Hatena::ブログ(Diary)

みやきち日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-03-17-Tue

『境界のないセカイ』の何が問題なのかわからない件。および、そこから考えたこといろいろ(※追記あり)

(2015年3月19年追記:脚注を1箇所追加しました。赤字のところです。)

上記の件について。

『境界のないセカイ』は未読ですが、作者さんがブログに掲載されたページ単体についての感想は、「この描写の何が問題なのかわからない」でした。該当ページはむしろ、性役割の押し付けや異性愛主義*1に疑問を投げかけるものであるように読み取れますし、いちレズビアンとしてはかえって好感をおぼえるぐらいです。マンガボックスさんが一体どこの「性的マイノリティの個人・団体」がどのようなクレームをつけると想定しておいでなのか、見当もつきません。

もっと端的に言うと、上記ページを読んで最初に思ったのは、はてなブックマークのこちらのご意見とまったく同じことでした。

「境界のないセカイ」マンガボックス連載終了のお知らせ: 幾屋大黒堂Web支店 @SakuraBlog

この基準なら百合漫画の名作『ささめきこと』もアウトになるな。アホらしいにもほどが。

2015/03/15 23:24

そう、『ささめきこと』7巻の「主人公、中傷とホモフォビアに半笑いで迎合」展開なんて、(前後関係を無視してそこだけ単体で見れば)もっとキッツいですからね。『境界のないセカイ』と同じ講談社系列の作品で言うなら、たとえば『オクターヴ』4巻p. 55の鴨ちゃんの台詞だって、(前後関係を無視してそこだけ単体で見れば)このページよりずっと酷いでしょう。けれど、どちらの漫画もクレームを理由に連載を打ち切られたりしていません。だいたい両作品とも、読みさえすれば作品全体のメッセージは決して差別的なものではないとわかるつくりになっていますしね。

架空ではなく現実の性的マイノリティから抗議があったとわかっている例としては、中村珍さんの『羣青』はどうでしょう。2008年頃、キャラクタが設定上「レズさん」と呼ばれていることを問題視したレズビアンの読者が、「"レズ"は蔑称」として抗議(ないしは罵倒)をしたという事実があるはずです。詳しくは以下を。

この作品は当時講談社の「モーニング2」で連載されていましたが、同社はこうした抗議を理由に「レズ」表記を改変させたり連載を中止したりしたりはしていません。『羣青』はのちに(2010年)小学館の「月間IKKI」に移籍していますが、原因はこの「レズさん」表記問題ではなく、作者さんと担当編集者さんとのトラブルだったはず。

何が言いたいのかというと、以下の通りです。

  • 作品全体のメッセージが差別的なものでないなら、堂々としていればいい
  • どんな作品にもクレームを入れる人はいるだろうが、出版社がそのクレームに自動的に屈しなければならない理由などない
  • むしろ「(架空の)性的マイノリティ」なるものを「クレームを入れられたら最後、作品生命が終わる恐怖の存在」に仕立て上げることの方がよっぽど問題
  • この分だと「天狗の仕業じゃ!」の代わりになんでもかんでも「『性的マイノリティ』のせい」にされそうですごく嫌

なお、「そうは言われてもクレーム怖い/面倒臭い」、「何が『差別的』と受け取られるかわからない」などとお思いの方には、森奈津子さんのこちらのご意見が参考になるのでは。

たとえばFacebookが最近、プロフィールのジェンダー欄のオプションを増やすに当たってLGBT団体の協力をあおいだと説明していますよね。映画『バウンド』だって、レズビアンセックスの場面は全部スージー・ブライトがコンサルタントを務めてる。ああいうのをどんどんやればいいんじゃないですか。

わからないなら訊けばいいのです*2。訊きもしないで、「(架空の)性的マイノリティの個人・団体」からの(まだ来てもいない)クレームを根拠に連載を終了させるのは、適当な想像ででっちあげた悪役としての「性的マイノリティ」幻像を流布させることにもつながりかねず、作品の中身どうこうよりその方がよっぽど問題かと。実際、既にこのニュースを「LGBT(または“ホモ”や“レズ”)からの圧力で連載が中止された」と曲解して積極的に憎悪を扇動する向きもあるようですし、これじゃそのうち郵便ポストが赤いのも犬の鼻が湿ってるのも全部LGBTのせいにされそうで、正直今かなりうんざりしているところ。

ところで、こないだTVでやってた『ノーマル・ハート』を見たんですよ。1980年代前半のニューヨークを舞台とするTV映画なんですが、見ていて「まるで今の日本みたいだ」と思いました。エイズがゲイだけの病気で、キス程度で感染すると思われていたり*3、40代ぐらいのおじさんが「大学時代はゲイなんて自分だけだと思っていた」と言っていたり、メディアが平気で同性愛者を「ホモ」と呼んでいたり、そもそも同性愛者についての報道がやたらと歪曲化・矮小化されていたりするんですもん。つまり、日本は約30年遅れてるわけ。

その米国で、メディアにおけるLGBTの扱い*4をモニタリングする非政府組織「GLAAD」が立ち上げられたのは1985年。エイズ禍の中、ヒステリーに陥ったメディアが「異性愛者に病気を広める邪悪な同性愛者」像を喧伝することに抗議するために設立されたこの団体が、結局は医学的・合理的なHIV情報の充実に貢献することになります。日本もそろそろ、適切なモニタリング*5や、いろんな立場の人の声が聞けるような話し合いの場が必要な時期に来てるんじゃないですかね。フィクションのみならず現実世界においても、「多様な生き方に寛容な考え(※幾屋大黒堂Web支店より引用)」なるものは誤解や衝突とその解消を経たのちにしか実現しないのであって、今の日本はそのためのいわば膿出しの時期にさしかかっているんじゃないかとあたしは思ってます。

*1:異性愛主義とは、「同性愛の排除を半ば奨励しながら、異性愛だけを推進することをはっきりと主張するような、社会を見る原理でありかつ社会を分割する原理」のこと。(出典:『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る辞典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)p. 87

*2ここで言う「わからないから訊く」というのは、「対等な立場から協力を仰ぐ」という意味であり、こちらで批判したような傲慢な態度で「そちらが下手に出て説明すべきなのだから、マジョリティの機嫌を損ねない言い方で優しく懇切丁寧に説明しなければ聞いてやらん」とふんぞり返れという意味ではありませんよ。念のため。

*3:実際、2015年3月10日の渋谷の反同性愛デモで、このような主張のビラが撒かれてましたよね。2014年のこちらの件から見ても、知識が80年代からアップデートされていない人は少なくなさそう。

*4:厳密に言うと設立当初はLGBT全体ではなく(第一当時は『LGBT』という語も概念も存在しませんでした)、メディアにおける「同性愛者への」中傷と戦う団体でした。現在は"LGBT media advocacy organization"と名乗っています。

*5:できればモニタリングするだけじゃなくて、「この作品/報道etc.がすばらしかった!」と顕彰するGLAADメディア賞みたいなのも作れるといいよねー。

2015-02-28-Sat

渋谷区の「同性パートナーシップ証明書」条例案についてずーっと考えてるんですけど。

渋谷区の例の条例案、「アパート入居や病院での面会を家族ではないとして断られるケース」(日経新聞より)を解消しようとする考えそのものは悪くないと思うんですよ。でもさあ、それに対する解決策ならば、「パートナーとしてお役所に届け出を出した1対1の同性カップルを夫婦扱いしましょう」というやり方よりもさ、

  • 「賃貸物件の貸し主は、借り主(候補)が非親族同士であることを理由に入居を拒否してはならない」
  • 「医療機関は、非親族であることを理由に面会を拒否してはならない」

……みたいな条例を作った方が、よりたくさんの人が恩恵を受けられるんじゃないの? むしろ、なぜそうしないの?

もちろん、「非親族同士は家賃が払えなくなりやすい(と主張する貸し主が少なくない)」とか、「ICUでは面会者数に制限をかける必要がある」とか、そういう事情も考慮すべきではあるんだけど。でも前者についてはまず「本当にそうだという客観的データはあるのか」「あるとしたら、非親族同士の入居でも貸し主のリスクが不合理に増えない契約方法はないのか」を検討すべきだと思うし、後者については、たとえば「患者本人が指定する(または、意識を失う前にあらかじめ指定しておいた)人の面会権を保証する」みたいな制度を作るってやり方もあると思うんですよ。

平等っていうのは「『疑似ヘテロカップルとしてお役所に登録すれば』同じ扱いをしてあげましょう」っていうことじゃなくて、「誰でもジェンダーや性的指向を問わず、また性愛関係の有無を問わず、住みたい人と一緒に暮らせ、会いたい人に最期に(または、最期じゃなくても病気のときに)会える」ということなんじゃないかと思うんですよね。そっちを目指した方が、幸せになれる人の数が増えるんじゃないすか。

いや、現状、同性同士で部屋借りたりするのは本当に本当に大変だし(田亀源五郎さんとほぼ同様の経験を、あたしもしたことがあります)、そうした苦労をパートナーシップ制度でまずは応急処置的に解決しようと試みるというのはアリだと思うんですよ。でも、その先に目指すものが「平等」でない限り、結局そのパートナーシップ制度すらあんまりまともな運用はされないんじゃないかという気がするんですよね。取り越し苦労ならいいんですけどね。

2015-02-17-Tue

ゲイのペンギンは「禁断」? すみだ水族館のツイートにスティーヴン・フライの名言を思う

東京・墨田区の「すみだ水族館」公式Twitterアカウントが、2015年のバレンタインにこんなツイートをなさっておいででして。

f:id:miyakichi:20150219190848j:image

遡って2014年のクリスマスイブには、このようなツイートも。

f:id:miyakichi:20150219191008j:image

「禁断」ねえ。「子どもを産めないのに付き合ってる」ねえ。へええ。

これらのツイートを拝見して、英俳優スティーヴン・フライの名言を思い出しました。以下、Telegraphより引用します。

少なくとも260種の動物が同性愛の行動を示すと指摘されているが、これまでにわかっている限りでは、同性愛嫌悪的な行動を示す動物はたった1種である。人間だ。

“At least 260 species of animal have been noted exhibiting homosexual behaviour but only one species of animal ever, so far as we know, has exhibited homophobic behaviour ― and that’s the human being.

Stephen Fry: 260 animals have gay tendencies but only humans are homophobic - Telegraph

なお、「少なくとも260種の動物」のところに疑問をお感じになった方には、カナダの生物学者Bruce Bagemihlのこちらの著作がおすすめです。

Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural DiversityBiological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity
Bruce Bagemihl

St Martins Pr 1998-10
売り上げランキング : 333685

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

それも面倒な方は、Wikipediaでもどうぞ。

そんなわけで、ペンギンのオス同士のカップル「アンズとゆず」より、それを禁断扱いしてはしゃいでいる「すみだ水族館」の方が、生物としてはよっぽど稀な行動をとっているということになります。これから同水族館を訪れる方々は、魚やオットセイ、ペンギンなどの生態のみならず、ヒト特有の「ホモフォビックな行動」もつぶさに観察できるチャンスと受け止め、心の準備をしておかれるとよろしいかと。いやあ、人間って、本当におもしろいものですね!(水野晴郎風に)

……とまあ、皮肉はこれぐらいにするとして。正直言って、いち同性愛者として上記「禁断」ツイートを見たときには、「自分が彼女とのデートでこの水族館に行ったら、職員さんのうちどなたかに陰で『禁断! 禁断!』とニヤニヤされるのだろうか」と思ってしまいましたよ。「子どもを産めないのに」というツイートには、子どもがいないことを周囲から責められて苦しんでいるヘテロ既婚友人の顔が脳裏をよぎり、いやーな気持ちになりました。さらに「禁断」ワードがパフェにまで麗々しく使われているあたりには、「遠足の小学生も来る施設でわざわざホモフォビアを扇動してどうする」とあきれました。

超能力者でないかぎりツイート主の真意はわかりませんが、あれらのツイートの文面は、結果として「当水族館では同性愛は『かたく禁じられたこと*1』とみなしています」、「生殖を目的としない関係はおかしい*2とみなしています」というパブリックな意見表明として機能してしまうと思うんですね。それは本当に、この水族館のしたかったことなのかと。万一そうであれば、公式Webサイトの、

お客さま一人ひとりがそれぞれの楽しみ方で鑑賞いただけます。

すみだ水族館とは | すみだ水族館

などのような説明は、

生殖する異性愛者のお客さまのみが、それぞれの楽しみ方で鑑賞いただけます。

のように修正した方がいいと思うのですが、別にそういうことがしたいわけでもないんでしょう?

いくらホモフォビックな行動がヒト特有のふるまいだとしても、誰でも見られる公の場所で、しかも商業施設が堂々とやらかすのは迂闊と呼んで差し支えないかと。ペンギンの同性カップルを見るのなら、ここではなく英国ケント州のウィンガム・ワイルドライフ・パークの方がいいんじゃないかな。あそこは「禁断」扱いなんてみじんもしてませんし。

2015年2月19日追記

2月19日現在、該当ツイートは両方とも消されています。これらの削除について、特に説明はされていない模様。

こちらのご意見に同意です。

*1:参考:きんだん【禁断】の意味 - 国語辞書 - goo辞書

*2:そういう前提がなかったら、意外・不服を表す逆説の助詞「のに」を使ったりしないはず。

2015-02-10-Tue

「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」派の皆さまへ

2015年2月8日のエントリで、“何をどう説明しようと、

「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」

「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記

と言うだけで何も変わらない人がいる”という趣旨のことを書いたのですが、本当にこの通りの(言い回しに多少のバリエーションはあるにせよ)ことを主張される方が大量にいらしたので半ば驚き、半ばウケました。ひょっとしたら皆さま、このくだりは読み飛ばされたのでしょうか。いっそジョジョ風に噛み砕いて、「次におまえは〇〇というッ!」とでも書いた方がまだお目にとまりやすかったのかもしれませんね。その伝で言うと「次に、同性愛者を名乗る者が、『自分は同性愛者ですが、みやきちの言ってることはおかしいと思います!』という!」というのが現在の予測なのですが、もう既にそういうご意見も出回っているんじゃないかとも思います。

ところで上記のような、言うなれば「差別されるのが嫌なら怒らず優しくわかりやすく説明せよ、さすれば我(ら)の『理解』や『支援』という名の恩寵を賜るぞよ(大意)」的なたいへんありがたいご託宣は、1996年に出版された『差別と共生の社会学』(井上俊 et.al. 岩波書店)で既に明快に批判されていると思うのですが、それから20年近くたってもいまだこのような状況であるというのはいったいどういうわけなのでしょう。本当に「わかりたい」と思っていらっしゃるのなら、「赤の他人がなぜか自主的に時間や労力というリソースを費やして、怒らず優しく懇切丁寧にものを教えてくれる」という奇跡など待ったりせず、まず書籍という知の集合にあたりそうなものだと思うのですが。こういった方々のお住まいの近くには、図書館や本屋さんはないのかしら。

以下、同書pp. 26-27より少し引用しますよ。

そこに差別があることを告発し、差別の何たるかを懇切丁寧に説明し、「マジョリティ」の<無知>――指摘されるまで見て見ぬ振りしていること――を解消するのは、まるで被差別側「マイノリティ」の役割でもあるかのように、誤解されてきた。「マジョリティ」は、「(教えてもらわないと)わからない」を繰り返す。この「マジョリティ」の<依存>は、「マイノリティ」というアイデンティティの消費/搾取である。良識派たらんとする「マジョリティ」こそが、実は、差別を告発する「マイノリティ」を、依存対象として必要としている。

では、「マイノリティ」はいっさい、誰に向かっても語るべきではないのか。表現すべきではないのか。いや、そうではない。(引用者中略)わたし自身のために、わたし(たち)に向かって語ることが、「マイノリティ」にとって、反差別の迷路から抜ける<出口>なのだ。

結局、被差別者が、その差別を告発するのは、単に自分自身に対する義務だからである。差別を放置しない、自ら内面化しないための。決して、差別をなくす責任を一手に引き受けたからではない。ところが、「マジョリティ」たちは、こうした「マイノリティ」の告発を、<支援>するというかたちで、反差別の態度をとろうとする。だが、差別と戦う主体となり、差別をなくす上で、社会的義務と責任を全うすべきなのは、むしろ、差別する側の人々なのであって、被差別者ではない。それを、「マジョリティ」が「マイノリティ」を<支援>すると言った途端、その責任は巧みに「マイノリティ」側に転嫁され、「やってあげる」「やってもらう」という上下関係が生じて、再び「マジョリティ」側が有意に立つ。これでは差別構造の上塗りとなるだけだ。

わたしはわたし自身のために、「自分が過去に書いたものが曲解されて、こともあろうに同性愛者に対する差別的な言辞を正当化するために使用された」ということに対する怒りの告発をしたのです。けっしてボランティアで優しくあなたがたを教育・啓蒙するためでも、それによって理解・支援「してもらう」ためでもありません。ましてや差別を「やめてもらう」ためでもありません。何か勘違いして権力勾配の上座から「もっと優しく教えて我々を納得させよ(大意)」などとおっしゃる方々に伝達したいことなどはなから何ひとつないし、逆に、意を伝えたい人たち、すなわちセクシュアリティを問わずわたしが勝手に「わたし(たち)」と思っている大事な人たちには十二分に伝わったという手応えを、わたしは感じています。

最後に、同性愛イシューやLGBTイシューを本当に「わかりたい」と思っていらっしゃる方々のために、おすすめ書籍のリストを挙げておきます。カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト等で探してみられてはいかがでしょう。本は怒らないし冷静だし、情報量も多くて、うちのブログなんかよりよっぽど有益ですよ。

  • 『同性愛は「病気」なの? 僕たちを振り分けた世界の「同性愛診断法」クロニクル 』(牧村朝子、星海社新書)(レビュー
  • 『同性愛と異性愛』(風間孝&川口和也、岩波書店)(レビュー
  • 『図解雑学 ジェンダー』(加藤秀一 他、ナツメ社)(レビュー
  • 『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)(レビュー
  • 『LGBTってなんだろう?--からだの性・こころの性・好きになる性』(藥師実芳 他、合同出版)(レビュー
  • 『にじ色の本棚 LGBTブックガイド』(原ミナ汰&土肥いつき編著、三一書房)(レビュー
  • 『お母さん二人いてもいいかな?』(中村キヨ(中村珍)、KKベストセラーズ)(レビュー
  • 『ステレオタイプの社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子、サイエンス社)
  • 『セクシュアリティの多様性を踏みにじる暴力と虐待』(アムネスティ・インターナショナル編、現代人文社)
  • 『同性愛者における他者からの拒絶と受容』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房)
  • 『差別と共生の社会学』(井上俊 他、岩波書店)
  • 『差別論 偏見理論批判』(佐藤裕、 明石書店)
  • 『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl、St. Martin's Press)(レビュー
  • 『Homosexual Behaviour in Animals: An Evolutionary Perspective』(Sommer, V. & Vasey, P. L. 編著, Camblidge University Press)(レビュー
  • 『It Gets Better: Coming Out, Overcoming Bullying, and Creating a Life Worth Living』(Dan Savage & Terry Millor [編]、Dutton)(レビュー
  • 『Redefining Realness: My Path to Womanhood, Identity, Love & So Much More』(Janet Mock, Atria Books)(レビュー

※上記おすすめ書籍リストは今後随時更新していきます。(最終更新日:2018年1月19日)

2015-02-08-Sun

「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。

読んだ。あきれた。うちのエントリを引用するのはいいんだけど、そこから

これをノーマルに当てはめると「ノーマルを正常だというニュアンスで使い同性愛を否定している人は主観に基づく意見ばかりなので重視しなくていい」ということになりませんかね。 どこかの同性愛コミュニティから「ノーマルは差別的だ」っていう意見が出てきてるわけじゃなく、いつもの「不快に思う人がいるかもしれない」レベルの話なんでしょ?*1

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

と言い出すのは牽強附会にもほどがあるし、いち同性愛者として非常に迷惑。

「ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログでだってTwitterでだって、批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。

そうでもなければ、

いつもの「不快に思う人がいるかもしれない」レベルの話なんでしょ?

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

なんて珍説はそうそう出てきませんって。いやーまったく、どこの星の話かと思ったわ。

異性愛を「ノーマル」とすることがなぜ問題なのかというと、それが19世紀末から始まる同性愛の病理化、そしてそこからくる同性愛者の迫害にさんざん使われてきた言説だからだよ。「主観」だの「不快」だのという生やさしい話じゃない。「異性愛こそノーマル、同性愛はそこからの逸脱」という発想のもと、同性愛者は精神病院に監禁され、電気ショックをかけられ(中国じゃ今もやってますね)、怪しげな注射を打たれ(アラン・チューリング知ってる?)、職を追われ(『ハーヴェイ・ミルク』は見たかい?)、ナチスに虐殺されて(ピンク・トライアングルぐらいは知ってるよね?)きたという歴史的事実があんの。当然、同性愛者のコミュニティは今も昔も異性愛を「ノーマル(正常)」として規範化することには反対しまくってるよ*1公民権運動などの社会運動の波に乗ってゲイ解放グループが世界中にできた1960年代から反対して、反対して、反対し続けて、1973年にようやくアメリカ精神学会が同性愛を逸脱扱いするのをやめ、1992年にWHOも国際疾病分類(ICD)から同性愛を削除したんだよ。

「ノーマル」は英単語だけど、そんなわけで現在の英語圏*2では「異性愛はノーマル」というのはもはや医学的にも精神医学的にも不正確で、水飲み場に"WHITE ONLY"の貼り紙をするのと同じぐらい時代遅れで差別的なことだという社会的合意があんの。今英語圏の公共の場で「異性愛はノーマル」なんて発言したら、「かわいそうに、適切な教育を受けられなかったのだな」と憐れまれるか、「筋金入りの差別者だ」と警戒されるかどっちかだよ*3(ファナティックなキリスト教原理主義者なら、大喜びでお仲間認定してくれるかもしれないけど)。日本でだって、こんな単語を今さら「異性愛」の意味で使うことの差別性・危険性は、LGBT当事者から何度となく批判されてる。あ、念のため言っておくけど、批判する文面の中でいちいち「私は同性愛者です」と名乗っていなければすべて非当事者だなんてことはないからね? 「目につく場所でカミングアウトしていなければすべて『同性愛コミュニティ』外の意見とみなす」というのは、他の意味で問題だよ?

一方、「ストレート」「ヘテロ」という語は、差別や迫害の口実として使われたという歴史的経緯はないの。「ストレート」なんて、AP通信&ニューヨーク・タイムズの表記ガイドラインで「ゲイとのコントラストを示す言い回しで自由に使ってよし。例:その映画はゲイとストレートの両方の観客を魅了した」(大意)と説明されてるぐらい中立的な語だよ。だからこっちを使おうっていうだけの話なのに、なんでここまでこじれるかね。

あと、id:kyoumoe氏の言う、

なんで「ノーマルの対義語はアブノーマルだから差別的なニュアンスがある!」って言って出てきた代替案が対義語に差別的なニュアンスがある「ヘテロ」なんですかね。

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

というご意見も果てしなく的外れ。対義語同士のセットならなんでも同じだなんて思うんじゃねえや。だからねー、「男女の愛こそが正常(ノーマル)だ!」として同性愛者を抑圧したり虐待したり投獄したり殺したりした人はいっぱいいた(今でもいる)のに対し、「男女の愛こそがヘテロだ!」と言ってそういうことをした人はいないの。何度も言うけど、歴史的経緯が全然違うの。

まあね、これだけ長々書いても全部無駄だってことはわかってるんですよ。ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは、誰が何をどう説明しようと、「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。ベネディクト・カンバーバッチの爪の垢でも煎じて飲めばいいのにと思うけど、まあ無理だよね。この状況を憂える人たちには、せめてもの気晴らし*4として、今後異性カップルものという意味でいけしゃあしゃあと使われ続けている「NL」表記は勝手に「男女(なんにょ)ラブ」と読むことを提案したいです。いいじゃん、なんにょラブ。なんか古式ゆかしくて。以上をもちましてこの話題への言及は終了とさせていただきます。

付記

このエントリで触れた、同性愛の病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛と異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ。

付記2

上記『同性愛と異性愛』によれば、『広辞苑』に「異性愛」という言葉が載ったのは意外と遅く、なんと2008年(第6版)のことなんだそうです。ということは、日本人で、かつセクシュアリティに関する知識が十分でない人にとっては、「異性愛」というのはまだ全然なじみのない新奇な語なのかも。何をどう説明してもかたくなに「ノーマル」呼称を続けたがる人というのは、結局、ジャスコがイオンに変わっても新しい名前になじめず、いつまでも「ジャスコ」と呼ぶおじいちゃんおばあちゃんみたいなものなのかもしれませんね。

付記3

*1:もちろん全員がそうだというわけじゃないけど、それは異性愛者が全員同じ考え方じゃないのと同じ。

*2:ただしアフリカを除く。ウガンダなど、旧宗主国である英国がソドミー法を廃した後でも同性愛は犯罪とされ続け、同性愛者が殺されまくってます。他にはジャマイカやシンガポールでも同性愛は違法。ただし、どの地域にもゲイ・ライツ・ムーブメントはあり、少なくとも同性愛者がこぞって「男女の愛=ノーマル(正常)」説を支持するとは考えがたいです。

*3:もう19世紀じゃないのよ。今やKKKでさえ「自分たちはゲイフレンドリー」と主張し、ローマ法王が「(同性愛者を)さばく資格が私にあるだろうか、いやない」と言ってる時代なのよ。

*4これはあくまで、異性愛をノーマルと呼ぶことに反対している人がいちいち抗議するエネルギーがないときのための「気晴らし」であって、「なんにょと読めば問題解決」って意味じゃありませんよ、念の為。ましてや、がんとしてNL表記をやめない側が「これは『なんにょラブ』です」と言い訳して開き直るのは卑怯きわまりない行為であると断言させていただきます。