「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。

読んだ。あきれた。うちのエントリを引用するのはいいんだけど、そこから

これをノーマルに当てはめると「ノーマルを正常だというニュアンスで使い同性愛を否定している人は主観に基づく意見ばかりなので重視しなくていい」ということになりませんかね。 どこかの同性愛コミュニティから「ノーマルは差別的だ」っていう意見が出てきてるわけじゃなく、いつもの「不快に思う人がいるかもしれない」レベルの話なんでしょ?*1

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

と言い出すのは牽強附会にもほどがあるし、いち同性愛者として非常に迷惑。

「ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログでだってTwitterでだって、批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。

そうでもなければ、

いつもの「不快に思う人がいるかもしれない」レベルの話なんでしょ?

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

なんて珍説はそうそう出てきませんって。いやーまったく、どこの星の話かと思ったわ。

異性愛を「ノーマル」とすることがなぜ問題なのかというと、それが19世紀末から始まる同性愛の病理化、そしてそこからくる同性愛者の迫害にさんざん使われてきた言説だからだよ。「主観」だの「不快」だのという生やさしい話じゃない。「異性愛こそノーマル、同性愛はそこからの逸脱」という発想のもと、同性愛者は精神病院に監禁され、電気ショックをかけられ(中国じゃ今もやってますね)、怪しげな注射を打たれ(アラン・チューリング知ってる?)、職を追われ(『ハーヴェイ・ミルク』は見たかい?)、ナチスに虐殺されて(ピンク・トライアングルぐらいは知ってるよね?)きたという歴史的事実があんの。当然、同性愛者のコミュニティは今も昔も異性愛を「ノーマル(正常)」として規範化することには反対しまくってるよ*1公民権運動などの社会運動の波に乗ってゲイ解放グループが世界中にできた1960年代から反対して、反対して、反対し続けて、1973年にようやくアメリカ精神学会が同性愛を逸脱扱いするのをやめ、1992年にWHOも国際疾病分類(ICD)から同性愛を削除したんだよ。

「ノーマル」は英単語だけど、そんなわけで現在の英語圏*2では「異性愛はノーマル」というのはもはや医学的にも精神医学的にも不正確で、水飲み場に"WHITE ONLY"の貼り紙をするのと同じぐらい時代遅れで差別的なことだという社会的合意があんの。今英語圏の公共の場で「異性愛はノーマル」なんて発言したら、「かわいそうに、適切な教育を受けられなかったのだな」と憐れまれるか、「筋金入りの差別者だ」と警戒されるかどっちかだよ*3(ファナティックなキリスト教原理主義者なら、大喜びでお仲間認定してくれるかもしれないけど)。日本でだって、こんな単語を今さら「異性愛」の意味で使うことの差別性・危険性は、LGBT当事者から何度となく批判されてる。あ、念のため言っておくけど、批判する文面の中でいちいち「私は同性愛者です」と名乗っていなければすべて非当事者だなんてことはないからね? 「目につく場所でカミングアウトしていなければすべて『同性愛コミュニティ』外の意見とみなす」というのは、他の意味で問題だよ?

一方、「ストレート」「ヘテロ」という語は、差別や迫害の口実として使われたという歴史的経緯はないの。「ストレート」なんて、AP通信&ニューヨーク・タイムズの表記ガイドラインで「ゲイとのコントラストを示す言い回しで自由に使ってよし。例:その映画はゲイとストレートの両方の観客を魅了した」(大意)と説明されてるぐらい中立的な語だよ。だからこっちを使おうっていうだけの話なのに、なんでここまでこじれるかね。

あと、id:kyoumoe氏の言う、

なんで「ノーマルの対義語はアブノーマルだから差別的なニュアンスがある!」って言って出てきた代替案が対義語に差別的なニュアンスがある「ヘテロ」なんですかね。

ノーマルカップリングという呼び方は差別的だとする腐女子の考え方がわからない - 今日も得る物なしZ

というご意見も果てしなく的外れ。対義語同士のセットならなんでも同じだなんて思うんじゃねえや。だからねー、「男女の愛こそが正常(ノーマル)だ!」として同性愛者を抑圧したり虐待したり投獄したり殺したりした人はいっぱいいた(今でもいる)のに対し、「男女の愛こそがヘテロだ!」と言ってそういうことをした人はいないの。何度も言うけど、歴史的経緯が全然違うの。

まあね、これだけ長々書いても全部無駄だってことはわかってるんですよ。ノーマルカップリング呼びをやめたら死んじゃう病の人たちは、誰が何をどう説明しようと、「英語わかんなーい」、「歴史的経緯なんて知らなーい」、「日本と外国とは違うしー」、「差別する意図はないんだからいいじゃなーい」、「もっと下手に出て、マジョリティの気分を害さないように説明しないと聞いてあげませんよ?」、「言葉狩りをするオマエこそ差別者だあー!」とかなんとか言い続けるだけで、絶っっっ対にやめないからね。ベネディクト・カンバーバッチの爪の垢でも煎じて飲めばいいのにと思うけど、まあ無理だよね。この状況を憂える人たちには、せめてもの気晴らし*4として、今後異性カップルものという意味でいけしゃあしゃあと使われ続けている「NL」表記は勝手に「男女(なんにょ)ラブ」と読むことを提案したいです。いいじゃん、なんにょラブ。なんか古式ゆかしくて。以上をもちましてこの話題への言及は終了とさせていただきます。

付記

このエントリで触れた、同性愛の病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛と異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ。

付記2

上記『同性愛と異性愛』によれば、『広辞苑』に「異性愛」という言葉が載ったのは意外と遅く、なんと2008年(第6版)のことなんだそうです。ということは、日本人で、かつセクシュアリティに関する知識が十分でない人にとっては、「異性愛」というのはまだ全然なじみのない新奇な語なのかも。何をどう説明してもかたくなに「ノーマル」呼称を続けたがる人というのは、結局、ジャスコがイオンに変わっても新しい名前になじめず、いつまでも「ジャスコ」と呼ぶおじいちゃんおばあちゃんみたいなものなのかもしれませんね。

付記3

*1:もちろん全員がそうだというわけじゃないけど、それは異性愛者が全員同じ考え方じゃないのと同じ。

*2:ただしアフリカを除く。ウガンダなど、旧宗主国である英国がソドミー法を廃した後でも同性愛は犯罪とされ続け、同性愛者が殺されまくってます。他にはジャマイカやシンガポールでも同性愛は違法。ただし、どの地域にもゲイ・ライツ・ムーブメントはあり、少なくとも同性愛者がこぞって「男女の愛=ノーマル(正常)」説を支持するとは考えがたいです。

*3:もう19世紀じゃないのよ。今やKKKでさえ「自分たちはゲイフレンドリー」と主張し、ローマ法王が「(同性愛者を)さばく資格が私にあるだろうか、いやない」と言ってる時代なのよ。

*4これはあくまで、異性愛をノーマルと呼ぶことに反対している人がいちいち抗議するエネルギーがないときのための「気晴らし」であって、「なんにょと読めば問題解決」って意味じゃありませんよ、念の為。ましてや、がんとしてNL表記をやめない側が「これは『なんにょラブ』です」と言い訳して開き直るのは卑怯きわまりない行為であると断言させていただきます。

miyakichi
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