相対性理論

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40代独身「無理をしてでも子供は作れ。人生のパートナーを見つけろ。40代から本当の地獄が始まるぞ」
1 名前: アルゼンチンバックブリーカー(庭):2013/10/25(金) 15:23:18.00 id:HvVse9yi0
さっき久しぶりに泣いた。悲しかった訳では、なくただ空しくて泣いた。

両親は10年前に交通事故で他界。妹はとうの昔に東北の田舎に嫁いだ。親戚付き合いは無い。はっきり言って天涯孤独。

今日は仕事が早く終わり松屋で早めの夕飯を終えてTUTAYAでDVD借りて映画見てた。見ながら少し寝てしまい起きた時は深夜0時。小腹が空いたのでコンビニにおでんと日本酒まるを買いにいったんだけど、むなしすぎる。

なんというか悲惨。自分が悲惨すぎて泣けてきたんだよ。正直結婚とか興味は無く、別に生涯一人で生きていこうと思っていた。でもやっぱり無理かも。こんな糞みたいな日常があと40年も続くと思うと絶望しかない。

結婚して子供いるやつが偉いとは思わないが、やっぱり次の代に血を繋ぐという事はすごく大事で必要な事だと思う。そうしないと人類が滅びる。そういう観点から見ると俺は世間から全く必要とされていない存在だ。
死ぬまでの人生を生きているだけ。地球にとって無駄でしかない。

これを読んでる若者がいるかわからないが、結婚はしておけ。家族を大事にしろ。 無理をしてでも子供は作れ。
一生独身でいいとか言ってるやつ今からお見合いパーティーに参加しろ。人生のパートナーを見つけろ。
40代から本当の地獄が始まるぞ。

週末の休みの予定は無い。こんな日が続くと思うと吐き気がする。どうすればいいんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20131025021240

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相対性理論なんぞと銘打ったが、あのアインシュタイン相対性理論の話ではない。そもそも相対性理論など知らないし興味も無いし、元々理解できる頭を持ち合わせていない。だから相対性理論で検索を掛けてきた方は今すぐに帰って頂きたい。これからおっさんがくだらないことを書く。

つーか、何が言いたいかというと、今その人が身の上で感じているその思いなど、要するに自分が幸福か不幸かなど、そんなことは、その人の過去の行動や過去の思い出等、そして特に現在の周囲の環境に依存されるものなのかと、ね。それで最終的に自身の現状を認識するに当たって、結局天国だの地獄だのと勝手に規定しているに過ぎないと、ね。

要するに、甘ったれなわけだ。勿論私も人のことは言えないがね。

引用した冒頭記事の40代の人は、一体何が不満で自身の置かれた状況を地獄だと規定しているのかサッパリ分からんのですよ。

私はもうすぐ44歳になろうとするおっさんだが、上記冒頭引用記事のような人は或る意味天国じゃないかと思うけどね。冒頭記事の人は若い頃によっぽどイイ思いをしたのか、自身の現状を周囲と比較考量をして結婚している妻子持ちがよほど隣の芝生に思えているのか知らないが、何もすることが無い? 予定が無い? じゃあ何かやればイイじゃんよ。予定が無ければ作ればイイじゃんよ。時間の流れは一定で、それは勿論止めることは出来ないし、過去にも戻ることは出来ない。現状を自分好みにより良く変えて行くしかないのだ。

まぁ尤もかく云う私も、昔を懐かしんでは特に楽しかった小学生時代の頃のこと、1977年〜1979年頃に戻れればどれだけ良いかと思いながら、自身の脳内を1978年に戻して思いに耽っては、たまに有線で流れる昭和の歌謡曲が耳に入るや思わず涙が出そうになったり、昔のドラマを繰り返し観たり、或いは昭和の匂いのする店などに半ばワクワクしながら入って佇んでいたものだが、今はもう全くその気は失せた。ヘドが出るね。

Back to the 1978 などと、どうやってでも1978年に戻してやるなどと強烈な想念を飛ばしたりもして、私は一体何をしていたのか。もう本当にバカとしか言いようが無いのであるが、長年の集スト被害者生活で、まぁやはり精神的に相当参っていたこともあったのだろうか。

今は全くその気は無い。過去に戻ろうとは思わない。
戻そうとも思わない。
現状を受け入れる。全身で受け入れる。
見るもの、聞くもの、触るもの、そして出会う人。
それは紛れも無く「今」なのだ。
「今」を納得しなくてどうするというのだ。

「今」何もしないで、一体いつ「何を」しようというのだ。
「今」何もしようとしない人間が、一体いつ何ができるというのだ。

この肉体、それが朽ち果てる時間は限りが有るにせよ、水や食料は天が与えてくれている。「今」やればいい。面白いことを。自分が心底納得できる「何か」。

物事を相対的に考えるのは重要だ。しかしそれは自身を客観視して改善する方向に持って行って初めてその効力が発揮される。

過去の行状の「これまで」との相対ではない。
未来に起こり得る「これから」でも無い。
周囲と比較した相対的立ち位置など、その人が見ている世界観や感じる価値観など様々なんだから、比較の仕様が無い。

自分が納得出来ること。
それを得る、享受する為に必要なことは、「今」全身全霊で受け止め、礼儀を尽くすということなのだ。