繰り返し見る・読む・聴くことの価値

「見る・読む・聴くたびに〈発見〉がある」から「再読(再視聴)の価値がある」作品だというような言い方が好きではない。それ(作品)を見る・読む・聴くという体験に含まれるある「こと」が再体験によって立ち上がる(「こと」を再読によって立ち上げる)ことに再読の価値があるのであって、〈発見〉という、体験の不定形に耐えきれずに作品から静的な(死んだ)要素(それは例えば「問い」に代表される)を抽出して作品と等価においてしまう、惰性の翻訳行為のために再読(再視聴)というものがある訳ではない。