夕焼け


 ときに絶景風景が日常のなかに現れても、ふんそんなものか、と言ってちらっと見るだけである。大事なのはいつもの日常のなにも変わらないと思っている、だけど実際には「年」の単位では儚く変わってしまっている、そういう目の前の光景なのである。
 と言うようなことをいま生きていれば九十五歳くらいになる某大御所小説家が随筆に書いていた・・・ような気がするが、はっきり覚えてないから「某」としか書けないです。
 私は、ふんそんなものか、などと悠然としておられず、会社の帰り道、バスの中でこの夕焼けに気が付くと、これは今鞄の中にあるコンデジではなく望遠で切り取らねばと思い、夕焼けが燃えるのは意外に短い時間だと知っているから、気が急いて、カメラカメラカメラカメラと言いながら家に駆けこんだのだった。
家のベランダ、もしくは私の住むマンションのより上階の廊下からだと、富士山のすぐ右側に近隣のマンションが被ってくるのでそれを避けると、これしか撮りようがない。かといってほかにより良い撮影場所もない。
いや、マンションや電線や電信柱や家々の屋根を影絵にした有りのままのここからの景色を良しとせずにこうして着飾ったような写真を作ることをしてしまう。
一方でこういう一連の行為を、覚めて、呆れているような心持ちの私がいる。