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瓦礫の中のゴールデンリング

2017-09-18

えらく仕事が詰まってきて、珍しいことに最近何件か「できません」「無理」と来た依頼を断っています。いやホントに無理だからですが。演出として仕事始めからまりなかった事態です。抱えてる仕事結構無理してますが。カッティング編集)前日の朝に「演出が「もうやりたくない」と降りてしまったのでできませんか?」という制作から電話に「即答はできないけど」と言いつつその日の夜から翌日の朝にかけて40カットばかりのコンテ撮素材と120カットぐらいのレイアウトラフ原画を仮チェックで撮影に出してカッティングに立ち会った僕、凄い偉いと思います。誰もほめてくれないけど。1600秒オーバーの絵コンテ(コンテ時点で5分以上の尺長)のコンテ撮素材(370カット)を1日で作って翌々日7時間以上のカッティングに立ち会うとかもの凄く偉いと思う。誰もほめてくれませんが。

[]あしたのジョーを観た。

あしたのジョー」の実写版映画が何年か前に公開されました。漫画が連載されていた当時も石橋正次主演の映画があったので、2度目です。映画の公開時、ジョー役の山下智久、力石を演じた伊勢谷友介が本物のボクサー並みの身体づくりをしたというのでかなり話題になり、興行的にも成功したようです。

それがこの前CSで放送されていたので、観てみました。

正直に感想一言でいうと「暗い」。山下智久があまりに暗すぎる。というより、最近流行自然体演技というやつでしょうか、乏しい表情でボソボソ喋るだけで、目つきの悪い何考えてんだか判らない矢吹丈が、これまた表情乏しい力石徹とやりあっている印象で、映画全体の雰囲気寒い

矢吹丈は、原作アニメを見るとわかりますが、もっと喜怒哀楽の激しいキャラクターだし、普段は微笑みを浮かべたり、口笛を吹いてたりする。そして、他のちばてつや漫画主人公と同じく、ジョーは空元気でも陽気に振る舞うしかしこの映画ジョーは常にぶすっとしていてほとんど笑顔を見せない。

冒頭、ドヤ街にやってきたジョーは土手に寝っ転がっていて、ジョーの持ち物をくすねようとした子供たちに出会う。帽子を顔において寝たふりをしてるジョーがぼそりと「金なんかねえぞ」というと子供たちは逃げてゆく。ジョーが逃げる子供たちが落していった紙飛行機を投げると、子供たちはそれに気づいて足を止め、CG紙飛行機の飛んでゆく様子に目を奪われる。

シーンが変わるとジョーは、なぜかドヤ街定食屋で、金もないのに(無銭飲食するつもり)子供たちを前にテーブルいっぱいに広げられた料理を食べている。同じ店にいて「酒をおごってくれ」と絡んできた酔っ払い丹下段平(香川照之)が、借金取りのやくざの手先である西たちといざこざになり、騒ぎの中、西が気付かずに紙飛行機を踏みつけたをきっかけに、ジョーやくざたちを叩きのめす。段平は、その喧嘩最中ジョーボクシングやらないか口説くジョー聞く耳を持たず、殴り倒すのに夢中。警察が来ていきなりジョーは捕まってしまう。

この後少年院の話になるわけですが、ジョーはここまで全く笑いを見せません。子供たちは映画最後までジョー応援するのですが、ジョーのどこに惹かれたのかは画面で見る限りわからない。ジョー紙飛行機(ラスト近くにも登場して、ジョー子供たちの関係象徴という扱いだが、ジョー子供たちの関係描写自体希薄なのであまり役に立っていない)を投げただけで、定食屋でも子供たちに飯をおごるでもなく、ただの不愛想なお兄ちゃんにしか見えません。また、原作では、段平がジョーに惚れ込み、ボクサーは体を大事にしなきゃと身を盾にしてやくざからジョーを守る、その後もいうことを訊かないジョー(ジョードヤ街厄介者扱いされながら、子供たちと一緒に詐欺まがいの金集めでドヤ街ユートピアを作ろうとする)を片想い状態ボクサーにしようと踏ん張るという過程があるのですが、全部すっ飛ばしているので、段平がジョーとの関係は非常に希薄なまま、「あしたのために」のハガキを送ってくるし、なぜかジョーハガキを破り捨てた後に熱心に練習を始めることになってしまう。

劇場版アニメの1作目も、ジョー少年院に送られるまでは10分ほどでさらりと流しているが、段平がジョーをかばうとか、逮捕の時は段平がジョーを殴り倒すとかという描写は残っているし、捕まった後ジョーに対する心理テスト性格や生い立ちを示唆するシーンもある。だから観ていてキャラクター関係性格も判りやすい。しかし、この映画ジョーや段平(出っ歯メイクや眼帯、腹巻まで再現している)はコスプレをばっちり決めているが、何を考えているのかわからないし、互いの関係が掴めない。丹下段平はなぜ眼帯をし、ドヤ街で飲んだくれているのか。ジョーはなぜボクシングに夢中になってゆくのか。段平のボクシングへの執着がジョーを巻き込んでゆく、そこを描かないと、物語は始まらない。この導入部がまず決定的に拙い。

少年院での力石徹との出会いも、あまり印象的とは言えない。ジョーが初めて力石と殴り合うのは、原作ではジョー院内嫌がらせ豚小屋掃除をさせられ、豚を利用して脱走しようとするときしかし、映画では少年院食堂理由もなくジョーが暴れ始め、騒ぎになり、力石と対峙することになる。原作の流れを消化しなければならないからかい段取りを省いているのだが、そのため、ジョーはただの暴れん坊にしか見えない。

そして力石もまた笑わない。力石は、この映画最後イメージの中でジョーに向けた笑顔を見せるが、そこまでほとんど笑わない。力石徹も、原作では最初は余裕の微笑みをジョーに向け、次第にライバルとしてのジョーを認める親愛の笑顔を浮かべるようになる。力石はジョーに比べると「大人」で、空元気を振り回すジョーにとっては「越えなければならないが越えられない壁」であり、力石にとってジョーは、うるさいバカからどうしても倒さなければならない相手へと変わってゆき、お互いを認め合う。映画の中にもこの過程は描かれているが、思いっきり薄味。ジョーと力石、そして白木葉子(香里奈)が出会少年院の部分は、互いの生い立ちや境遇価値観を巡る葛藤が、力石戦へとなだれ込んでゆくその後のジョーの方向を決定づけるはずなのに、そこが欠けている。アタマのドヤ街の部分とこの少年院の部分は描写が不足しているし、尺も短すぎる。ここをじっくり書かなくてどうするのだ。

葉子は、この映画の中で一番大胆に設定が変更されているキャラクターで、実はドヤ街孤児院にいて引き取られた養子貧困に対する憎しみを抱いている。映画でも冒頭で閉鎖された孤児院を訪れ、帰りにジョー喧嘩の場面に出くわしている。おまけに、力石が少年院にいた理由も、その葉子の出自を暴こうとした新聞記者を殴ったためということにされている(葉子と力石の関係という意味ではこれはこれでいい)。葉子は憎しみのあまりドヤ街再開発して住民を追い出そうとしているが、ジョードヤ街をどう思っているのかが、さっぱりわからない。二人の間にドヤ街(貧困象徴)の処遇という対立軸を置いてドラマにしようとしているが、ジョードヤ街関係描写希薄なのだ。冒頭で出会った子供たちは最後までジョー応援するし、定食屋夫婦ボクサーとして有名になったジョードヤ街の誇りのように思っている、ようなのだが、ジョーの方はドヤ街特に愛着思い入れを持っているように見えない。最初ドヤ街に来てあっという間に逮捕されるし、その後少年院から戻ってきても段平と西以外の住民とはほとんど会話すらしない。

葉子は原作では最後の方でジョー愛情を抱く自分に気づくのだが、映画は力石戦までで、さすがにホセ・メンドーサ戦までの続編を作る構想もないだろうから、葉子の位置づけが中途半端になりそうで描き方が難しいのはわかる。しかし、葉子とジョーは、違う世界にいる人間からこそ互いに引き立つし、葉子の貧困に対する「憐れみ」こそがジョーの反発を呼ぶのではなかったのか。そして葉子が再開発を進めようとするというのも彼女出自もこの映画には必要だったのだろうか。力石戦の後、葉子はなぜか再開発はやめようと思うと段平に告げるが、理由がわからない。試合後姿を消したジョーの戻る場所を残したい、ということだろうが、これは作り手の都合でしかなく、結局葉子とドヤ街因縁を丸々削っても話は成り立つし、むしろその分尺をドヤ街描写にでも当てた方がよかったんじゃないかとすら思う。

少年院を出た後、力石はボクサーへと復帰、ジョーと西も丹下拳闘クラブ所属プロボクサーになる。原作では(としつこいが)まずプロボクシング連盟が丹下ジムを認めず、ジョープロテストも受けられない。その状況を打開しようとバックステージウルフ金串挑発して殴り倒し、道を開くと同時に遺恨ができてウルフとの試合に行きつくのだが、この映画では、そこはごっそり削られて、ウルフジョー必殺技であるクロスカウンター破りを披露するものの、ライバルの一人という描き方ではない。ウルフはただ、力石戦を回避したい白木ジムの駒として使われる凶暴なボクサー扱い。キャラクター動機の部分がなくされてしまっているので、少年院後のジョーが戦う理由がよくわからない。

力石とジョーに表情が乏しいのは、役者の演技が下手だということもあるが、既にいろいろ書いてきたように、まず脚本演出問題だ。ジョーと対戦するため、減量のために自ら閉じ籠る力石が夜中に耐えられなくなり、外から鍵をかけられたドアをぶち破って水を求めるが、蛇口はすべて針金で縛られている。そこに葉子が現れ、冷たい水をいきなり飲むと体に悪いと思って自分がやったのだと告げ、コップの白湯を渡す。しかし、力石は葉子に感謝しつつも、その白湯を床に捨てて部屋に戻る。原作にもアニメ劇場版にもある有名なシーンだが、我を失い、地獄から戻ってきたような形相の力石が「気持ちだけもらっておきます」と葉子に微笑むという重要なセリフと表情が削られている。なんでだろう。ここは力石のアップが必要だと思うのだが、俯瞰で広角気味に二人を横並びでとらえたショットになっている。

ボクシング描写についていえば、原作クロスカウンター説明がJAROに訴えられそうなくらい無理があったりするのだが、ウルフ金串戦のダブルクロス、トリプルクロスを含めて、漫画的な嘘と折り合いをつけつつ迫力を殺さないようにある程度は上手く描かれている。それでも有効打をほとんど打たずに打たれっぱなしかクロスカウンター一発で大逆転KO勝ちというのを実写で何度も見せられると嘘くさいと感じる。

泪橋は、原作が描かれたころ、既に川が暗渠になっていて、交差点になっていた。橋の下に丹下拳闘クラブがあるというおなじみの風景現実には無理だったようだが、映画ではオープンセットで再現している(少々川幅と橋の長さがありすぎるような気もする)。この泪橋の欄干の傍に一輪のタンポポが生えているという描写がある。ジョーはこのタンポポを見守り、力石戦を回避しようと頼みに来た葉子が気付かずに踏んづけているのを注意する。踏まれても咲いているたくましい生命力ドヤ街ジョーに重ね合わせ、葉子の傲慢さを表しているということだろうが、この泪橋木橋なのだタンポポは確かに環境が少々悪くても生えてくる。アスファルトを割って地面に生えるタンポポというのはよく見るが、土のない場所に生えないだろうし、木材に生えるタンポポ、橋に生えるタンポポというのは見たことがない。大体、タンポポは根っ子がまっすぐ下に伸びて長いのもよく知られているが、この泪橋にはそんな厚みはない。せめて橋のたもとの地面とかならともかく。ラストの方で、力石の墓の傍に盛り土があってタンポポが植えられているのを葉子が見つける。行方不明ジョーが戻ってきて植えたということだろうが、タンポポをどうやって土から引き抜いたんだろう。根っ子を切るとすぐダメになっちゃうのだが。鉢植えで育ててたんでしょうか。

この墓のタンポポ暗喩も、次のシーンでは本当にジョー泪橋に戻ってきてしまうので、必要があったのかどうかすらよくわからない。というか、力石戦後の尺が長すぎる。原作試合後一度も意識回復しないまま死んだはずの力石が、この映画では葉子に自分グラブジョーに託するよう頼むという回想シーンが作られ、その葉子がジョーグラブを預けようとして拒否されるところで、力石の死因(ジョーテンプルへのパンチを食らってロープで強打云々という原作では記者説明する部分)をだらだら無神経に話すというシーンがある。意味がない。二人の対決に懐疑的だった葉子が試合を見て感動し、ジョーグラブを預けようとするぐらいでいいし、力石のロープでの強打は試合のシーンで既にスローモーションで強調されていて、観ればわかる。なぜか全部セリフで説明しようとしているのでやたらと長い。しかもその後、葉子は丹下拳闘クラブに現れて、段平にグラブを預けるので、このシーン、ジョーが去ってゆく背中があれば、葉子は必要ないのだ。

続編は作れないだろうからジョーが帰ってくるシーンを入れるのはわからないではない。力石との戦いで終わってしまっては希望のないラストになる。しかし、アニメ劇場版の「あしたのジョー」は、そこで潔く終わっているのだ。ジョーと力石の因縁がちゃんと深みを持って描かれているから、力石の死に絶叫するジョーで終わっても不自然ではない。それほどにジョーにとって力石という存在は重いはずなのだ。むしろ、なぜ姿を消したジョーが帰ってきたのか、この映画では明確に描かれていないことが気になる。一応伏線的に段平のセリフに対するジョーのアンサーはある。だがそれだけ。ジョーが戻ってこないと話が終わらないから、という作り手の都合に過ぎない。

1980年に公開されたアニメ劇場版は、この映画と同じく、ジョードヤ街に現れて力石戦が終わるまでをまとめている。1970年放映開始のテレビシリーズの再編集で新作部分がないのだが、この実写版よりはるかによくできている。いっそ、脚本そのままで撮ればよかったんじゃないかとすら(それは技術的に不可能だが)思う。

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2017-09-04

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13151499.html

おいおい。スケジュールを設定しない作品は完成しないよ。

逆恨みをいつまで言ってるもんじゃないよ。

スケジュール管理制作仕事であって、実際にスケジュール通りに上がらないということは多いけれど、作ってる人たちがスケジュールなんて設定しなくてもいい、なんて言い出したらお終いだ。製作中の映画の完成、納品の時期は決めてないが、来春公開予定だという。どこの会社が配給してくれるんだそれ。

スケジュールをちゃんと設定しないで製作するのがお金の使い方を効率化するなんて、どうして思えるのか。アニメを作るという「仕事」に日々金は出てゆく。個人事業主であるアニメーターや、協力してくれる会社成果物への報酬で単価で幾らという払いだから日数は関係ない(仕事に使う時間が長くなればそれぞれ損をするし、モチベーションも下がるだろうけど)。が、スタジオを維持すること自体お金はかかる。予算豊富に出してくれる金主がいるならともかく、お金は湧いて出てこないので、スケジュールを作らなくていいなんて制作体制では行き詰まるに決まってる。時間がかかればかかるほどお金は出てゆくし、そんなルーズな感覚クラウドファンディングで得た金を効率的に使うのだ、というのは全く矛盾している。

そして恐らく「「スケジュール至上主義」の崩壊」が来月には見られるというのは、自分が「奪われた」作品企画立案したのだから本人からはそう見えるだろう)の続編が放送されるということだろう。

一言言えば、「スケジュール至上主義」などというものは、アニメ業界にもほかの業界にも存在しない。納期のある仕事にはスケジュールが設定されていて、それで納品を予定通りにできないとなれば、お金問題が発生する。テレビアニメ放送できませんでした(落ちる、というやつ)、となれば制作費の2倍の違約金をスタジオがテレビ局に対して背負うことになる。小規模な会社はそれで潰れるぐらい。深夜枠だとスポンサーが買い取っていることが多いので、落ちて即倒産ということはないにしても、問題にはなる。スケジュールは守って当たり前で、スケジュール表通りにいかないにしてもなんとか間に合わせるのが製作側のプライドだと思う。それは至上主義ではない。ぎりぎり守らないといけないライン約束だ。守るべき約束を設定せずにお金効率的に使うなんてことができるだろうか。

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2017-08-01

監督が某制作会社社長制作プロデューサーと思われる人を「ゴミクソプロデューサー」と自分ブログでこき下ろしている。2年前まで自分経営者だった制作会社を、理不尽要求を突き付けられ金をジャブジャブ使われた挙句崩壊させられ、その「旦那」(アニメーターであり演出家)が結託して製作委員会を騙し、最後には作品自体から追い出された、という。人間として良心があるのかと訴えているが。

ちょうど2年前、僕はこの監督の作っていた映画の後編にパート演出としてかかわっていた。制作が始まってしばらくしてから上記のプロデューサーから知人を通じて連絡があり、依頼された仕事だったが、その時点で監督をチェックから引き剥がさないと作品の完成が危ぶまれるという状況になっていて、何百カット監督の手元には「僕が全部自分でチェックします」とレイアウトが溜め込まれていた。小規模公開の映画はいえ、劇場ブルーレイを売るということもあり、納品は早めに設定されていた。

プロデューサーが好き勝手にジャブジャブ金を使ったと監督氏は書いているが、元々お金管理にはすごく厳しい人で、多くの仕事赤字を出さない人だ。また、カット数を減らせという要求をされたとのことだが、制作期間と予算問題だろうから、金をジャブジャブ使うというのとは矛盾する。カット数が減れば手間が減り、使う金も減る。尤も、演出パートを分けたのでその分演出料は支出が増えただろうが、それでも全体の予算から見れば、大した額じゃないはずだ。「旦那」氏は、社内作画アドバイスなどをやっていたと思うが、その時の映画には直接クレジットもないし、製作委員会に関わったわけでもない。妻であるプロデューサー相談には乗っていたと思うが、結託して騙す、というレベルの話ではない。

ゴミクソプロデューサー」の手腕がなければ公開に間に合ったかも怪しかったのに、ものすごい被害者意識にびっくりさせられる。

演出監督というのは、いろいろな部署に打ち合わせで指示を出し、それをその通りになっているかを全カットチェックするという責任範囲も広いし、手抜きや粗い仕事、遅滞があれば信用を失くす。だからこそ適切なスピードと丁寧さが必要な信用商売で、失敗(自体はよくあることだとして)した時にそこを反省して更新できない人は「裸の王様」となってしまう。演出に対する批判悪口というような意味ではない)は制作プロデューサー)が担うものだし、それを「ゴミクソ」と罵るより先にすることがあると思う。

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2017-07-30 終わった。

今年最初の納品が終わった。今年始まって半年以上経ってるし…。あと10日くらいで次の納品が来る予定。仕事してるんだかしてないんだか判りませんな。

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2017-07-29

いくつか無理ゲーを吹っ掛けられてどうすりゃいいの?とか思ってます。なんもできんよそれじゃ。

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2017-07-21 論理と感性について。

いくつかの仕事が山場を迎え、夏の暑さの中ぐったりしながら続けています。継続は力なり、という諺?がありますが、続けることが即力になるという意味ではなくて、続けることで最適解を見つけ出してゆく、それが力になるという意味だと思っています。最適解を見つけ出すというのはいろいろ取捨選択して何が有効で何が無駄なのかということを試しながら探ってゆくことで、必ずしもそこに到達しないかもしれない。そこで失敗したにしてもではどうすればよかったのかを考えるなら、次はもっと上手くなるんだと思えるなら、失敗も糧になるだろうと、職業的はいろんな失敗を重ねている僕にも思える。既に年数としては多分「中堅」と呼ばれるくらいの期間仕事をしてきたけれども、見る人が見れば弱点や欠点というのはすぐに見えてしまう。それを直接でなくても突き付けられる機会はやはり必要で、特に歳を食ってきたからこそと思う。

演出というのは直感でやるものではなくて、論理を組み立てながら進めていくものです。どんな複雑に見える仕事でも単純作業を組み合わせながら進んでゆくことに変わりはない。演出というのも論理の積み重ねで成り立っていて、選択の末に最後にどちらを選んでもいいがどっちを選ぶかというときに初めて感性の出番が来る。逆に言うと、直感論理によって分解し再構築し、最後に残ったもの自分感性を使う。感性を持たない人間存在しないし、誰もが持つものなので、重要なのはその手前の論理だと思っている。で、その自分論理の作り方が最近甘いと感じるようになった。手癖で仕事してるような感じ。仕事を続けるには、論理更新してゆかなくちゃいけないと。

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2017-07-13 口と手と。

仕事は口を動かすことと手を動かすことに大きく分かれている。

口を動かすのは打ち合わせで、手を動かすのはチェック。仕事としてどっちが楽しいかというと、1秒たりとも働きたくないという本音は置いといて、どっちも楽しいです。曲りなりにも15年、演出を続けられているのはこの仕事であればどこかに楽しさを見出せる、ということだろうと思ってます不思議もので、人間仕事したくない、寝てたい、酒飲みたいとか思ってても実際に仕事するとこの仕事のここは面白いとかいうのが出てきて、自分自分に暗示をかけるというか、詰まんねえ作業だなと思いつつパン屋工場で深夜労働してても印刷会社で紙の送りやっててもハイになってゆく。演出仕事も同じで、もともとアニメを作るのが好きでやっているのが上乗せされて、「この作品面白くない」と思っててもどっか楽しめる部分を探して適応ちゃうのですね。なんとか逃げずに仕事ができる。

で、口と手の作業が分かれていることも重要なんだと思ってます言葉として発してゆくこと中心の打ち合わせと、絵や字を書いてゆくチェックと両方あるから退屈しないし、何とかなってる気がする。

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2017-07-07 僕は君たちよりずっと寛容だと思うよ。

2ちゃんねるの糞演出スレで私、10本同時に仕事やってる自慢したことになってるらしいけど、消してしまったログでもそんなこと言ってないよ。2008年ぐらいかな、35日簡に7本カッティングやったと書いたし、事実だけど、その時だけだし、別に7本同時に作業してたわけでもないです。進捗状況が違うからカッティングが同じ時期でもなんとかなってて(そういう意味での制作的な感性はあると思いますけどね)自慢したくて言ったのでもなく(そう採るならどうぞだが)、単に疲れたというお話です。全く君らは。

改めて書くと、10本も一遍演出同時なんてできません。前に忙しかった当時もそんなことはなかったし、それを自慢してブログに書いてもいません。今はお仕事がなくて建設現場バイトしてた時と違い、5本ぐらいの仕事を抱えてますが、すべてスタートも終わりも違うからできてる話です。演出の僕に制作として10年以上付き合ってくれた人たちが仕事が増えてきてお仕事をくれるようになったという状況だと思います。実際、仕事をくれるのは昔からの付き合いの人です。んでさ、2ちゃんで書いてるお前誰だよ。

仕事については納品の終わったものクレジット名前の出るものはこのブログプロフィールに載せてます名前の出ない仕事もありまして、「コンテ撮素材を演出が作れない(時間がない或いは経験がない)ので作ってくれ」という依頼は時々あってやってます本来演出タイムシートをつけるべきだろうと思いますけどね、打ち合わせもしてない人(僕)に頼むよりは。制作の都合でそういう仕事が振られるのだけれど、ちょっと小遣い稼ぎにやることがあります。糞演出スレに書き込む人たちは大体制作の現役か経験者じゃないかと思いますが、制作の都合でいろんな無茶ぶりをしたりした結果「あいつはザル」みたいな決めつけは僕に対してに限らずしない方がいいんじゃないですかね。

しろダビング前差替えの素材を作ってくれという仕事もありますからね。コンテ撮作った同じ話数でやったりしてて、演出絶対人に渡したくないところだと思うし、なぜそういうことになったのか知りませんが、演出じゃなくて制作問題からね、そういうのは。2ちゃんに書き込んでる制作さんはよほど立派な人たちなんでしょうと思うしかない。

演出として見ていて演出家でこの人はどうか…?という疑いを持つ人が一人もいないとは言いません。監督をしている人でさえいます自分自身にも疑いは持っていますしかしねえ、制作自分に疑いを持つべきだし、糞演出スレに書き込んでる人は憂さ晴らしならそれはそれでだけど、全部本気で言ってるなら「あほ」だと思いますよ。本当に自分を疑いつつ仕事する人はあのスレッドに書き込まないと思ってるしね。

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2017-07-05 熱中時代。

夜、部屋の中で熱中症ぽい状態になり慌てた。今日を命日にするわけにはいかんからな。体は動くし呂律も回る。少し吐き気がして(吐いてはいない)、手に痺れが来た。水分と塩分ポカリ補給して冷房のきいた店に避難して少し休む。どうやら死なずに済んだようだ。やばい

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2017-07-01 眠れない夜。

6月30日の夕方阿佐ヶ谷のスタジオに入って、7月番組ラフ原画チェックをする。50カット。次の日がダビング前差替えなので、朝までに全部出さないといけない、というよくあるシチュエーションをリテイクや仮チェックを含めて乗り切る。寝ずに飯を食って、昼には九段下で別作品のダビング作業立ち合い。夕方に戻って、夜差替えの立ち合い。大きな問題なく進んでくれてよかった。

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2017-06-29 自転車漕ぐの助。

武蔵野方南町阿佐ヶ谷荻窪三鷹あたりを自転車で行き来する日々。もう一つうちの近所も回らんといかんですが。しかも急ぎの仕事で。

今週は阿佐ヶ谷仕事が山場で、明日には目鼻がつく(はず)。

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2017-06-25 がーんばーろー、あかつきのーそらにー。

日曜日ですが仕事せんといかなくて、でも朝起きられず。夕方から阿佐ヶ谷のスタジオに行きました。30カットほどの1シーンのラフ原画をチェック。作品的に二日ほど前からいやな感じの事態になってるらしく、ま、でも頑張ろうかな。

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2017-06-23 ふう。

から一本カッティング編集)を吉祥寺でやって、夜は7時から三鷹演出打ち合わせ。その後方南町で夜中にダビング前の差し替え。狂ったように仕事してるな。

カッティングはコンテの時点で検尺すると尺が4分足りないというあまりない事態で、どうしたものかと思ってたが、アバンを足したりしてあっさり3時間作業終了。早い。

1日の間に3人の監督と話をして、業界情報を得たりしながら淡々と日々は過ぎゆく。

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2017-06-21 あいあむあひーろー。

から吉祥寺のスタジオで金曜日のカッティング編集)用にコンテ撮素材のタイムシートをつける。夕方には終わると思ってた(他のスタジオ回らなきゃあと)のだが結構強敵で夜まで終わらなくて、仕方ないから普段はやらない新しい絵を足すというサービスもやりましたよ。強敵だったというだけではなく、スタジオの共用棚に置いてある「アイアムアヒーロー」の単行本を昨日から通しで読んでしまったというのが作業が進まなかった主な原因です。懺悔します。

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2017-06-17 ていきっといーじー。

昨日は演出打ち合わせを吉祥寺のスタジオでやってて、6時からということだったのだが、監督のコンテチェックが終わらず、3時間半待って、とりあえず半分だけということで始まり、終わって雑談してると日付が変わってました。今日は午後まで寝てしまい、夕方阿佐ヶ谷まで行って、レイアウトのチェック。来週と再来週でダビング前差替え2本、カッティング編集)1本乗り切らないといけない上に、凶悪ラスボスへの対処をどうするかで悩んでいます

急に忙しくなってきたので何かと大変で、まあでもなんとかなるだろ、と気楽に構えてます。テイキットイージー。

ここ何年もあまり仕事をしてない演出にこんなにオファーが来るというのも不思議ですが、放映本数が増えてるんですかねえ。僕はリアルタイムテレビアニメをほとんど観ない(プリストは関わりながらハマったけど)ので、何が起きてるのかよく判りませんけど。

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2017-06-09 かっちんぐ。

今日阿佐ヶ谷でカッティング編集)を一本。3時からの予定だったのだが、1時にスタジオに行って、チェックをやってたら、編集監督も手が空いてるので、と前倒しで始まり、4時半終わり。方南町自転車で移動してレイアウトチェックしてたら、武蔵野の某社から電話が来て、急ぎの仕事を頼まれる。即断はできないのだが、ここ何年も仕事くれー、食えませーん、ってやってたのが嘘のように話が来るんだけど、何が起こっているのか。

大体一昨年春から去年の春まで僕は、金がないか建設現場バイトしてたのだ。(その前にもそういう時期はあった)朝8時前に現場に行き、着替えて装備つけて8時にはラジオ体操から始まる朝礼に出る。10時まで働き30分休憩、12から1時まで食事と休憩、3時から30分休憩、5時に終わり…毎日これをやりながら業界仕事が来たら夕方からスタジオに行って、チェックして帰り、翌朝の現場遅刻しないように寝る。その間に弁当も作ったりして。実は割と健康生活だったかもしれない。しかし業界仕事が忙しくなってきて数ヵ月も並行してやってると、サイクルの全く違うダブルワークを続けるのが辛くなってきて、アニメ仕事に専念するのがよいという結論に達し、現場仕事はしばらく休んだり。相変わらずお金はないので、その間どう生きてたかというのはみっともない話で言いたくはない。

10年前にはいろいろな仕事を並行させてやっててこのブログ過去一遍に削除した記事で書いた「35日間に7本カッティング」などというお前シリーズ監督でもないのに馬鹿じゃないかと思うような仕事の仕方(当然だが進捗状況やゴールが違うからできた話)で、某巨大掲示板の糞演出スレでもからかわれる始末でしたけど、カッティングほど演出にとって楽しい作業はない。その当時は苦しくもあったけど楽しかった。

自分ももう、アラフィフなので色々ちゃんとやんないとなあと思いつつ。

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2017-06-02 こんてさつ2。

午前中から出かけて、まず近所(武蔵関)の某スタジオに板タブを持って行って、原図のチェックをちらっとやり、監督のご厚意で(演出として参加している立場ではないのですが)3Dムービーの上がってきたカットのチェックに参加。まあ、未来のための勉強です。まだまだ手描き的な2Dルックの3Dというのも十分に満足できるものではないにしても監督は「すぐに追いついてくる」と。僕もそう思います

その後方南阿佐ヶ谷のスタジオを自転車で回り、昨日の続きでコンテ撮素材を半分作って終了。夜12時に帰還。正直一日に回れるスタジオは3つくらいが限界だと思っているので、今来ている仕事を全部回すには、計画性と生活規則正しさと肉体の維持が必要だな、と思い始めました。もっと若い時は力技でなんとかなったこともやはりもう歳ですから無理をせずに働いていくことが大事ですね。最近生活が荒れてたので、見直しの時期が来たようです。

僕は演出積極的に並行して仕事をするべきだと思ってます。多くの作画さんは細切れにされたシーンを担当して、掛け持ちをするわけですが、演出はせいぜい半パートずつに分割(時間がない時の手段)くらいで、基本的には一本の作品をトータルで見なければなりません。各種打ち合わせ、チェック、編集音響の立ち合い、リテイク出し、その後の指示などなど。抱えている作品が一本だけであってもやることは十分にありますしかし2ヵ月、3ヵ月という制作期間、その作品だけをやっていくというのはもの見方が固定してしまう、刺激のないものになりはしないかと考えています。だから僕は仕事があるときはいっぱいいっぱいでも大体引き受けます。依頼が来て、仕事を抱えすぎてるのでと断ったのは1回しか記憶にないです。

もう一つには、もちろん作品1本3か月それだけやっても食えないので、掛け持ちせねば、というのもありますけど。でも並行して色々やった方が関わりになる監督プロデューサー作画さんも増えて、いろいろと他人仕事を覘けるのは僕には楽しいことです。問題は僕が、その人たちにどれだけ返していけるのかでもあるのですが。

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2017-06-01 こんてさつ。

今日は昼というか午後まで寝ていた。自堕落な僕。

そっから出かけて2つ制作会社を回って、来週カッティング編集)する作品のコンテ撮素材を半パートストップウォッチをカチカチやりながら作ったりしました。

結構驚かれることがあるのだけれど、僕は1本分のコンテ撮素材は1日か2日で作ります現実問題として時間がない(コンテ撮しなきゃいけない時点で確定)というのもあるのだけれど、絵の動きが足りない状態で尺を決定するのにそれほど苦痛を感じないのです。鈍いのかもしれませんが。大体頭の中で動きと間を組み立てて台詞を入れて、と考えるとほぼ尺は決まってくる。

台詞の長さは実際に喋りながらストップウォッチで計って決めるのですが、僕は早口な方で、急いで一気にタイムシートを作ると大体台詞が入らなくなってしまうので、急がずに2日に分けるようにしていますカット数が多い時は3日かけることもありますが。世間ではコンテに絵を足したりセル分けしたりして手間をかける人もいますが、わが社ではそれは無駄時間がかかるのでやっておりません。

動きや間のタイミングの適正化経験則、別の言葉で言えば「勘」ということになるでしょうか。いつもタイムシートのマス目を見ながら必死で考えています

最近進む作画デジタル化と同じく、絵コンテ作業自体デジタル化が進行しています。これは単にパソコン上で描くということには留まりません。「ストーリーボード」のようなソフト典型的ですが、音声の貼り付けを含めてビデオコンテを作成するというやり方で、編集で扱うようなタイムラインがあらかじめ作れてしまう、そしてこれからそれを作ってゆくことになるのではないかと思っています

ビデオコンテがあるならカッティング意味あるの?という人がいるのではないかとも思うのですが、僕は意味があると思っています。「ストーリーボード」は例えば「君の名は。」でも使われていて監督が自ら編集してますから作家性のある人が自分だけで弄りたいというにはすごく重宝すると思うのですが、世の中にはそんな天才じゃない僕のようなへぼ演出もいる訳で、それを使っただけではコンテの絵を「棒つなぎ」(上がってきたカット編集さんが最初に番号順につなげただけの状態。カッティングはここから始まる)した映像ができるに過ぎないのです。

棒つなぎ状態からちゃんとした映像更新してゆくのは、編集演出です。編集権というのは最終的には演出のもので、だからこそカッティング演出にとって一番面白くてスリリングな工程なんだけれど、そこで演出批判する人が必要なのだと思っています制作的にはプロデューサー技術的内容的には監督編集演出は一人で全部のカットをみなきゃいけない立場ですから、外部的な視点がどうしても必要になると思っているのです。これから大きく作り方が変わってゆくだろうという中で色々考えているところです。

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2017-05-28 20年。

アニメーション職業としてかかわるようになって20年が経った。大学卒業が大体決まって、就職しないわけにいかなくなり、大学就職課で求人票を見てて、名前を知っている某制作プロダクション求人を見て電話したのがきっかけだ。

まあそれからいろいろあって、会社を替わったりしながら5年後にはフリー演出ということになっていた。そこから15年。

最初会社制作で同期だった人たちは誰も今業界に残っていない。そのとき先輩だった人たちも多分もう消えた人が多い。時々、自分は何をやってるんだろうと思うことがある。

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2017-05-27 タブレット。

ちょっと前にタブレットを買った。世間流行りのスマホを大きくした奴ではなく、ペンタブレットで、板ですが。

これもちょっと前、某スタジオでタブレット練習をさせてもらってたことがあって、最初は線はよれるし、感覚がつかめなかったのだけれど、少しやってるとペンが思うところに行くようになった。

液晶タブレットが欲しいと当初は思ってたのだが、高いし、使っている(いた)人の意見として「描いてるときに自分の手が邪魔」「手元にいろいろウインドウとかが出てくるのうざい」というのがあって、職業としてイラストレーターをやるわけでもなければ板で十分だろうと、この前最新の機種を買いました。正解だったと思います

何年か前に絵コンテを描くのに使えないかとコミスタと一緒にバンブータブレットを買って持ってたのですが、ちっちゃいし使いにくい…、つるつるでペンが引っ掛からない…世間ではこれで絵が描けるの?と不思議でしたが、その辺の精度が段違いにアップしてて、ラーサイズだと画面との引き幅のギャップもなくて使いやすい。膝の上にのせて使ってます

アニメ業界で紙の時代はあと数年で終わるか、一部で残るかではないかと思ってて、作画演出デジタル化は避けられない、つまり従来の紙に描いてゆく作業はなくなってゆくのではないかと考えています。何年か前からいくつかの会社動画デジタル化していて、そのあとの行程として紙に描いたものスキャンして仕上に渡し仕上が線を修正したうえで塗る、というのが無意味になりそうです。スキャンしないなら線を引いた動画さんが仕上までやれば一番早い。いつも人口膾炙する動画さんの収入問題も、デジタル化によるスピードアップと仕上の兼任改善される可能性がある。

従来の分業体制の中での仕上をやっている人の仕事はどうなるのか、というのはあるのですが、長い目で見れば、この流れは避けられないと思っています。これから分業体制自体見直しがいやおうなしにアニメ業界に来るでしょう。「東風が吹くよ、ワトスン君」 

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2017-05-26 雑な日々。

昨年12月テレビ放送された作品があってから早や半年近く、一時は仕事なくて暇だなーと思ってたら、3月終わりから次々依頼が押し寄せ始め、今3か所で仕事をしています。以前のお付き合い関係から頂いた仕事ばかりで、断るという選択肢はなしです。もうすぐ4か所になる予定ですが。

仕事はいつ途切れるかわからないので、できるだけ話が来たら受けます仕事お金のない怖さというのが、身に染みているのです。

2007年頃、気づいたら年間に40本ぐらいのテレビ作品仕事をしていました。別に平気でこなしてたわけではなく、それなりに苦しい時もあったし、明らかに失敗した(俗にいう「やらかした」という奴ですね)作品も心当たりがあります。でもそれだけ多くの作品に関われたことで、お金だけでなく演出経験として自分が得たものはあったと思います

その頃は「演出で食っていければいい」と思っていて実際「食えていた」し、監督になろう、などという考えも全くなくて、今考えるとまだもうちょっと若かったのだから監督を目指すぐらいのつもりでやってなかったから演出としても半端になったかなあ」とも感じます

07年秋から制作本数はぐんと減り始めました。09年までには数ヵ月に1本仕事が来ればいい方という風になっていった。スポンサーが金を出せない、ということでリーマンショックいくら関係はあったでしょうが。そこからの数年間、思うようになかなかいかない。仕事をしてない時期が長いと久しぶりに受けた時に、以前できていたことをできなくなっている(体が忘れているのですね)。仕事をするたびリハビリをしているかのようでした。得られたと思ってた経験を引き出せない場面もある。

制作本数の多かったときに比べると、制作会社もかなり態度が変わりました。例えば、付き合いのあったときトラブルになったからもう仕事を出さない、なんてのはそれ以前から珍しくありません。それは仕方がない。そうではなくて、元請の制作会社が下請の制作会社に「演出候補リストを出してくれ」と頼んだりするわけです。下請は普段仕事を出している人たちに声をかけて「リストに載せてもいいか」と。みんな仕事は欲しいからOKする。そこから元請が選ぶわけですよ。ネット出所不明情報業界の噂とかを参考にして。

何がおかしいかというと、下請会社を元請が信用していないうえ、下請の制作が信頼してキープしているリソースを好きなように使おうと、それを何の疑問も抱かずにやっていたということです。本数が少なくなって下手なことはできないという意識なのでしょう。1本付き合いもしないうちに何か「問題がある」と思ったらそうしていいと思ってたということだと思います。僕はある下請さんから候補」の話が来てから数ヵ月連絡がないので不思議に思って問い合わせたら、元請に8人名前を出して全員NGでまだ人を探していると言われたことがあります。僕がどうであるかはともかくとして、下請に仕事を出す気があるのか、それというレベルです。

製作本数がまた増えてきた最近は「候補リスト」の話も聞かないのですが、社員として演出を抱える会社が多いようで、フリーランス仕事があまり回ってこないのはそういうことのようです。

一応15年演出仕事にしてきたので、ここでいなくなる気はなく、新しいこと、やってなかったことをどんどんやっていかないといけないと思ってます。せっかく仕事が来てるんだから特にアニメーションデジタル化(これまでの仕上撮影だけでなく全体のワークフロー、作り方、内容の変化)に対応していくことには興味があって、というか今ちょこちょこ仕事しながら某スタジオで学ばせて頂いてます。47歳の地図

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2016-12-14 君の名は。

師走にもなって「君の名は。」をやっと映画館で観てきました。新海誠監督作品をまともに見るのは初めてです。

感想としては、面白かったし、主人公二人が最後出会いを果たすまでの紆余曲折はよくできているなと思いました。

ただ、どうにも納得のいかない部分もあります。例えば人格が入れ替わってる間二人はなぜ携帯スマホ)でやり取りをするのかというところです。なぜ、というのには複数意味があります。まず、超自然的というか巫女能力の発露である人格の入れ替わりに対して連絡手段がなぜスマホなのか。もう一つは、二人はなぜ日記のupで連絡を取り続け、互いに直接互いの携帯電話を掛けようとする気配がないのか。後者についてはそれができない理由はあるのだが、二人の中にある理由ではなく、作り手側の都合として後半で明らかにされる状況からそういう行動はとらせられない。前者については、その直接の会話ができないという状況設定を直接の会話がなくてもコミュニケーションがとれるようにするためで、超自然的な力が働くことと整合性がないし、やはりスマホが連絡に使えれば直接話せばいいという話になってしまう。状況設定としては破綻している。人格の入れ替わりが途切れると互いの名前を忘れるというのも、なんで?と思う。

要するに、これはラストシーンまで二人が会うことができない状況を作る(実際には時間制限ありつつ顔を合わせるシーンはある)ためにそういう設定にしてあるのだ、ということだろう。この辺はかなり無理を感じた。途中で隕石事件の話が出た時点で、二人は通常の方法では会うことができないのだ、と観客にも判るし、そのためには過去を書き換えるしかない、となって急展開するのだが、細田守監督の「時をかける少女」を思い出してしまリズムなんだよなあ。

名無し名無し 2016/12/14 22:22 二人は夢の中で入れ替わってると劇中で言ってます。
つまり入れ替わってる時は寝ている状態なんだと思います。
だから二人とも夢だと思っていた。
夢から覚めれば夢の記憶は消えていくので名前も当然忘れるかと。
だから文字にして残す必要があったんじゃないですかね。
電話で会話したところで夢から覚めれば憶えてないですから。

mitahiroshimitahiroshi 2016/12/14 23:02 最初二人は夢の中で何かをやってると思ってたけど、途中で入れ替わりに気づく。だからスマホでやり取りをすることになるのだけど(どういう原理で連絡がつくのかわからないが)、中盤で瀧は直接に三葉に電話するが繋がらない、というシーンもあって夢だとは思ってない。そのスマホの記録が勝手に消えたりするとか、連絡が途切れたら覚えてなかったりするというのは作り手の都合でしかないですよ。

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2016-12-09 なんだろうな。

ちょっと前やってた仕事で、最初監督と打ち合わせしてから1ヵ月以上作画打ち合わせが終わらない、という困ったちゃんなことがありまして、どうするのか、これじゃ間に合わないよ、と制作に質しても要領を得ず、結局制作アニメーターを確保できなかったということらしいですが、見込みなしで仕事を請けちゃいかんですよ、一月も前から話来てるのに、ということに尽きるのだけど。そうは言ってもどうやら原画が不足していて、制作が人を集められず、あちらこちらで似たような事態が起きてて。最悪放送が「落ちる」てなことになる例が増えているようです。

作画崩壊」というような言葉面白がって使う人がいますが、その大半は作画崩壊しているのではなく、制作体制問題です。

話は変わりますが、数ヵ月前、前から知り合いのある制作会社社長から電話があり、「演出を探してる知り合いの会社に紹介(携帯の番号を教える)してもよいか」と問い合わせされました。仕事はあるに越したことはないので、「はいいいですよ」と返事してから件の会社からは何の連絡もなく、社長氏と一昨日電話で話した時に「ところで、あの話どうなったの?」と訊くと「え、打ち合わせ当日に来なかったって言ってましたよ」

ぽかーん。その会社から一度として電話来てないし。電話が来てたとしても僕は出てないし。まず挨拶、打ち合わせの日時の約束で数回は電話があるはずで当日行かなかったならその時も電話は来るはずで。僕がその電話対応を全部忘れているというありそうにない想定を除くと、件の会社制作がこちらに連絡をしなかったか、連絡がつかなかったのを放置したというのが一番ありそうなことだな。こちらも信用商売なので、打ち合わせをすっぽかしたように言いふらされるとねえ。

何のつもりでそんなでたらめを言ったのか知らんけど。アニメ業界崩壊があるなら制作から始まるだろうと僕は思っているのです。

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2016-02-27 走る走る俺たち流れる汗もそのままに。

3本やった1月番組も納品が終わり、次のシーズン作品が入ってくる予定です。

この1月番組を、ほんとに愛おしくファン目線で視聴しています。40代も半ばですが、主人公たちのキラキラとした「青春」というものに惹かれながら観ています。高校の頃、足の遅い陸上部だった僕には、この作品の「走り」がとても魅力的で、そして手の届かない背中を追いかけるというイメージが、今も演出としてもっと突き抜けたいんだという気持ちシンクロします。

残念なことに物語構造上恐らく2期を作れるような作品ではなく、これでさようならのようですが。

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2015-11-20 近況。

細々とお仕事を続けていて、すげえ大変な1月番組を何故か1クールで3本やらないといけないというおお困ったよ

な状況です。

それとは別に初めて劇場作品にもかかわり、12月11日公開ということですので、観てやってください。

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2014-09-09 9月、東京の路上では何が起こった?

[]関東大震災から91年。

工藤美代子の「朝鮮人虐殺真実」本についてこのブログで二、三書いたのが2010年の春ですが、4年経ち、今度は工藤の夫である加藤康男著者名義による同じ本の改訂版がWAC出版から出される(産経新聞出版工藤の本は現在絶版?品切れ?状態)という奇怪な出来事がございまして。加藤は元々共同取材し共同執筆してて新版を出すにあたって自分名義にしたというイザヤ・ベンダサンの本が山本七平著になりました(加瀬英明でも可)みたいなことをあとがきに書いてますが、なんじゃそりゃという感じです。共同の仕事だったのが事実として共著でいけない理由がなんかあるんですかね。

20年ほど前からの知人(僕が一方的に知ってるだけかも)が9月に工藤などの関東大震災時の朝鮮人虐殺否定の言説を批判するサイトを公開するという話をこの前聞きました。そのサイトhttp://01sep1923.tokyo/のようです。まだ準備中のものがあるようですが、是非多くの方に見てほしいものです。

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2013-08-28 ガッチャガッチャーガッチェスト。

[]ガッチャマン観た。

まり評判がよくないので「ガッチャマン」ついつい興味がわいて観に行ってしまいました。

…誰だよ、「デビルマン」級とか言ったの。これ普通にまらない映画だよ。木村拓哉の「ヤマト」程度の作品だよ。デビルマンはいろいろあって生まれた奇跡のようにストイックなつまらな道を極める映画だったけど、「ガッチャマン」は狙い目はっきりしててそれが滑ってるだけだもの

僕が作る立場だったらどうするかな。

まずカークラン博士要らない。ゴッドフェニックスとギャラクターの移動要塞は話の冒頭で登場させる。中村獅童なくていい。ケンとジョーの過去因縁意味ないから描かない。あと30分で人類が滅ぼされるという時に「わたしたちくるってる」とか内輪で喧嘩させない。タイムサスペンスを真面目にやる。決着は「科学忍法火の鳥」でつけさせる。あとみみずくの竜はスマート役者にしない。

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2013-06-09 週末の世界。

[]あらまあ。

30過ぎで演出になって10ちょっと

ひどい扱いを受けたことは何度もあったけれども、ちょっとそれないんじゃない?ひとこと断れよ、という扱いを受けました。

まあ人目にゃ大したことじゃないし、向こうもそう思ったんでしょうけどね。繰り返し言えばひとことさえあれば、それでよかったんですけどね。

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2013-06-02 今日は今日とて。

[]寒い

今日は昼から田無仕事。コンテ撮用のタイムシートを作りながら、合間に作画打ち合わせ。夜はラッシュチェック。オールラッシュになるにはあと2日ほどかかりそう。恐ろしいことに来週放映なのだが。同じスタジオの仕上さんがエライ苦労して割れてない動画検査過程魔法を使って直すのを横で見つつ、10時過ぎに帰る。

明日の夜もラッシュチェック。来週は月曜に納品、火曜にアフレコ、木曜にカッティング。たぶん合間に打ち合わせとラフ原画のチェック。だいぶ忙しくなってきた。体を慣らしていかないと。

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2013-06-01 つれづれ節2。

[]糞演出はここにいるぞ。

某巨大掲示板の「糞演出家晒すスレ」でN氏、I氏とともに糞演出家ビッグ3として扱われることになって久しい僕ですが、あそこに書き込んでる人は誰なんだろうとときどき思います。立場的にああいう書き込みをする業界人(であれば)というのは制作がほとんどだと思いますが、直接仕事でかかわった人たち何人かは頭に浮かぶのですけど、大体その人たちは匿名で書き込んで憂さを晴らすような地位にはいないのですよ。

僕は自分100%完璧にできる演出だと思ったことはありません。当たり前のことですけど。くちさのない人たちは「お前は演出以前だ」と言いたいのかもしれませんがそれも結構。かかわった作品でポカをやって次の仕事がその会社からは来なかったなんてことは別に珍しくないし、逆に評価してくれた監督会社もあったわけです。ここ数年、余り仕事がなかったんだけど、仕事をしてほしいので連絡を取ろうと、出入りしていたスタジオに連絡を入れたら「そのひとってすごい年寄りの人ですよね?」と何を勘違いしたのか返されて困ったという監督さんがいて、後でその話を聞いて笑いました。

来た仕事を「ネットの評判」を理由に断られたこともありましたね。ほぼ某巨大掲示板のことだと思います。

僕は演出として仕事を始めたのが、某制作会社に勤めていた時でした。出向先の会社で、内緒で演出処理をやってたら、「今のままでは出向してくれている意味がない」から「処理をやれ」と僕に勧めてくれた社長言葉を「お前を出向させてる意味がないと言われたからクビ」という会社プロデューサーの行き違いで放り出され、知人の紹介でフリーの演出として仕事を貰ったというのがよし、最初の表向きの仕事だと思ったら。結局「実力不足だ」と降ろされて悶々としてたところに別の知人演出から「逃げるから後を頼む」ということで受けたのが、クレジットに出た最初。もう11年も前ですよ。そこの会社が酷いところで、制作をタダ働きさせてて、僕もギャラを払われずじまい。

僕は仕事を選びませんでした。制作を信頼できないと思うか、どう考えても無理なスケジュールである以外はなんでも受けました。逆に仕事上で制作が僕を信頼できないということは勿論ありました。今でも仕事は来れば大体なんでも受けます。なんでも受けたおかげで酷い目にあったことは何度もあったのですが反省しておりません。

大体、ここ何年も表立った仕事をそんなにしてないのに「ビッグ3」とはこれいかにと思ったりしてな。

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