リヒテルのガーシュウィン

リヒテルが弾くガーシュウィンのピアノ協奏曲がHAENSSLERから出ました。このCDについて「こんなのジャズじゃない」という非難の声が一部から寄せられているようで、それも一見もっともなのですが、当のリヒテルはこんなことをいっていたとご紹介しておきましょう。


『(ドビュッシーエチュード)第十二番を弾くときの私は、今やジャズ・ピアニストだ。なかなかのものだよ!』*1

たぶん、ガーシュウィンを弾いているときの自分も、なかなかのジャズ・ピアニストだと思っていたのではないでしょうか(笑)

聴いてみると、まあたしかにリズムが軽快だとは口が裂けてもいえませんが、重苦しいほどでもない。年老いたリヒテルのピアノは良くも悪くも脂っけが抜けていたので、それが功を奏しているかもしれませんね。少なくとも、当人は愉しんで弾いているのが聴き手にも伝わってきます。指揮のエッシェンバッハについてもあまり評判はよくないようですが、たとえばコステラネッツとリヒテルが共演するよりはよほど相性がよかったのでは、と思えば、非難するには当たらないような気も(笑)

この曲はどうしてもリヒテルで聴くべき、とまではさすがにいえないかもしれませんが、実はリヒテルの演奏を聴いてからというもの、他の演奏ではどうしても二楽章に満足できなくなってしまいました。たとえばINAのサイトで聴くことができるワイエンベルグ/デルヴォー/フランス国立放送管のライヴがそう。薄っぺらく、ただ単に雰囲気的であるにすぎない音楽――ジャズとしてはそれで十分なのかもしれませんし、両端楽章はなかなかいい出来だと思うのですが、わたしとしてはずっしりした手ごたえを感じさせるリヒテルの呪縛を甘受しようと思います。

ちなみに、カップリング曲のエジプト風も、コンドラシンとのスタジオ録音よりいい出来ではないかと。

*1:ユーリー・ボリソフ『リヒテルは語る』、二五三頁

あけましておめでとうございます

昨年の聴きおさめはエネスコの無伴奏、新年の聴き初めはチェリビダッケ/フランス国立放送管のヨハン・シュトラウスでした――ハイ、相変わらずでございます。こんな調子で、更新のペースもあまり上がらないと思いますが、今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、さっそくですがとんでもないものが出ます。

  • ソフロニツキー/スクリャービン博物館録音第七巻

    なんといっても注目は、ソフロニツキーの録音があるだなんて想像だにしなかったプロコフィエフの第七ソナタでしょう。風刺は待望の全五曲揃い踏み、束の間の幻影もけっこうな曲数になります。聴けるのが今から楽しみで楽しみでなりません。

  • ピアソラとロビーラの《シンプレ》が同じ曲にきこえない件

    わたしの酷愛する名ピアニスト、オスバルド・マンシのアルバム《視聴覚のタンゴ》を聴きました。彼のピアノと、ルベン・ルイスのエレキ・ギター、ベニーニョ・キンテーラのコントラバスによるトリオ編成で、十曲中三曲に歌が入っています(エクトル・モラーノ)。録音は一九六六年。*1

    面白いのが曲目で、マンシの自作が四曲あるのは順当として、ピアソラ《アディオス・ノニーノ》《天使のミロンガ》、そして、アルバム《タンゴ・バンガルディア》などで共演したエドゥアルド・ロビーラのコントラプンテアンド》という、ゆかりの深い音楽家の作品が取り上げられています。

    ピアソラのグループにはたびたび呼ばれていたマンシですが、上記二曲を弾いた録音はたしかなかったのではないでしょうか。特に《アディオス・ノニーノ》のピアノ・ソロは泣けてくるよなすばらしさ。好き嫌いでいえば、ゴーシス、アミカレリ、タランティーノ、シーグレル……の誰よりもわたしはこの人のピアノを買いたいです(マンシの演奏でカデンツァも聴きたかったなあ)。

    ちなみにロビーラの楽曲は前掲アルバムにも収録されていたものですが、実はマンシはそこで仲間はずれをくらっていたりします。*2きっと、自分でも弾いてみたかったんでしょうね(笑)

    ……というヨタ話はさておいて、個人的にもっとも注目していたのは自作曲《シンプレ》の演奏です。というのもこの曲、ピアソラ*3とロビーラ*4のふたりにもとりあげられているのですけど、コレが同じ曲をやっているとは到底思えないくらいアレンジが大違いなのです(いずれの演奏でも、ピアノを弾いているのが作曲者のマンシであるにもかかわらず、です)。これはどっちのアレンジがより原作をイジってるんだろう、という疑問がわたしのなかで長らくわだかまっていたのでした。

    今回、自作・「自編」(たぶん)・自演を聴いて分かりました。原曲クラッシャーはピアソラだったのです――

    ロビーラの編曲は、基本的に旋律線やリズム・パターンは原曲どおりですが、ピアソラはというと、一見好き放題とも思われる換骨奪胎ぶり。アグリのヴァイオリン・ソロが歌いまくる長いながーい序奏を聴いただけで何の曲かわかるひとがそうそういるとは思えません。*5一分四十秒すぎに、ようやく聴き覚えのあるフレーズがでてきますがそれも一瞬で、リズム・パターンこそオリジナルに準じているものの、展開はすっかり「ピアソラ風」。じつはよくよく聴くと旋律はたしかに《シンプレ》のそれなのですが、出てきたその瞬間から原型をそれと判断するのが難しいくらいデフォルメしています。

    換骨奪胎もここまで徹底すると、一本とられたというか、開いた口がふさがらないというか……この調子でスタンダード・レパートリーをやられて激怒したタンゲーロの気持ちがちょっとだけ分かるような気もしました(笑)――マンシの自編を知ったうえでピアソラ盤を聴くと、このアレンジのキモが、おそらく、「シンプル」な曲をどれだけ複雑に料理できるか、という一種の悪戯心にあったことがよーく分かるでしょう(ああ、ピアソラのドヤ顔が目に浮かぶようだ……)。

    そして、ロビーラのアレンジのみごとさにはあらためて感心させられました。整然とした三部形式で、スピード感のある主部と瞑想的な中間部のコントラストが鮮やか。七重奏のポテンシャルを出し切った壮麗な響きも、キンテートより大きいフォーメーションになると手を余しがちだったフシのあるピアソラを刮目させるに十分でしょう(笑)。すべての要素が結晶しつくしており、ひとことでいえば、完璧にカッティングされた宝石を思わせる出来です。これと比べてしまうと、さすがにマンシ自らのアレンジも、みごとなピアノ・ソロをきかせんがための「単純」な構成に感じられてしまうかもしれません……

    ところで、ピアソラとロビーラの演奏でもう一曲、まるで違ってきこえるものがあります――オスバルド・タランティーノ《悲しき街》です。作曲家自編を知らないのでなんともいえませんが、これに関しては、ロビーラのほうが改変度(それとも、「脱タンゴ」度とすべき?)高いような気が……ホントはどうなんでしょうね。

    *1:ところで、この復刻CDを聴くかぎりでは、このアルバムのどこがどのように「視覚」に訴えかけるのか、わたしにはわかりませなんだ(^^;

    *2:バンドネオン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五重奏による演奏。

    *3:《われらの時代》所収、キンテート編成による演奏、一九六二年。

    *4:《タンゴ・バンガルディア》所収、七重奏による演奏、一九六三年。

    *5:そういえば、ゴジェネチェとのジョイント・リサイタルでも、ピアソラバンドネオン序奏だけだと観客は何の曲かまだ分からず――さんざんおねだりしまくってた《氷雨》なのに!――ゴジェネチェの第一声でそれと知ってキャーキャー歓声をあげていたりしましたっけ……

    APRのコルトー戦後録音第四集

    APRはここ数年にわたってコルトーの戦後録音(なかには貴重な未発表音源も含まれます)を復刻してきましたが、このたび第四集がリリースされました。主に一九五三年から翌年にかけてのテープ録音が収録されています。少々予想外だったのは今回がシリーズ最終巻になるということで、ついに葬送ソナタ(全曲)や子供の情景、交響的練習曲の再録音、再々録音などは復刻されませんでした。集大成的なリリースになることを期待していましたから、その点は惜しまれます。*1

    曲目は以下のとおりです。

    ショパンの第三ソナタのラルゴは、HUNTのディスコグラフィーにも載っていない録音ですが、解説子によれば上記の葬送行進曲と組み合わせてリリースされたものだとか(だとしたらものすごいレア盤なのでは……?)。ほかにリタニーとハンガリー狂詩曲がCD初出だそうですが、それらは同時期に録音された同曲異演があるのであまり目新しさは感じられないというのが正直なところではあります。

    期待のラルゴは、ときに少々イージーゴーイングな感じがするのが惜しいです(たとえば、対位法的な動きをする場面で表情に乏しい左手の動き)。どことなく、先だって聴いた一九五七年録音のバラードを想起させる出来でした。葬送ソナタ前奏曲集のようにすっかり手の内に収まっている十八番との差は歴然で、とくにこの曲は、コルトーにとって最後まで「遠い」音楽だったのかな――と感じます。*3

    音質は、近頃のAPR特有の安直なフィルタリングに害されたぼやけた響きでとうてい感心できませんが、謝肉祭だけは例外的にスッキリした音です。音源は(ALP 1142)との記載ですが、それにしてはサーフェイス・ノイズがまったく乗っていないので、ひょっとすると既出CDをいじったものではないかしらん……しかし結果からいえば、いささかドライな響きのG○シリーズよりむしろ雰囲気があって聴きやすい音に仕上がっていると感じました。『二十世紀の名ピアニスト』シリーズ第一集のUK盤初版に収められたものより音色が自然ですし。これは悪くありません。*4

    最後になりましたが、ライナーノートに掲載されたレコーディング・データはいつもながら詳細で、これのために買ったと思っても惜しくない出来です。例によってHUNT版と食いちがった記述が散見されますのでこれからじっくり比較検討してゆきたいところ。

    *1:コレと第二集しか入手していないわたしがいうのも何ですが……

    *2:これは同時期の全曲録音と別テイクなのかどうか、不明。

    *3:二種類ある戦前のSP録音もあまり良い出来とはいえませなんだ。

    *4:できれば交響的練習曲もこの音で出してほしかったなあ。

    人気と実力の不相関について

    タワーレコードから復刻された、ホルショフスキのNONESUCH録音集成を聴きました。このピアニストがカザルス・ホールのオープニング・コンサートのために来日してベーム以来の熱狂を引き起こした一九八七年前後、年齢でいえば九十四歳から九十八歳にかけてのスタジオ録音です。

    何しろトシがトシなので粗探しするような聴き方はふさわしくない。そりゃあ重々承知の上ですが、正直に申し上げれば、「ま、こんなもんか」というのが第一印象でした。すくなくともホルショフスキのピアノは、聴いていて演奏家の年齢など忘れさせてくれるようなものではありません(最晩年のプランテやザウアーがそうであったようには)。

    ケチをつけるつもりはありませんが、このホルショフスキの演奏にそこまでアツくなれるのであれば、プランテやザウアーはいわずもがな、ここで取り上げられているのと同じモーツァルトニ短調幻想曲とソナタの第十七番をほぼ同じ年回りで弾いているヴァルマレート(ARBITER)などはホルショフスキよりはるかに高く評価されなくてはならなかったはずだとわたしは思うのですが、事実はさにあらず……

    ヴァント、ケルン放送響のブルックナー/交響曲全集

    ふだんはあまり聴かないヴァントですが、馬鹿みたいな廉価に思わずポチってしまいました(^^;

    六十代と、指揮者としてはまだこれからという時期の演奏ということもあってかスケール感は控えめですが、いくら強奏してもまったく雑味がまじらないブラスのユニゾンの響きひとつとってもこの指揮者の尋常ならざるオケのしごきっぷりが目に浮かぶようで、九十年代以降の、(いまにして思えば)出来不出来の激しい晩年の演奏だけを聴いていては見えてこなかった、職人指揮者としてのヴァントの姿がそこにはあります。

    この芸風は、どこか芥川の小説をわたしに想起させます――よくできていて感心するけど、必ずしも感動はしない――それでも、第二や第五はこじんまりとしたなりに曲のよさが素直に伝わってきて、なかなか良かったです。とくに前者のフィナーレの軽やかな歩みなど、自分のアタマのなかで凝り固まりかけていたブルックナー像の重厚さを良い意味で裏切ってくれて新鮮でした。一方で第三交響曲は、上記二曲と基本的にはなにも変わっていない演奏のはずですが、聴いていてどうも食い足りない。これはどうしてかしらん。

    それと、第一交響曲のウィーン版を聴くのは今回がはじめてだった*1のですが、まるでシャルクかレーヴェの改訂版みたいにゴテゴテした異様なひびきでビックリしました(ブルックナー本人が手がけた改稿のはずなのに……)。どうりで、たいていの指揮者はリンツ版で振るわけだ、と納得した次第。*2

    ただ、考えようによっては、「改竄版」として頭ごなしに否定されがちな門弟のアレンジも、実はこのウィーン版の線でなしとげられた「オーセンティック」な仕事だったのだ、とみなすことができそうではあります。

    *1:これのためにCD九枚のセットを買ったようなもの、といっても過言ではなかったりして……!?

    *2:ヴァントは第一交響曲を「病的だ」といってこの録音以降はとりあげようとしなかったそうですが、それはあんたがウィーン版にこだわるからじゃないの、と思ったり思わなかったり。

    届きました!

    やっと手元に到着しました、フランソワ箱*1最近はCD十枚のボックス・セットなどごく当たり前のように出ているのでそれくらいでは驚きもしませんが、さすがに三十六枚分のズシっとくる重みにはシビれますねえ……カラスの七十枚組以来でしょうか(^^ ;

    もひとつ唖然としたのが、



    L'EDITION INTEGRALE
    THE COMPLETE RECORDINGS
    サンソン・フランソワ EMI録音全集




    というマルチリンガル仕様の背表紙。フランス本国はともかく、欧米諸国ではあの芸風が必ずしも広く受け入れられているとも思えないフランソワだけに、日本を大マーケットとして当てこんでいるEMIの皮算用が透けて見えるかのようです(笑)



    ……しかしながら、その気持ち、ありがたいといやあありがたいのですが、正直、妙に安っぽく感じられてならないのはわたしだけでしょうか!?



    そしてきわめつきの大ショックが、リブレット所載の写真にうつる、(白黒写真だからかもしれませんが)アニマル・プリント柄にしか見えないジャケット姿のフランソワだったりします。大阪のおばちゃんかよ、と(^^;



    ……まあ、そういったことも含めて、全体としてはとてもありがたい企画なのですが、このセット、ちょっとした細部にガッカリ感がただよいます(アニマル柄に関しては、わたしが勝手に「こんなの見たくなかったなあ……」と思ってるだけですが)。どういうわけか仏EMIの八枚組CDに収録されていたインタビューが割愛されているのも納得しがたいし、例のデビュー録音のスカルボ(→cf.)にいたっては、相変わらず冒頭の数小節が欠落したままです。ま、わたしとしてはその辺はわりきって、これからじっくり初出ライヴ音源など堪能させてもらうこととしますが、それにしてもツメが甘いんじゃあないですかい?>EMI



    *1:リンク先の紹介ではモーツァルトイ長調協奏曲のライヴ録音が入っているかのように書かれていますが、既報のとおり、これは残念ながら収録されていません。