2009-03-16
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現代思想 | |
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いまの書物は二つの視覚メディアがぶつかるインターフェイス。走査線とドットイメージと。ネット上では文字や筆記者は介さないデータの流れ。トマス・ピンチョン。異なるメディアどうし、異なるデータどうしの戦争。(序言より)バロウズ「基本的にはたった一つのゲームしかない。そしてそれは戦争なのだ」267
マクルーハン「あるメディアの内容を形成するのはそのつど別のメディアである」(21)「一つのメディアの内容は常に他のメディアである」(42)
ボルツ「メディアは何が実際に存在するものなのかを決定してしまう」(23)
かつてはアルファベットと楽譜だけが時間を記録できる独裁状態にあった。そこから逸脱した流れは排除されていた。グラマトロジーとの関連。(25)
フーコーの図書館には本しかないという批判。(26〜)知の考古学とはリアルのコード解明であるべき(184)フーコーに見えないものをラカン・フロイトは見ていた。233
1800年には書物が映画であり、かつレコードであった。(35)
複写は物理的な正確性を帯びる。サンボリックな格子から零れ落ちる身体のリアルをとらえているから。メディアとはそもそも幽霊の出現しか伝達しない。ラカン「リアルとは死体という言葉でさえ生易しいもの。」(40)
1837年モールス信号。テーブルを叩く幽霊たち。(40)
ホワイトノイズ。二つの放送局を選局する間のノイズ。リアル。(42)
マラルメ「文学とは26の文字以上でも以下でもない」。サンボリックなものとは物質性を帯び、かつ技術的に処理されうる言語記号のこと。ラカン「サンボリックとは機械の世界だ」(48)イマジネールとは鏡に映った身体の幻想性が元だが、映画の視覚的イリュージョンもその範疇に入る。サンボリックとイマジネールの格子にとらえられない余剰。(48-9)(ジジェク的にはこれらの括りは誤り)
フォノグラフは音を出来事それ自体として記録する。アルファベットと音階の影響を受けない。(62)ノイズが射程に入ったことで音階もまたノイズの一部としてとらえることになった。(68)周波数という概念の登場。(71)
痕跡、原エクリチュールとはグラモフォンの針。記憶を無意識にする。(86)
手回しのスピード操作によって感覚を、リアルを操作できるようになった。(89)
逆回しにすれば新曲が。作家性が消費者側にも。3界の自由な精製(91)
リルケ『始原のざわめき』(1919)。詩が視覚に縛られていることを自覚。五感を引き出す詩こそ詩である。(104)
フォノグラフは主体なきエクリチュールを可能にする。針を闇雲に動かせばそれが音を生むから。冠状縫合を再生するような始原のノイズ、楽譜なき音楽。偶然の所産による響きが記録可能。メディアを通過するたびにノイズやピンぼけの幽霊が現れる。(112)頭蓋骨に針をあてて再生してみてもいいのでは(115)モホリ=ナギ「再生する楽器グラモフォンから創造する楽器へ」(116)(リアルの再生からサンボリックの創造)スクラッチミュージック。
文学はいまやエロティシズムから推測統計学へ、赤い唇からホワイトノイズへと流れ出してしまったのだ。(126)五感のデータの流れを文学という内面空間に書き写しその結果に針をあてて再生する場合愛にすら何の意味もない。原-作家を呼び出し、文学はサウンドへと変容する(145)
電話はディスクール以前の人格以前のざわめき。(139)
ラカンが声とまなざしという論点を持ち出したのには映画と電話の出現が大きな役割。
ザロモ・フリートレンダー『グラモフォンに向かって話すゲーテ』(1916)ゲーテの頭蓋骨に針をあててしゃべらせる話。たとえ死体であってもグラモフォンの前では存在している。(149)微弱な振動として永遠に残り続ける。会話の無限反復が可能に。(175)(ボディアーティスト)
『アンチ・オイディプス』にはメディア論の射程があり、文字メディアの支配に関する記述があった。(170)
リアルの記録によって愛が消えたというのは、愛をまねた線の流れに針をあてるだけで簡単に再生/創造できるノイズに変化したということ。
リアルなものがサンボリックなものの位置を奪ってしまう。(178)(著者は逆の流れを強調していない。依然サンボリックもリアル・イマジネールの位置を奪い続けている。循環する流れに言及しなければ)
ソシュールの音素も音を複製可能にする装置。
フォノグラフは意味から離れた記録、無意識の記録、わずかな徴候、いい間違え、意味不明な単語、音の入れ替わり、うわずり、動揺、不安の記録を可能にする。言葉ににならない声。メディア技術者とフロイトのみが気づいていた。文字は意味から離れがたい。(ところが文字から意味を独立させようとする作家がいる)(214)
精神分析においては無意識の言語が肝要なので、テープレコーダーは書記を駆逐してしまう。232
映画はリアルなものとの接触を拒む。振動そのものではなく、振動の効果を記録する。286(ジジェクの3界理解には反する)
エドガー・モラン「映画の観客はスクリーンを脳と遠隔操作で連結されたうえで外へと裏返された網膜とみなして、それに反応する」292ヴィリリオ『戦争と映画』「映画とは、私は見る、という意味ではなく、私は飛ぶ、ということだ」295(しかし舞台裏を想像することもまたたやすい。その場合舞台裏とはリアルなものであろう)
カメラと銃の類似。映画と戦争の一致。フレームの中に戦争をおさめる。(イメージが象徴(物質性を持ち反復可能、時間を逆行可能なものという意味なら)に)
リーの軍記には多くの誤りがあった。しかしそれを公文書で残すことでリアルとイマジネールを捏造してしまう。主体なきエクリチュール。作者なき文学。もちろんバルト的な脱構築的読解という意味ではない。
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