入船亭扇辰独演会@ちとしゃん亭
二つ目は喬之進さん、姉弟子の小寿々さんが俗曲で花を添える。
喬之進さんは、多分はじめて聞いたと思う。ネタは「そば清」。そば清の「どぉ〜も〜」がすごくおかしかった。町内の若い衆じゃないけれどあの「どぉ〜も〜」が耳について、夢に出て来るかも。古典をきっちりとできる方なのではないかな?と思う。
扇辰さんは「火事息子」と「井戸の茶碗」。「火事息子」は、母親が「何を捨てたらいいでしょうか?」と父親に聞いていくところが、特におかしかった。
最近、あまり寄席や落語会に行っていないわりに「井戸の茶碗」は月に一度くらいの頻度で聞いている気がする。扇辰さんのも面白かった。三人ともがそれぞれ律儀なのだけれど、そのちょっとした差が感じられる。
『遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層』
埼玉県警の対応のあまりの杜撰さに、怒りを通り越してあきれかえる。当時も思ったことだったけれど、清水さんのリポートを読んで、改めて「なんなんだ、この警察の対応は?!」と。
主犯として法の下で裁かれるべき男に、最後の最後まで近づこうとしなかった。その理由が、自分たちの不祥事、というよりは犯罪だな、を隠蔽するためだったというのだから、まったく開いた口がふさがらない。
一写真週刊誌の記者が、100人の捜査員に常に先んじるという状況は、なんなんだ?と思っていたら、彼らは真剣に捜査する気もなかったということか・・・。もし、清水さんがいなかったら、この事件はどうなってしまったのだろう? 警察が勝手にでっちあげた猪野詩織さん像が一人歩きして、事件の真相は永遠に葬り去れたということだろうか? すべての警察機関、警察官がこうであるわけはないとは思うけれど、こういう体質を黙認、あるいは積極的に隠蔽しようとする動きがあるというのもまた、事実だろう。だから、警察の不祥事はなくならない。
もしあのまま「FOCUS」が廃刊にならずに今もあったとしたら、ということを考えてしまった。
写真週刊誌といえば、興味本位のタレントや著名人のスキャンダルを追いかけるだけの雑誌というイメージを持っていたけれど、こんな記者と編集長がいたとは! そして、記者クラブ制度に甘んじている、大新聞や大テレビ局のふがいなさは・・・。