画だったな。「の・ようなもの」を当時見た私にとっては心暖まる佳作。小さなエピソードはその軽さや瑞々しさではどれひとつとして「の・ようなもの」を越えていない。まるで越えてはならない不文律があるように。でも、若者を主人公にした「の・ようなもの」と、彼等の30年後を描いた新作を比べてもしょうがない。まさにこの二作のように、人は瑞々しさや軽さを失うかわりに、別のなにかを、良い言葉なら思いやりとか?悪い方なら投げやりとか?まとうのだから。
長々と書いたけれど、雪など降らないとたかをくくっていたら雪が降って、こんな昔の映画の場面を思い出したってだけです。
写真は東北新幹線車窓から。東北新幹線に二階建てMaxが使われなくなって数年、二階の窓側に座れたときにはしょっちゅう写真を撮ったものだった。防音壁で視界が切られるので一階からだと写真を撮らなくなった。これも下半分は防音壁が写っていたから、たくさんトリミングしてます。