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ミステリ読みのミステリ知らず

失脚/巫女の死/フリードリヒ・デュレンマット(光文社古典新訳文庫)

ドイツ語圏を代表するスイスの作家、フリードリヒ・デュレンマットを最初に読んだのは、『嫌疑』でもなければ『約束』でもない。大学時代の第二外国語のテキストだった。辞書を引き引き読んだ戯曲『物理学者たち』の無類の面白さに感動し、この作家をもっと読んでみたいと思ったのを覚えている。〈デュレンマット傑作選〉と銘打たれた『失脚/巫女の死』は、そんな懐かしくも鮮明な記憶を甦らせてくれる作品集だ。

平凡な朝が悪夢へと変貌していく「トンネル」に幕をあけ、続く「失脚」は冷戦下とおぼしき某国首脳陣のしのぎを削る権力闘争の模様を、風刺の精神たっぷりに描いてシニカルな笑いを誘う。延べ十五人ものお偉方を、アルファベットで記号化しながらも、そのプロフィルを?寸鉄人を刺す?の精神で描出する筆力は見事で、カリカチュアライズされた人間模様の面白さが抜群。人を喰った結末まで一気に読ませる。

一方、営業のために町から町へと旅する男が、車の故障で立ち寄った一軒家で一夜を過ごす「故障」は、昔読んだ『物理学者たち』の狂騒の世界を思い起こさせる。裁判オタクの老人たちに乞われるまま主人公が被告役を演じる模擬裁判は、やがてその緊張感が飽和状態に達するや、狂気へと越境していく。また最後の「巫女の死」は、ギリシャ悲劇のオイディプス王ミステリ的な興味とパロディ精神で再構築してみせる出色の一篇で、意表をつく解釈の釣瓶打ちは、読者の頬を緩ませること必至だろう。

四編の収録作中の半分が初訳だが、いずれもオールタイム級の傑作選に収録されて不思議のない作品ばかり。ほぼ時を同じくして改めて翻訳紹介された『判事死刑執行人』ともども、ミステリ作家としても再評価のきっかけとなってほしいものだ。

ミステリマガジン2012年10月号]